さくらももこさんから学ぶ、平熱さと軽妙さ
僕は昔からさくらももこさんのエッセイを愛読している。
改めてその理由を考える機会があり、モヤモヤから辿り着いた答えが、さくらさんのエッセイはいつも僕に平熱さと軽妙さを教えてくれる本だなぁということだ。
現実の友蔵はいいやつじゃない話、ひろしは現実でもひろしな話、飲尿法の話などなど、さくらさんのエッセイはどの話も面白いが、テンションが大きく上がりもせず下がりもしない。焦ったり慌てたりするシーンはあるけど、文調は引き続きあっけらかんとしている。さくらさんの文章はとても平熱なのだ。
ただ、この平熱というものこそが、僕自身大切にしたいことである。
この世の中、常になにかしらブームが起きていて、また次なるブームを起こそうと色んな人や企業が躍起になっている。けれど、あまりの情報量ゆえに、熱を帯びてもすぐに冷めやすくて忘れられてしまう。なんか不幸だなぁと思う。
でも平熱さを持つものは、こちらに温度を求めない。独自のスタンスを変わらずに持ち続けてくれるから、好きになるかどうかの選択権をこちらに預けてくれる。だからゆっくり好きになれるし、長い時間をかけて付き合える。今ハマっているものより、そういう平熱で好きだと言えるものをたくさん持っていた方が幸せなような気がするのだ。
もう一つのキーワードは、軽妙さ。
軽妙さとは、気が利いていてうまいこと。さくらさんのエッセイは本当にそこが素敵で、何回読んでも必ずクスリと笑わせてくれる。
平熱に、ちょっとしたアクセント。そのリズムや軽やかな面白みが重たくなくて心地いい。それくらいが最高なんだよと教えてくれる。
でも軽妙さは教養がないとできないとも思う。軽妙さを作ろうとすると嘘っぽいし、平熱さがなくなる。きっとそのバランスを保とうとするより、自然にそのバランスを作れちゃうことを目指した方がいいんだろう。
でも、それこそセンスだと思うので、たくさんの経験と多くの知識、思考量が必要だなと思う。日々の継続は大切。
という、平熱さと軽妙さ。それを僕はさくらさんのエッセイから学んでいるのでした。
写生をしたわけでもないのに、気づけばさくらさんのような丸文字になっていた僕の筆跡。次に気づいた時はさくらさんのような文章を書けるようにならないものかなぁ。
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