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頑張るオヤジの死に方笑って階段から落ちる

服を着る(単に「着衣」の意ではなく、いやまさに今はそっちが優先なのだが、あられもない格好で転がっているので、んで、それではなく、「衣服を身に纏い愉しむ」といった意味合いでの、それ)とき以外、自分が社会や家庭の中における「所謂、女」だということは都合よく忘れておくのが良い、のかもしれない。そんなことを踏まえてしまうと、階段から落ちるしかないと心して階段から落ちてしまう。意識が。意識から先に。

押し寄せる喜怒哀楽の波と死にたさの理由の七割が「女であるから・ましてや、積極的に子をこしらえた」であることを考えると。

自分の感性をもってして、素敵だ、と感じるような造形でなければ良かったのにな、と思わせるような、おれがげいじゅつのごんげですヘラヘラ、みたいな、私の、北関東に林立する平屋のチェーン店の駐車場の敷地くらいダサくて広大なストライクゾーンの、ど真ん中に迷い込んできたラジカセ持って躍るひょろひょろしたオバケに取り憑かれてしまったらしい。

でもそれはオバケだから、チューニングしてもらって払い除ければいいじゃんねという話

中野ブロードウェイ四階に所狭しと並ぶトンデモ本に魅せられて、キャッキャウフフ

あの頃の倫理観でギリギリセーフを攻め込んだインターネット前夜のトンデモ雑誌を肴に飲む酒はうまかった
シャチョサンに大盤振る舞われた一杯五千円の酒よりうまかった
綺麗な横顔でしたね。水墨画のような

人間関係や社会の諸々の「実質」の部分の捉え方が理想的で、そう在っていいのだよな、と思わせてくれるような人との「実質」の会話のやりとりが、非常に心地良かった。

こういう人のことは輪をかけて大切にしたい(誰のことも大切にしたいと思う。うっすい博愛、それを前提として)、頭の片隅にずっと置いておきたい(私欲)。かかわっちゃって、とらわれちゃって、さあ大変

でもそれはオバケだから、音叉をね、頭上で振ってもらって払い除ければいいじゃんね、って

外出たらちょうどよく気温が下がっていてちょうどよかった、座るための公園に行って座って、さけるチーズをちょうどよい細さに裂いたやつをもらって、さらに裂きながら、また実質的な話をした。この時の会話はあまりにも実質的すぎたので、「実質的であった」ということしか覚えていないくらいだ。

帰り道に手を握ることしかできなかったが、相手はオバケなのでそれだけでも偉業。オバケにも知覚や感覚があったようで、その所作を憎からず思ってくれていた旨を告げられたため、なんのことはない、やりがいを感じた。

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