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食卓は味の記憶だ

私の実家は、自慢じゃないが料理が美味しい。

父は、私が幼い頃何故か調理師免許を取ったらしく洒落た料理が得意だ。

母は、父との結婚当初は湯豆腐しか作れなかったらしい。
だが主婦というのは偉大なもので、いつの間にか多彩な家庭料理を作れるようになったという。

長男の私。
不器用で、中学の調理実習ではお米をまっくろくろすけにしてしまったこともある。
才能はないみたい。


次男。
まず、自分では何も作れない。作らない。
私よりもやばい。


父が作るカレーライスは辛くて本格的で美味しい。

母が作る肉じゃがは無限にご飯が進む。


そんな私の家庭では、滅多に加工食品が出てこない。
納豆くらいなものだ。


朝、食後に出てくるヨーグルトは自家製。
父が牛乳から作った甘くないヨーグルト。
ドロっとしてて、ジャムを入れないと美味しくない。

少なくとも私は年に数回しか食さなかった。
ごめんね、父さん。


大学生まで、私は朝晩は実家でご飯を食べていた。
けれど、だんだん各々の食事の時間がズレていって、最終的に家族が揃うことはほとんどなくなってしまった。


それは私のバイトだったり、弟の外食だったり、父の仕事だったり。


そして、私には大切な人ができた。
実家に帰らない日も増えた。


私は、実家の食卓から姿を消すことが多くなったのだ。


朝。自分で何か作るか買うかしないとない朝ごはん。
夜。彼女と外食することが多くなった。


それは、外で暮らし始めたら当たり前のことで、彼女は当たり前にやっていた。


ある朝。
私はコンビニで市販のヨーグルトを買ってきた。

1口食べて、気づく。


「あぁ。甘い」


同時に、私の実家のヨーグルトの味を思い出す。
あれは、やっぱり酸っぱかったな。


食べてなんだか寂しいようで、新鮮なようで、やっぱり寂しいようで。


今にも、父の「食べる?」が聞こえてきそうな気がした。

あなたの生活のプラスになりますように…。