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「怒る」と「怒り」の違いと、姿勢について

「怒る」と「怒り」について、同僚と深く話す機会があった。といっても、お昼ご飯を買いに行く間で起きた短時間のことだったのだけど、とても大事な話だったので書き記しておくべきだなと思い、いまnoteを書いている。

簡単にまとめると、

怒るは受動的で感情的なもの
怒りは理性的で自制的なもの

ということだ。

「怒る」は我慢ならないラインに相手から踏み込まれるもので、そのラインは自動的に決まってしまう。一方で「怒り」は実際に我慢できることでも、そこに自らラインを引いて能動的に起こせるもの。

ただそう考えてみると、怒りの本質はテクニカルに相手に恐怖を与えるためのものではない。

つまりは、自分の大切にしているものはここなのだと理解してもらうための一つの手段であるように見える。だからぶっちゃけ、怒りじゃなくていい。もっといい言い方を考えてみると、「姿勢」を見せられればそれでいいんじゃないかと思う。それができればお互い不用に踏み込むこともなくなり、円滑な関係になる。

ふだん僕はあんまり怒ることがなく、優しすぎると言われる。でも僕は期待をしてないだけで優しいわけではないのだが、やっぱりそう思われることが多い。(誤解を招きそうなのでフォローしておくと、信頼はする。期待と信頼は別ものだと思っている)

それが過ぎるとなめられたり、マウントをとられたりすることも少なくないから損をすることもある。そこで怒りというものが必要なのでは、という話になった。

怒りは先ほども書いた通り、感情的に怒鳴ることではない。いわばコミュニーケーションのテクニックの部類だ。姿勢の示し方の一つであるので、いろんな方法があるはず。

他の示し方をまずは研究してからと思うが、自分が生きやすく生きていくためには、そして仲間とうまくやっていくためには、多少なりとも身につけねばいけないなと思った次第なのでした。


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