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3.書肆 海と夕焼 実店舗開業のための模索

 書肆 海と夕焼 実店舗開業のための模索 第3回目。

 2021年4月29日(木)に開業を迎える「書肆 海と夕焼」の店主である柳沼の「根源」を辿り直すことで、これから始める本屋が“趣を異にしている“と感じさせる所以を探るべく書き始めた回想。今回は社会人になってから、そして、間借り本屋を始めるまでに至った道程を綴ってみたい。

【23歳】“物語”の選択

 社会に出て会社員として働き始めたが、慣れない動作と思考に苦悩する日々であったことを覚えている。会社までの片道一時間の道のりを、本日終わらせなければならない業務を想像し、自らで肩の荷を重くする。営業部門であったために、日々の売上向上に追われ、叱責等はなかったものの、日々数字を積み重ねることは「仕事=生活をままならせてゆくため手段」でしかなかった。今振り返ってみると、その時に経験した顧客対応が元来の人見知りな性格を多少なりとも克服させるに至ったと気付くのは、まだ先のことである。真夏の暑い日に顧客先にて、一時間半以上もの説教を受けたこともあった。事前に取り付けたアポイントを、無断でキャンセルされたこともあった。すべてが今後に繋がる経験とは思えずに、ただ必死で仕事を遂行していただけの日々であった。

 そんな日々の中で思考を白紙に戻せるのは、営業の合間に飛び込む古本屋での時間であった。神奈川方面をターゲットとし営業を掛けていた時、とある東横線沿いの会社に訪問した後に吸い込まれるように一軒の古本屋に入った。均一棚を茫としたまま眺めていると、遠藤周作の『白い人・黄色い人 』(新潮文庫)が目に入った。「海と毒薬」、「沈黙」は既に読んでいたが、芥川賞を受賞したこの作品は読んだことがなかった。徐にレジへ向かって購い、会社へ戻る電車の中で読んだ。今、内容をつぶさに思い返すことは叶わない。しかし、あの時に入った古本屋に充溢する穏やかな空気と、文字を追うことで浮上するような高揚が得られたことは覚えている。天気は営業に不向きな雨催いだったと記憶している。立ち篭める鈍色の雲の下で、色褪せた古本の『白い人・黄色い人 』は仄かに輝いていた。

 それから殆ど間を置かず、名古屋へと転勤となった。本棚ひとつ分の本を携えて、名古屋へと向かった。家の鍵を受領する前日に名古屋駅へ到着し、一晩を漫画喫茶で過ごした。漫画は借りることなく、鞄に詰めた小説を読みながら狭い個室で自らの世界に閉じ篭もっていた。

 程なく転職をし、再び東京の地へ戻ってきた。この間、僅か一年の出来事である。東京へ戻ってきてから、休日に古本屋を巡る頻度が急激に増えた。西武池袋線沿いに居を構えていたため、毎週のように池袋の古書店へ足を運び、満足するまで本を買い、喫茶店で読み耽り、酒を飲んで帰路へ着く休日を繰り返した。取り憑かれたように本が増えていった。東京へ戻ってきた時は本棚ひとつに本が納まっていたものの、すぐに本棚からははみ出し当時住んでいたロフト付きの住居のロフト部分を埋め尽くすようであった。ロフトの下から書名が見えるように何度も並べ直し、悦に浸る日々が続いていた。

 転職をしたものの、平日はすぐに忙しくなった。陽が上がり切る前に家を出て、飲食店が閉まり出す頃に家へ帰る生活に徐々に身体が慣れてきてしまった。思考は働かなくなってしまった。その反動だろうか、休日は本を主に小説を読み漁った。小島信夫、安部公房、中原昌也、町田康、藤枝静男、車谷長吉、松浦寿輝、福永武彦、川上未映子。読んだ著者を羅列してみて、所謂「文学」と呼ばれる作品が多いことに気が付く。

 何故、それ程までに「文学」に耽溺したのだろうか。それはそこに“言葉でできた物語”があったからであろうと思う。仕事と趣味を押しなべて一緒くたに考えることは良くないことであるとは分かっている。しかし、仕事上で使われる言葉にどうしても違和を覚えてしまうことも事実としてあった。会議中に飛び交う言葉が時折、ただの音として聞こえることがあった。馴染みのない言葉に馴染むには訓練が必要である。必要に迫られていることは分かってはいるものの、耳に手に馴染まない言葉の中で生きていると、どうしても疲弊してしまう。その一方で、前述した「文学」は自らが思考してきた言葉に合致していて、確かな手触りがあったのである。あの時、金閣寺が燃え上がる様を三島が流麗に綴ったあの光景が深い傷のように内部でまだ疼いている証左であった。そして、言葉は“物語”として連ねられている。まるで物語を追体験しているかのような読書体験は、忙殺された生活に穏やかに沁み込んでゆくようであった。沁み込んだ風景は瞼の裏に描くことができる。生活から逃げ込む場所として、“物語”を選択した。この思いは今でも忘れられずにいる。

【25歳】訪れた地「国立」

 時を同じくして、様々な東京の地を訪うようになった。新宿、上野、国分寺、吉祥寺、下北沢。殆どの場合、書店、或いは喫茶店を訪うことと合わせて都合をつけた。そんな中で出会ったのが「国立」という地であった。

