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【小説】半夏生と先輩

 鉄板の上では、先程焼き始めたばかりのハラミが、よく熱された鉄板の上でゆらゆらと湯気をたてている。

 『なあ、半夏生って知ってるか?』

 やおらそう言いだした先輩は、今日も俺の顔をみてにやにやとしている。
 俺は知っている、あの顔は良くないことを考えている時の顔だ。間違いない。

 『え? それなら知ってます! 葉っぱが半分白くなる日ですよね。』

 例えばここで中途半端に知らないフリなどをして、先輩のご機嫌を損ねては、折角のおごり焼肉が台無しなので、迅速に俺は答える。

 『なんや、しっとるんか、つまらんな。』

 折角速く答えたというのに、逆にご機嫌を損ねてしまったのか、先輩は手に持ったトングを、鉛筆回しの要領でくるくると回しだした。それ、トングについてる生の肉汁がはねるんじゃないか?

 まあ、突っ込むと面倒くさいから、スルーしておこう。

 ところでその半夏生だが、俺の中で、いや、我が家の中では、半夏生というのは、サバを食べる日だった。

 まだ素直だった子供の頃、何故この時期にサバを食べるのか疑問に思い、子供ながらにぐぐったことがある。
 当然、その頃はまだガキの自分の中では、我が家のルールが世界のルールだった。我が家での決まりごとは世間のルールと同じ、クラスでのルールは世間のみんなが知っていること、ぐらいの狭い世界で生きていたのである。これはまあ、どこの小学生もそんなものだろう。

 ところが、そんな無垢な俺にgoogle先生からの回答は世間の風のように冷たかった。

 何を隠そう、タコである。一位を飾っているのは、タコ。
 
 どうやら多くの世間様では、半夏生にはタコを食べるものらしい。そもそもそんなにタコって、一般家庭でよく食べるものなのか? 言うたらウチでは、一度も食卓に登ってるのみたことないぞ。蛸。

 ─────脱線した。

 俺が今、手に持っているビールのジョッキはさほど大きくはない。500mlぐらいのサイズだろうか。正直、居酒屋にしてはあまり大きくない、しかしここは焼き肉屋である上に、一杯310円なので、割には合っている。いや、むしろ安過ぎるくらいだ。そんな黄金色を軽く煽ってから、俺は先輩に言い返すことにした。

 『なんか意味あるんですか?、その質問。』
 『ん? 昔から、物忌(ものいみ)っつーてな、半夏生の日は外に出たらあかんのや。こうして旨いものも喰うたらあかん。』

 まーたおかしなことを言い出した。
 どうして、こう、俺が付く上司はこうも変な方向に口が回るのか。思えば前の上司の中村先輩にも、俺はこうしてたびたびからかわれていた気がする。

 『それ、焼き肉焼いてる今ここで言わなきゃ、ダメなことなんすか?
  あ、そのハラミもう焼けてますよ。』

 先輩の目の前では、ハラミがそろそろ食べごろであると、その茶色と煙で告げている。焼き過ぎたハラミは硬いだけの横隔膜だ。

 ちなみに、こういうサシの状態で焼き肉屋にきた場合は、肉を食べるのはその肉を焼いた人、という不文律があると思っている。誰だって、自分が手塩にかけて焼き上げた肉を、横から拐われたら気分が悪くなるものだ。そして、あのハラミは、先輩が網に乗せたやつだ。俺からも遠い位置にある。

『んー、いやな。
 この半分だけ白く焼けてきたレバーがここにあるやろ? まさに、これ、半夏生やん。』

 『何言ってるんすか、どう見てもそれは草の葉っぱじゃないし、一皿2,600円する叙々苑のハラミでもなく、安安の安レバーです。500円以下でも普通に美味しいヤツです。』

 たまらず突っ込む。
 まずいな。先輩が気分よくなってくる、いつもの流れだわ、これ。

 テンション上げた先輩がまくしたてる。
 『そこでや! この半夏生っぽいレバーを愛でながら、物忌にも拘わらず、こっちの美味しーく焼けたハラミを喰うたら、季節の風情と背徳感が同時に堪能できて、キミにはたまらんのと違うかな、と思うて。』

 『背徳感の方は、焼肉屋に来てビールと半ライス頼んだ時点でもう諦めてますよ。それに風情と背徳感は一緒じゃなくていいです。むしろ別のタイミングでお願いしたいです。それにそのレバーは先輩が焼いたやつです。
 ほら、そんなこと言ってる間に、ハラミの方も焼き過ぎになっちゃいますよ!』

 『折角、ええ味付けになると思ったのになあー。まあ、ええか。
 ほな、お前にはこの半夏生レバーを喰う権利をくれてやろう。』

 『わーい、嬉しいなー。って、これ半分しか焼けてない生焼けじゃないですか!レバーはしっかり焼かないと駄目ですよ。ここはそういうお店です。』

 と言い返したものの、果たして叙々苑とかの高級焼き肉店なら、もしかしたら生焼けでも喰えるんだろうか? ─────いや、どこかに怒られる気がするのでやめておこう。

 『あのな、半夏生ちうのは諸説あるけど、その片面だけ白うなる、って草はその名前のままのハンゲショウちうて毒草やねん。だから、ちょぃとぐらいそれに当とうても、史実どおりなんや。風情あるやろ。せやから気安う喰うとき。』

 いつもながら無茶苦茶な理論だ。

 それにしても。
 うーん? やけにレバーを押し付けたがるな。
 さてはこれは・・・

 『もう・・先輩レバー苦手なら最初からそういってくださいよ。めんどくさい。』

 俺はとりあえず、硬くなる前に鉄板からレバーを救出した。今週とるべき鉄分摂取量は、どうやら今日だけで達成できそうだ。

 『せやから、今日は物忌って、いうたやん。』

 言わんこっちゃない。
 案の定、先輩の前のハラミは、すっかり焦げて白い煙をあげていた。


俺はねぇ、饅頭が怖いんだ!俺は本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みなが好きな饅頭が恐くて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ──── ごめんごめん、いま饅頭が喉につっけぇて苦しいんだ。本当は、俺は「一盃のサポート」が怖えぇんだ。