見出し画像

PPP的関心2023#06【別府まち歩き記録】

久しぶりに出張続きの1週間。盛岡・秋田から横浜にワンバウンドして大分そして別府を訪問しました。
訪問した日は「宇宙ビジネス」のお話を聞く機会をいただきました。単なるインフラ整備といった話ではなく、その裾野は地域の経済活動の活性化起点でもあるというお話を、県として「宇宙港」事業化に取り組む職員の方から伺いました。説明のなかで見た実写映像は、私の世代的にはサンダーバード的な世界が「現実」に映るワクワク感でいっぱいでした(笑)。
と、まぁそれはそれとして、今回のPPP的関心は翌日に訪れた別府市内でのまち歩き見聞記録です。
写真は別府まち歩きからのワンショット(道路標識もお構いなしの雑な写真ですみません)。

まち歩きのご案内は「カドウ建築」で大分・別府に変化を起こした建築家

今回ご案内いただいたのは大分と別府(現在の事務所は別府)で建築設計、空間再生、地域デザインに取り組む建築設計事務所 DABURA.m 社代表の光浦さんです。
光浦さんは「カドウ建築」によって「動かない(稼働しない)」不動産の活用を誘発することで空き家の利活用を促したり、「カドウ建築」をうまく使いこなして大分県立美術館界隈の賑わい創出社会実験の成功に寄与するなど地元で注目される建築設計事務所を率いています。

私が担当している東洋大学PPPスクールの講義(まちづくりビジネス論)でも、彼のこれまでの大分・別府での活動の過程やまちに起きた変化について講義をしていただいたこともあります。今回はそんなご縁から私の別府訪問にかこつけてご案内をお願いしました。
詳細丁寧にいろんな場所をご案内をいただいたのですが、書ききれないのでトピック的な「新しい動き」を中心に記録しておこうと思います。

街の資産を大切に「使い直す」官民の連携

冒頭の写真は「別府レンガセンター」の写真です。
そもそもの建物は昭和3年に旧逓信省別府電報電話局として建設され、その後別府市が買取り市役所分庁舎や出張所として、さらに市児童館・南部子育て支援センターなど時代の変化や要望に応じ臨機応変に「使い直されてきた」街の資産だそうです。現在では国の登録有形文化財、別府市の指定有形文化財として登録もされています。

新たな「使い直し」創造交流発信拠点

2023年1月からは別府市創造交流発信拠点『TRANSIT』としてオープンした「別府レンガセンター」ですが、訪問した際に運営を担うNPO法人・BEPPU PROJECTの方にもお話を伺うことができました。伺った話の中で注目した点はオーナーである市役所が運営を担うBEPPU PEROJECTの要望や声をきちんと聞き、「場所の使い方」「使い方がもたらす効果」を理解した上で改修を進めたという話でした(*本来はリスクとリターンの関係などどんな契約による約束があったのかをきちんと踏まえるべきですが、時間の関係で訪問時の「お話」をもとに書きます)。
そもそものBEPPU PEROJECTの別府での活動(貢献)の蓄積があったことも要因だと思いますが、市役所が不動産所有者として場のあり方に制約をかけすぎずに「新たな機能を発揮するため」ということを優先している姿勢を感じ取ることができるお話でした。
「街の資産」として大切にしながらも臨機応変に時代にあった「使い直し」を許容する市役所の方針と行動は良いな、と思った次第です。

別府のポテンシャル

レンガセンターのような大きな建物・有名建築家の建物ではないまちなかの建物や商業にも、「そのまま」「雰囲気を残した」使われ方を垣間見ることができ、そのことが賑わいを生み出している場所をいくつも守ることができました。
もちろん違った見方をすれば機能や施設・設備の更新投資を怠ってきたとの見方もなくはないのですが、まちなかを歩いていると「そのまま」「雰囲気を残した」使われ方をうまく利点としているところがあり、それは可能性を感じる部分でもあるとも見えます。

「支える産業」「支える精神」の存在が街の基盤

別府の歴史をさらっと調べてみると、明治終期から大正にかけ陸軍や海軍の病院が置かれたり大学の研究施設が置かれるなど、時代の中心産業あるいは時代の先端産業(研究)が集まった場所でもあることがわかります。
ここから先は私の勝手な想像を含めた話なのですが、地元の資産である温泉を使って時代時代の主要な顧客をもてなす宿泊や飲食をはじめ付随サービスの開発(バス会社の設立や景勝地へのバスツアーの創設など)、さらにその旅館や飲食サービスを「支える」地域産業が創り上げられてきたことは別府のポテンシャル、可能性の基盤にあるな、と勝手に繋げて考えています。

無理矢理ついでに、もう一つ光浦さんに聞いた中村医師の話。実は別府市の人口に占める障害者手帳をお持ちの方の割合が全国水準よりも高いのだそうです(調べてみると、若干古いのですがこんな数字もありました)。

背景には別府出身の医学博士中村裕氏により設立(1965年)された福祉工場「太陽の家」の存在があり、「保護より機会を」の理念の下、日本を代表する大企業と提携して共同出資会社をつくり多くの障がい者を雇用しているそうです。先ほどの数値の傾向は「太陽の家」の存在が影響しているのかもしれません。
こうした「支える精神」が街に文化として脈々とながれていることも「将来の可能性」を広げる基盤だと思います。

最後まで無理矢理な結び付けですが(笑)、「宇宙港」構想はインフラだけではなく宇宙港に集まる宇宙産業関係者、時代の先端技術者、それを目当てに集まるユーザー(富裕層)などに対する「支え」と「おもてなし」までを含めた裾野の広い民間ビジネスの大きな機会と捉えているという話を前日に聞いたばかりで、地理的にも宇宙港の話はまさに別府に再投資を促すためにあるような話だなとも思いました。

「きたこうか」に見る使い直しへの許容性(寛容性)

最後に別府駅から次の目的地に向かう際に、「高架下」が面白いよ、というお話も伺い実際に行ってみました。

駅の南側高架下「べっぷ駅市場」の入り口。
すごい活気があるというわけでもないが日常を感じる
駅の北側高架下「きたこうか」様子。
いい意味で「あやしい」魅力を感じる

どちらが良いかという視点ではなく「日常」とかけ離れかかった北側高架下に新しく入ったきた店主(見向きされなくなりつつあった北高架下に若者が中心となり使い始めたと聞きました)の挑戦的で多様な使い方(使い直し)が許容する雰囲気を感じることができたことがとても印象に残りました。
先ほどの支える、もてなすに加えて許容するという「兆し」はまさに可能性でしかないと思うのです。

他にも色々お伺いしたこともあるのですが、今回の視察記録はこの辺りで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?