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読書「ひとりぼっちの叛乱―とうちゃん、巻機山に生きろ」 山と渓谷社 大切なものを守る希望の星

今日は新潟の巻機山に関して書きます。
書き出すと、思い入れを抑えるのが大変で、いつもより、長文になりました。

本書との出会い
本書の舞台である清水の集落(南魚沼市(旧南魚沼郡塩沢町))に小屋を持つ、大学山岳系クラブ出身者が山の仲間にいて、民宿「雲天」を知り、登山の帰りに立ち寄ったり、泊まったりしていました。この本は、その何年か前に、巻機山のスキー場建設に関することが知りたくて、山道具屋さんの書籍コーナーで見つけて購入しました。
民宿「雲天」の食事は山の幸がふんだんに使われて美味しかったです。食事の間、かあちゃんは、元気に、泊り客とコミュニケーションしてました。食べ終わると、囲炉裏端でとうちゃんと山の話しをすもよし、走り回るお孫さんと遊ぶもよし。民宿「雲天」は、登山者にとって、居心地がよい宿でした。ここまで過去形で書いたのは、後に、かあちゃんが、不幸な交通事故でなくなりました。経営が、仕事を定年退職した息子さんと奥様に引き継がれています。しばらく、泊まりに行けていないですが、宿の雰囲気は変わっていないと、聞いています。

大切なものを守る希望の星
民宿「雲天」の一家と、関係する山仲間の力がいい方向に作用して、巻機山への何度かのスキー場建設計画が中止に追い込まれました。結果として、貴重で多くの人に大切な自然が守られたと言えます。
同じような話しは、日本全国、世界中にあり、誰かにとって大切なものは、守られる場合もあれば、守られない場合もあります。本書は、これから、大切なものを守ろうとしている人、これから守らなければならなくなる人の希望の星ではないでしょうか。

巻機山の自然
とおちゃんが、狩猟、採集(茸、山菜)で入った巻機山周辺の山々は、ほんとうに素晴らしいです。県境を越えた群馬県側は、下部の八木沢ダムが人の出入りをブロックしていることもあって、本州有数の原始の森の1つだと言えます。34年前に初めて山スキーで山頂に立った時から、その魅力に引き付けられました。なんども登り、山頂直下の雪洞で泊まって、周辺を山スキーで滑ったし、山頂から奥利根湖側の沢を下降して、登り返しもしました。

スキーブームを振り返って
この本によると、巻機山のスキー場建設計画は、昭和40年代半ばから何度かあり、昭和時代末まで続きました。最後の計画は、映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットした1987年(昭和62年)前後です。
この頃のこと、よく覚えています。近くの塩沢石内、越後湯沢の大きなスキー場は、週末になると、リフトに乗るのに、長く待たさるほど激混みでした。滑る以前の問題で、関越道の渋滞でスキー場に行きつくまで、すごく時間がかかりました。こんな思いまでしてスキーをしていたの、今、振り返ると、ばかみたいです。
そのスキー場の近くに、いくつも、リゾートマンションが建ち、雪国とは思えない風景になりました。これまた、ばかみたいです。週末を都心のようなビル(マンション)で過ごさなくてもいいのに。こんな状況なのに、塩沢石内から車で30分ほどの清水は、昔から変わらない雪国の集落でした。

今は、どうか?周辺のスキー場で、規模の小さなものがたくさん、廃業に追い込まれました。リゾートマンションは二束三文で投げ売りしても買い手がなく、空き室だらけです。
清水はどうか?、昔ながらの雪国の姿です。住人から見れば、変化があるのだと思いますが、山登りにでかける私には変わらないように見えます。


写真1 山頂から山スキーで米子沢に滑りこむ
(注)ここはゲレンデでない
写真2 米子沢上部のナメ滝
写真1の場所付近の秋の風景


写真3 ブサの裏沢の大滝

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