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しおり市長の市政報告書 vol.26

   1月7日午前11時7分

 環境の問題は難しい。
 私は松平組合長にレクチャーのお礼を言って、農協本所をあとにした。市役所はちょうど道路をはさんで向かいにあるから、ちょっと市役所に寄ってみようと思い立った。
 市長室を訪ねると、秘書係の山内さんから「不在です」との答え。
 すると、秘書係から見て市長室の反対側にある副市長室から、怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。
「あんたたちは、自然や動物をなんだと思ってるんだ!絶対に告訴するからな!」
 副市長室のドアが猛然と開く。中から出てきた男女5人組の一人が、憤然と捨て台詞を吐き、去って行く。私は呆然と見送った。
 あれ、なんですか?という私の視線に、山内さん他秘書係の二人は、いや、まあ、その、という表情だったので、副市長室を指さすと、どうぞお入り下さいのジェスチャーを返してきた。
「ああ、羽柴議員。いらしてたんですか?」森副市長は、疲れ切った顔で私を出迎えてくれた。
「なんですか、あれは?」
「ああ、聞こえてしまいましたか。環境保護団体の方々ですよ。市長に面会を申し込まれたのですが、市長はあいにく不在で…」
 ははぁん。あの小悪魔め。居留守を使いやがったな。めんどくさい相手を副市長に押しつけたな。もしかして、隣の市長室に隠れてんじゃないか?かわいそうに、副市長。ね?あの女は、そういう奴なんですよ。
「それにしても、すごい剣幕でしたね」
「そうなんですよ。もともと、留山川ダムの工事にも反対されていた、かなり過激な方々でして。ダム工事の際は、デモ活動なんかも展開されて、だいぶ困らされました」
「ああ、確か裁判沙汰にまで持ち込まれたという…」
 留山川ダムの建設は、しおり市長の前市長時代に建設が進んだ。私も議員になる前の話だが、秘書時代にそんな話は聞いていた。なんでも、ダムの建設が不当だとして、県知事を相手取って(ダム建設の中心の主体は県であるため)、ダム建設の中止とそれまでにかかった予算の返還を求める訴訟を起こしたという。
 ダム建設の話が持ち上がってから、反対運動がすぐに組織され、ずいぶんと徹底抗戦された果ての話だ。
「でも、環境影響調査もしっかりとやったんでしょう?問題ないから計画が進んだんじゃないですか?」
「いや、まあそうなんですが。彼らの主張は、ダムよりももっといい方法があって、それなのにダム工事に固執するのは、なにか裏があるのだろうと…」
「でましたね、得意のパターンが。なんで公共工事があるとすぐにそういう話を出すかなあ?」
「ええ、もちろんダム以外の方法も県の方で検討したらしいです。留山川ダムは、危険度を超す雨量があったときに、下流域の洪水を防ぐための防災ダムです。彼らの主張のように、雨水の浸透や田んぼダムでの対応も検討したようですが、効果の問題や費用の問題で却下したと聞いてます」
「確か大学の知見を入れたんですよね?専門家の判断が出ても、彼らは納得しなかったんですか?」
「行政の御用学者の言うことなど、嘘八百だと…」
「はあ?じゃあ、どうしたら納得するんです?」
「某大学の教授の説に従い、工事計画を立てるべきだと…」
 なんだ、それは?
 自分たちの主張に反する学者は「御用学者」で、自分たちの主張を支持する某大学の教授は偉大?その学者は、あなたらに都合のいい、あなたらの御用学者だろ?
