発酵させた文字列の酸味に面食らいつつ、そして顔の調子が良くないことはさておき

*デートが捗っており、浮かれていたであろう時分の記述であることを先に記しておきたい。

ん、いかめしい♡

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それぞれの思いに程度の差こそあれ。もしくは、互いのその趣旨に相違があったとして。デートというのは、ほんたうに良いものではありませんか。

季節の真ん中を堂々と味わい尽くすもよし、その移ろいに身を委ねてひたすらうっとりするもよし、季節なんてのは無視して一人で参加しても愉しい行事に二人で繰り出して、興奮を合算するもよし。気に入りのあの街のあの場所を四つの目で写して映してうつしまくるも、よし。

「デート」という語を調べてみたところ、やたらと厳しい一説に辿り着いた。

「一方が恋愛的な展開を期待していた場合、それはデートではない」。

とな。「恋愛的な展開」。
一方のみでは該当せずということか。「合意」の問題? それはそうとして。モチベーションやテンションまでは必ずしも合致しないだろう。んー。あれは? あいまいさ、はかなさ、淡いグラデとかそういう、その類の、あの……。(あったらあったで、「醍醐味」になりえるのではないか。その絶妙な不明瞭さ、みたいなものは)

近ごろは、さまざまな個人の在り方を踏まえた上での恋バナ、みたいなものを嗜んでいるつもりだったもので、この一文を前にちょっと真顔になって考え始めてしまい、なんだかテンションが下がっちゃったのだった。一旦、置いておこう。

じゃあ、一対一。色気を飛ばして言えば、サシ。
これで良いか。これで良いだろう。

同意のうえで・二名が集合して・片一方でも双方でも・恋愛感情っぽいの抱いたり抱かなかったりしてゴキゲンで・だって最低限は相手のこと好きだと思ってる同士だから・で・サシ、というものは、良い。非常に、良い。
誰がなんと言おうと、良いものは良いんだよ。

で、その機会が損なわれたとき、こちらはおそらく、相手の三倍は悔しがっている筈だ。という話。

私は、一人で過ごすのと同じくらい、デートをするのが好きだ。

三度の飯よりは、確実にデート。いわゆるデートには飯の予定が組み込まれていることが大半ではあるが、飯を食いそびれそうな――、

14時半(ランチL.O.)集合・17時半(ディナーOPEN時刻)解散

みたいな、もはやちょっと相手から嫌われていそうな時間設定をされていようとも、私はそのデートを最低限、人並み以上に楽しむことが出来るだろう。

だってデートのお相手って、憎からず思(い合)っている相手でしょう(自分から誘ったり、誘ってもらえるように接近したりして、そこにこぎつけているわけだ。そして気乗りしないような相手には誘わせない)。

その人と過ごす時間に照準を合わせて、身支度をする。
個人的には、これがデートの肝。

突然の予定にも対応できるように、どカジュアルでもゴテゴテの全身古着ルックでもロリータファッションでも就活帰りのスーツ姿でも、自分の思うカワイイを最大風速で吹かせる準備をしておくのです。いじらしい!

……いや、これは最初から最後まで自分のためだった。自己愛のピッチング練習だった。いじらしくは、ないや。



最近は、そんな感じの自分のデート好き度合いを自覚したと同時に、引きはじめてもいる。自分と子どもの衣食住、煙草、その次点くらいのところに位置している。

男とか女とかそれ以外とか、そういうのは関係なく、好きな人は好きな人だ。

敢えて言及しておこうと思ったのは、
シスジェンダーかつヘテロセクシャルの自分から見て、

男性(異性)だった場合、
恋愛的/性的なかかわりを求める・受け入れる「可能性」を孕んでいる。

女性(同性)だった場合、現段階では、自発的には恋愛的/性的なかかわりを望むことはない。

それらを前提として、
好きな人と私、このふたりにしか出来ない時間の過ごし方をして、ふたりだけの空間をつむいで、幸せを噛みしめたいのです。

重いだろう。その辺の女や男やそれ以外に、一々そんなことを思って接しているのだよ。

いや。無意識に。敢えて書き出すとその質感、量感にウッとなるけれども。自分でも。

「報われる」瞬間の為だけに、生きていると言っても過言ではない。

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