 国立は国分寺市と立川市に挟まれた小さな市であるが、まずは点在する喫茶店の多さに惹かれた。ロジーナ茶房、書簡集、高倉町珈琲、台形等。その中でも「ときの木」にはよく通っていた。国立駅から徒歩五分程のその喫茶店は、心地良いジャズが流れており(マイルス・デイヴィスがよくかかっていた)、珈琲も美味しく、読書をするには最適な空間であった。ご夫婦で経営されており、何度か通ううちに、言葉を何度も交わす訳ではないが、お互いが顔見知りと認識するまでとなった。買った本を持ち込み2時間弱くらいの間、読書に耽った。

 思えば「ときの木」の空間に憧憬を持ち始めたのもその頃かもしれない。控えめに流れるジャズを背景に、“物語”に溶け込むことのできる空間。それはありきたりのものではなく、そこに存在すべき理由があったのである。私のように“物語”に逃げ込むしかない人を抱え込んでくれているような空間に思えていた。そして、その空間が私自身が求める空間でもあったと思う。落ち着いて呼吸ができる場所、微睡むように“物語”に浸る場所に沈み込むことが心地よく感じられる時間であった。

 そして、視線を上げると国立の街全体にも、場所としての心地よさを感じるようになっていた。騒めき出すことのないような穏やかさとせせこましく横溢する感情を多く感じることなく過ごした。晴れの日に歩く大学通りにも、雨の日に駆け込む喫茶店にも息を付く場所があった。

 あの日からこの街のことを考えている。国立と出会った時は、現在の居住地に引っ越した矢先のことであったので、次に引っ越すのであればこの街であると確信した。もう少し先に、この街とより深い縁を持つことが叶うのは、まだ見えない先の話である。

【29歳】楽しさと「自分とは何者か」の狭間で

 国立にて空間を考え始めた時、同時に「楽しさとは何か」について考えていた。平日について思考を巡らせると、負の言葉しか出てこない状態に陥っていた。このままではいけないとは思いつつも、何をすれば良いのかが分からない。思考の深い箇所まで潜っていけなくなっていた。

 一度頭を整理し、思っている事象を文言にする必要がある。楽しさを感じることができる時間、それは「本に関わっている時間」であった。本を読む時、本を選ぶ時、本について話を交わしている時。それらの動作を一気に行うことのできる空間に身を置くことが、今考えられる最善の事柄であるように思えた。しかし、今更書店員として働くのは現実的ではないように感じ、部屋とは別に物件を借りて本に囲まれて過ごすことも、少し趣旨が異なっているように思えた。かつ、現在持っている蔵書を売ることが叶えば、新しい本を購う代金に変えることができるのではないだろうか。僅かばかりの甘い欲望を満たすことも加味しながらネットの海を泳いでいると、「間借り本屋」という言葉と巡り合った。

 実際の書店や喫茶店の棚の一部を借りて、自らの蔵書を売買することのできる場所が存在していることを認識した。この形態であれば、蔵書さえあれば行動することができると感じた。さらに、現在間借り本屋を営んでいる人は、自らで屋号を構え、さながら書店のように振る舞っている様が印象的である。これは面白いのではないかと、自然と胸が高鳴る実感を噛み締めた。

 振り返ってみると、当時は「何者かになりたかったのかもしれない」と感じている。一介の会社員として雑踏の中に紛れ込んでいる自分を俯瞰で見て、この様でいいのかと恥ずかしながら思春期のように感じていた。才能がある訳でも、秀でた特技がある訳ではないが、当時も“燻る”という感情を未だに持っていた。裏を返せば“熱情”に成り代わることに気付いていなかっただけなのかもしれない。大仰かもしれないが、現在の自分から脱却するための歩幅を見つけた感覚であった。そして、現在の自分から脱却することは「楽しさ」に繋がる。今までの鬱屈とした生活から自らを引き上げる思いを感じることができ、晴れ晴れとした純粋な「楽しさ」の概念が手に取るように分かった。

 それから都内に幾つかある間借り本屋を調べると、西荻窪のBREWBOOKSに辿り着いた。現在住まっている中央線沿線で行きやすく、写真で見る書店の雰囲気も気持ちが良いと感じた。そして、一から間借り本屋を始めるには手頃な価格設定であった。一度話を聞きに行かねばという使命感、或いは衝動に駆られ、BREWBOOKSへ赴いたのが2019年11月30日と記録にはある。店主の尾崎さんに「ここで間借り本屋をしてみたいのですが」と話し掛けて、丁寧な説明を受けた。BREWBOOKSを後にする頃には、尾崎さんに「一ヶ月後に準備を整えてまた来ます」と言ったことを覚えている。

 斯くして、年末年始を挟んだ2020年1月4日に、間借り本屋としての「書肆 海と夕焼」が誕生した。その時から、自らの肩書きを「書肆 海と夕焼 店主」としている。言葉にして表すことで、意識は変容する。「楽しさ」を満喫できている自分を、少しばかり受容できていると感じている。何者かにすぐに成り代わった訳ではない。しかし、何者かに変わりつつある自分に以前よりも期待できていることが、まずは大きな変化であり、この時点から先へ進む糧となってゆくのである。

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 文学との再度の邂逅、国立との出会い、そして、楽しさを模索した自分自身を問う時間。斯くして、間借り本屋「書肆 海と夕焼」が動き出した。次回は愈々、実店舗を持つにあたって、自分の内部と周辺に何が起こっていたのか、そしてその事象を言葉にして表した時に、自分はどのような言葉を発することができるのかを記録してゆきたい。

(思考は次回へと続く)

※前回(第2回)の記事はこちら↓です。

※書肆 海と夕焼を始めた時に記載したプロフィールはこちら↓です。


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