 まあ、私も専門家ではないから、どちらの主張が正しいのかはわからないが。
「それで、ダム工事反対運動、ですか」
「とにかく、ダムを造ると下流域の魚に与える影響が大きいとの主張でしたね。なんでも某大学教授によれば、ダムの影響で下流域の魚が激減するそうでして」
「いや、だって防災ダムなんでしょう?人命より魚の命が大事だって言うんですか?」
「そこまでは明言しませんが…。それだけではなくて、その教授によると、下流域でとれる魚の収益、釣り客などが訪れることでの収益、そうした経済効果は二億円以上にのぼるとの試算をだされました。ダムが地域経済を破壊すると」
「ははっ!釣りでそんなに経済効果があるなら、天童市はもっと豊かですよ!」
 いよいよ「御用学者」が怪しくなってくる。天童市はそんなに内水面漁業が盛んな市ではないのだ。釣り客だって、そんなに多くはない。天童市民の中で、釣り客が地域経済を支えている、と思っている人間など希少だろう。
「いずれにしても、ダムの建設による環境影響調査を丁寧に行って、それほど魚が激減するという試算も出ませんでしたので、当初の計画通りダム建設がスタートしました。でも、その環境影響調査も御用学者が行ったものだから信頼できない、ということで、訴訟という事態になったわけです」
「でも訴訟って言ったって、違法性はないわけでしょう?」
「いや、ダム業者との不正な関わり、環境を破壊するのをわかっていてのダム建設強行、そこを違法性ありとして訴えたんですよ。ダム建設の早期中止と、それまでかかっていた、調査費とか設計費、ダム建設のための事前工事費、そうした経費の返還を求める内容でした」
「それってもしかして、県知事個人を相手取って?」
「そうなりますね…」
 私も不勉強で知らなかったのだが、そういった訴訟の際、執行した予算を返還しろ、という対象は、県知事や市長などの個人になる。市民の税金を元にした予算を不当に使用したのだから、その執行権者が責任をとって返還する、というのが法律なのだそうだ。理屈はわかるが、個人にダム建設に関わる何億というお金を返還できるわけがない。仮に裁判所から返還命令が出れば、自己破産でもするしかないだろう。実質的にはお金は戻らず、執行権者が社会的に抹殺される、という結果になるだろう。それだけ、自治体の首長という責任は重いということだ。(私は、伊達がしおり市長を相手取って、ダム湖周辺の公園整備に関して訴訟を起こしたとき、このことを知った)
「あれ?そう言えば、伊達もダム建設に反対してたんじゃ?」
「ああ、はい。伊達議員もダム建設に反対はしてまして、先ほどの方々と反対運動をともにしていた時期もあります。ですが、伊達議員の方は織田ケンイチ代議士への反対、という側面が強く、ダム建設への賛成の声が一定数あがった段階で、ひきました。訴訟には加わってなかったと思います」
 結局、反対のための反対、政治的意図からの反対。いつも奴のやり方は一緒だずね、まったぐ。体制や大物を批判することでのみ、自分の地歩を確保するのだ。
 人への批判は展開するが、賛成者が多いとなると、今度は反対する自分への批判を恐れて撤退する。訴訟には加わらなかったとしても、どこかで関係ぐらいはしているかも知れない。なにせ、その後自分たちが起こした訴訟は、まったく同じ手口だ。
「対して、先ほどの方々は、政治的意図というよりまさしく環境保護、という部分で突っ走り、訴訟まで及んだんです。もちろん、彼らの主張は裁判所で取り上げられませんで、ダム建設が成ったわけですが、当時、相当マスコミから県が叩かれましたね」
「例の、訴訟されたんだから、悪いことをしているはずだ、っていう論調ですか?」
「そうですね、市民の中にも一部そういうことを言う人もいましたし…」
 私はため息をついた。
 なぜ裁判沙汰になると、被告は最初から有罪扱いされるんだ?そして、なぜマスコミはそれを煽る?しかも、無罪判決が出ても、なぜマスコミはその報道も謝罪もしないんだ?
