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しおり市長の市政報告書 vol.33

   8月5日午前9時37分

 猛暑のその日、天留湖周辺の親水公園の落成式だった。
 深緑映える湖畔に、鮮やかな紅白幕が張られている。平地は非常に暑かったが、標高が高いこの場所は清々しかった。湖の上を渡ってくる風が、肌に心地いい。
 落成式への参加者を乗せた車が次々と登ってくる。
 市長はじめ行政関係者と市議会議員の全員。田麦野地区の代表者や公園の土地を提供した地権者たち。農協や商工会議所、温泉組合などの各種団体の長。公民館長や学校の校長。県庁からの来賓。そして、地元周辺の幼稚園児たちも呼ばれて、お祝いの歌を披露することになっていた。
 もちろん、マスコミも大挙して押し寄せていた。
 世間を騒がしてきた織田しおり市長の失言。その発端ともなった親水公園がついに完成。その内容はいかに?この事業の成否によって、織田市政の今後が変わる。マスコミは固唾を飲んで、取材に殺到した。
 というのも、今回の親水公園の中身は、徹底的に秘匿されていた。
 多くの市民もマスコミも、議員ですら詳しい中身がわかっていない。議会に報告しないなどというのははっきり言って禁じ手だが、議会やマスコミの反発を避けるために、あえて詳細は伏せてきた。
 三月の定例会では、次年度の予算が審議されるから、当然、親水公園の予算も盛り込まれていた。伊達の一派は、その内容を厳しく追及してきたが、しおり市長は、
「環境に配慮しつつ、地域の交流人口にも資する公園にする所存で…」
 などという答弁ではぐらかした。公園の図面までは議会には提出されない。普通は概略ぐらいは示されてもいいが、
「議会で予算も通っていないのに、設計図をしめすことはできない。それは議会軽視に繋がる。予算はあくまで大枠のもので、議会審議を頂いてから、詳細を設計していく」
 という強弁で押し通した。
 反則も反則で、伊達たちは激怒して内容を示すよう追求した。松永も、テレビや新聞でしおり市長を批判する論陣をはった。
 しかし、伊達たちが反対のための反対で騒いでいることは明白だったから、議会の大勢としては伊達の興奮を冷めた目で見守った。予算としても、当初の予算よりも減額の予算だったので、強力な反対の機運はなかった。もちろん、しおり市長を支持する議員(七割はしおり市長派だが)には、内々に説明を行った。「そんな内容で大丈夫なのか?」という反応はあったものの、私と議長で説得し、概ね理解が得られた。
 こうして、三月の定例会では、伊達の一派と共産党が反対したものの(共産党はいつも反対だが)、しおり市長を支持する多数派の賛成によって、当初予算が成立した。
 予算が通ると同時に、突貫工事が始まった。
 とは言っても、すでに親水公園となるべき土地の基礎工事は終わっている。土台はできていて、あとは上物をどういったものにするか、という段階だったから、それほど大変な工事にはならない。詳細はこれから設計します、などと誤魔化しはしたものの、ある程度の構想と概要の設計は終わっていたから、詳細設計も短時間で済んだ。
 詳細設計などと言っても、そんなに複雑なものではない。工事だって、大それたものを建設するわけではなかった。
「予算をかけずに、短期間で、市民にインパクトを与える」
 という前提がある以上、設計も工事も簡易的なものにならざるを得ない。そんな簡易工事でも最大限の効果を出す、というところに、しおり市長のアイディアの肝がある。
 工事の見積もりや搬入された物資を見た者がいれば、「景観に配慮した公園」を目指す割に、コンクリートの割合が奇妙に多いことに気付いたろう。鉄柱や木材といった構造物に必要なものが少ないことにも気付いたかもしれない。しかし、山中の工事だから、そんなことに気付いた者もいなかったし、気付いても気にもしなかったろう。
 いずれにしても、非常に単純な工事は順調に、急ピッチに進んだ。工事そのものよりも、大変なことは別にあった。しかも死ぬほど大変だった。
 それはともかく、予算が通った三月定例会からわずか四ヶ月、工事は完成した。
 そして今日、めでたい落成式。
 参加者たちは四方に紅白幕が張られたテントに入っていく。これから、テントの中では公園完成の祝祷神事が執り行われる。
 テントの中にいるので、いまだに参加者もマスコミも公園の全容は見ていない。外でも紅白幕が張り巡らされて巧妙に視界をふせぎ、メイン施設が目に触れることはなかった。
「いよいよだな、羽柴?」丹羽議長が話しかけてきた。
「はい、とんだ賭けですね。胃が痛くなりますよ」
「まあ、大丈夫だべ。これは賭けとも呼ばないし、そんなに突飛なものでもない。市民は喜んでくれるべ」
「突飛なものではない、ですか?」
「なんだ、羽柴。若いくせに頭が固いな。こんなものを突飛だなんて言うのは、行政関係者の考えだぞ。民間はもっと自由に発想するし、市民だってそんなに驚きも批判もしないべ」
 議長はニヤリと笑った。私は沈黙するしかない。
 いつのまにか私も、石橋を叩いてミスをしない、行政職員っぽい固定観念に染まってしまったのだろうか。
 そこに、伊達と松永が近づいてきた。相変わらず一緒に行動している。
「市民のためのいい事業とやら、今日はとくと拝見させてもらいますよ」挑戦的に松永が話しかけてきた。そばの賞味会での言を、あげつらってくる。
「…努力はしてきました。今日はその結果をご覧に入れます」
「ふん、こんな短期間でなにができたのか、せいぜい期待させてもらいますよ」
「失望はさせないと思いますよ。でき得れば、好意的な報道をしてもらえれば嬉しいですね」
「あんなに強引なやり方で予算を通しておいて、何を言ってるんだか。国会の強行採決さながらだぞ」伊達が私の言に反論してきた。
「やはり織田市長は、故ケンイチ代議士の娘ですな。右翼国会議員の血が流れている。国民に説明しないで、国民の声を無視して法案を通す、というわけですね」松永が、嫌みったらしく追随する。
「いくら説明しても『説明不足』、いくら説得しても『反対』、という国会議員。政府側の説明を報道しないで『強引だ』、一部の偏った声だけ報道して『国民の声』、とするマスコミ。なにかを成そうとする政治家には、つらい時代ですね」
「なるほど、そうでした。あなたも言論弾圧の徒でしたね。いいでしょう。今回も徹底的に叩いてあげますよ。お粗末な事業を批判するのは、言論の自由ですからね」
「お粗末な事業だったら、甘んじて受け入れましょう。ただ、『いい事業をねじ曲げて報道するのは言論に対する冒涜だ』というマスコミの矜持ぐらい、あなたの中にあることを期待します」
「いい事業、なんてことはあり得ないでしょうがね」
 私をにらみつける松永の目は、相変わらず絶対権力者のすごみがあった。ひれ伏すべき愚民が逆らうことを許せない独裁者の目だ。
 去って行く伊達と松永を見ながら、
「これで後戻りはでぎねな。まあ、どっちみち後戻りでぎる段階じゃねえげど」隣で黙って聞いていた丹羽議長が言った。
「しかしお前も、反省せずによぐケンカ売るごど(売るものだな)」
「ケンカを売ろうが平和的に話そうが、相手はもう敵ですよ。あいつが私をどう思おうが、どうでもいいです。今回の事業を、市民が喜んでくれるかどうか、それだけです」
「少し、成長したかな、羽柴?」
「いい事業かどうか、審判の時ですね」
 丹羽議長の言葉に嬉しさと照れを感じながら、私は落成式会場に足を向けた。

vol.34に続く ※このお話はフィクションです

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