「そんなわけで、あの方々、『天童の美しい山と水を守る会』という団体の方々ですが…ダム建設からそのあとまで、かなり強硬に反対運動や自然保護に関するデモを行ってきて、県庁やうちの市役所にもしょっちゅう抗議に来てたんですよ。最近は、ダム建設も終わってしまって、彼らの動きも下火になっていたのですが…。今回のこの問題を受けて、改めて抗議に来た、というわけですよ」
「まさかいまさらダム建設に反対、ってわけじゃないでしょう?」
「ダムを取り壊せ、という主張でしたね」
「むちゃくちゃだ。そんなことはできるわけがない」
「もちろん、そこは丁重にお断りしました。今回メインの話題は、天留湖周辺の公園整備も、環境に影響するから取りやめろ、という話でして。私としては、『市民憩いの場の創出ですから、十分に環境に配慮しつつ執行させて頂く』と答えましたが」
「それで、さっきの怒鳴り声、ということになるわけですか」私は、苦笑した。優秀な行政マンたる副市長のこと、さぞや丁寧に論理的に、しかし一㎜の譲歩もなく、彼らの主張を退けたのだろう。
「もう一つ、鳥獣被害対策についても、動物を殺すことはまかりならん、というお話でしたね」
「ああ、動物保護、ですか。でもそれにはちゃんと基準があるはずですが」
「はい、環境省で定める基準があって、その地域で獲っていい頭数にも制限があります。ですがまあ、ああいう方々はそもそも動物を殺すことに反対されることもあるので」
「農作物の被害が多数でてるんですよ?駆除しなければいけないでしょう?」
「その駆除というのが人間のおごりだと。農作物被害も、動物の領域に入り込んだ人間の責任だから甘受すべきだと言うんですな」
「いや、でもそれこそ特定の動物が増えすぎれば、彼らが求める生態系の維持とか、生物多様性の維持とか、できなくなると思うんですが」
「それも、人間が引き起こした環境破壊が原因だから、根本から変えていかなければならない、と。そもそも、サルは言うに及ばずイノシシやクマは非常に頭のいい動物だから、殺すのは罪だとおっしゃってましたね」
「はあ、その頭がいいから殺すのはダメだ、ってのが理解できないですねえ」
 どうもこの考えは、欧米人による捕鯨反対運動あたりに端を発しているような気がする。クジラは頭がいいのに、それを食べる日本人は野蛮だ、ときた。ジャパンバッシングとあいまって流行った考えだが、同じことを日本の小学校で展開する教師もいるから世も末だ。クジラが本当に絶滅しそうならともかく、「頭がいいから」などという理由で、クジラを食べるという人様の文化を頭から否定する方が野蛮だろう。
 命は命。生き物を殺す罪に上下はない。
「人が生きることそのものが、業。人は命をもらって生きている。その業を自覚し、命に感謝して生きるんだぞ、ケーちゃん」と、武田住職の説教癖も言っていた。
 ただ、環境破壊は人間の責任、というのは事実だ。環境保護の運動が間違っているとも思えない。しかし、それが極論になれば、人間そのものが地球のガン、人間の生活など環境のためなら破壊してもいい、ということになってしまう。今回のように、人間が引き起こした生態系の乱れ、と、農作物の被害、という環境と人間生活の衝突の問題を、どうバランスよく解決するかが課題なのだろう。
「まあ、一匹も殺しちゃいけない、なんてなったら、鳥獣被害対策をしようもないですが。しかし、動物保護を優先するっていう地元の人達がいるんじゃ、ちょっと考えなければいけないですねえ」私がこの問題の難しさに嘆息すると、返ってきた副市長の言葉は意外なものだった。
「先ほどの方々の中に、地元の人間はいませんよ」
「はあ?」
「あの方々の構成員は、ほとんど市外県外の人です。『天童の美しい山と水を守る会』の方々で、訴訟を起こした原告十七名のうち、天童市の者は二人しかいません。しかもその二人も地元田麦野の人じゃありません」
「じゃあ、どこの人間だって言うんですか?」
「先ほど私に怒鳴った方、会の代表の結城さんという方ですが、彼は東京の方ですね。会の半数以上は東京や県外の方で、天童以外の山形県の方が三割ほど。天童市の人は一割程度です」
 かなり意外な事実に、私は絶句するしかなかった。
 天童の環境保護を主張する人間が、天童市民じゃない?どだなだず?
「じゃあ、彼らは、東京からわざわざ天童に来て、天童の施策に反対してるんですか?」
「そうなりますね。環境問題だとよくあることです」
「どうりで『天童の美しい山と水を守る会』なんて名前、聞いたことがないわけだ。地元でそんな活動しているなんて、聞いたことがないですもん」
 団体、というのは恐ろしい。議会に要望書や誓願があがってくるが、半分は町内会などの実態を持った団体、半分はそんな会が存在するのか?という団体だ。特に革新系の要望に多いが、色んな名前で提出してくるものの代表者名は同じ。構成員や活動実態がなくとも、『〇〇会』と名乗ってしまえば、たとえ一人の組織でもそういう団体があるように思えてしまう。今回は構成員も活動実態もあるが地元の人間がほとんどいないという、名称からは想像がつかないマジックがある団体だ。
「しかし、なんで?なんで地元に住んでない人が、天童の環境の心配をするんです?」
「環境に境界はない、とのことで。日本の環境につながると…」
「東京に住んでてですか?そんなに天童の環境が心配なら、天童に住めばいいじゃないですか?山と水を守りたいなら、田麦野に住んで、その苦労もともにして、環境保護を主張すべきじゃないですか?」
「そのとおりなんですがね…」
 都会に住んでいて、地方の環境問題を質す。そんな矛盾あるか?もしかしたら本人は東京の山奥で仙人みたいな生活をしてるのかも知れないが(さっきのスーツを見るととてもそうは思えないけど)、だったら、天童で暮らして人口をちょっとでも増やしてくれ!
 都会に住みながら、地方創生を謳うのと同じ図式だ。
 都会では出生率が低いのに、出生率の高い地方からの人材流入には歯止めをかけない。都会では、ばんばんビルを建てているのに、地方には農地保全を求める。都会では都市型の生活を送りながら、地方では自然を守るのを優先せよ、というわけだ。
 これでどうやって「地方創生」をすればいいんだ?
 地方創生は、人口増加と地域経済の振興に要約される、と言った人がいた。しかし、地方で何かやろうと思えば、必ず環境と農地保全の問題が立ちふさがる。
 「山形は山形らしく、自然を大事にした方がいいですよ。都会の縮小版みたいなまちづくりをしても魅力ないですよ」などと言う人もいる。これは一面の真実をついているだろう。今さら都会と同じビル街など建てようもないのだから。しかし、自然を大事にしたまちづくりをして、本当に若い人は山形に住んでくれるのか?
 確かに、自然の美しさ、環境の良さを評価して、地方に移り住む人もいるだろう。
 だが、圧倒的に都会に流出する割合の方が高いのだ。
 自然を大事にしたから人口が増えたなどという話は、寡聞にして知らない。
 どうやって「文明と自然」のバランスをとれば、地方創生は成るのか。
 普段からもやもやと頭を悩ませる問題が、「都会の人間が天童の環境に口出しする」という今回の事例に集約されているような気がする。だからこそ、心の底から怒りがこみ上げてくる。
 いやいや、天童でそんなことを言っていたら笑われるだろう。もっと条件の悪い地方もたくさんあるのだ。
 私だってしーちゃんだって、天童という田舎を愛して戻ってきた「若者」だ。
 天童の自然や農業を大事にしながら、天童を発展させていきたい、その思いは外部から口出しする人間よりずっと強い。
 いずれにしても、環境問題は今回のしおり市長のピンチに大きく関わる。
 天留湖周辺の公園づくり、鳥獣被害対策、こうしたものに「天童の美しい山と水を守る会」は必ずや反対してくるだろう。
 それをどうやって納得させるか、今のところ、糸口すら見えない。
 やはり、環境の問題は難しい。

vol.27に続く ※このお話はフィクションです

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