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2.書肆 海と夕焼 実店舗開業のための模索

 書肆 海と夕焼 実店舗開業のための模索 第2回目。

 2021年4月29日(木)に開業を迎える「書肆 海と夕焼」の店主である柳沼の「根源」を辿り直すことで、これから始める本屋が“趣を異にしている“と感じさせる所以を探るべく書き始めた回想。今回ももう少し私の過去に思いを巡らさせていただきたい。

【9歳】物語と現実

 小学3年生か4年生の頃に、赤川次郎氏の「三毛猫ホームズシリーズ」に傾倒したことを覚えている。おそらく両親が薦めてくれたのであろう、他に思い当たる理由はない。片山刑事と妹、そして三毛猫のホームズが事件を解決してゆく様に、単純に胸が躍っていた。確か読み終わる度に、親が次の文庫を買ってくれたのであろう。1,2冊ではなく、時間を掛けて何冊も読むことが宿題を解くことよりも楽しかった。

 その時の楽しさは、文字を読み解けることの楽しさに留まらないと思う。幼少の時より、文字を読み解くことは得意であった。町中に溢れる標識や看板、玩具の裏側に記載されている注意書きを声に出して読んでいたようだ。読み上げることができた達成感と、子供の自分を褒めてくれる周りの人の称賛を、幼い自意識で感じていた。

 しかし、「三毛猫ホームズ」を読んだ時に感じるプラスの感情は、決してその類に収まるものではなかった。何故なら、その本を開いた眼前には“物語”があったからである。文字を追ってゆくことで、想像している光景が目眩く速度で展開してゆく。主人公の会話を読むと、主人公がどのような顔をしているかが浮かんでくる。妹の少し勝ち気な性格から、その姿を想像する。自分が手を伸ばす範囲では展開されない光景を見ることができるのである。その光景に身を任せることは、スポーツをすることよりも爽快で、ゲームをすることよりも集中できた。急いて物事を思考することが苦手なだけだったのかもしれないが、次第に本を開くことが日課となっていった以上、物語を堪能することを惜しみなく楽しんでいたと言えるであろう。

 現実で営まれる学校生活に不満がある訳ではなかった。普通に登校し、勉強をし、帰宅してからは友人と遊んだ。それでも、その生活はその生活として独立しているように思えていた。まさに文字通りではあるが、本を開けば、文字を追ってゆけば、三毛猫ホームズの光景を見ることができる。その光景が“物語”に通ずることに気が付くのはまだ先のことではあるが、この時期に明確に“物語”に傾倒していった。

 「三毛猫ホームズシリーズ」は、自分の中で着実に物語の基盤を作っていった。今や発端を明瞭に思い出すことはできないが、徐々に日本文学と分類される種別の本を読み漁ってゆくこととなる。夏目漱石、島崎藤村、志賀直哉。特に志賀直哉の『暗夜行路』は、あれほどの長篇を読み切ったという達成感を初めて味わった小説であると思う。作品が何を意図しているかは全く分かっていなかったと言って良いが、結末まで辿り着いた時には、文字を追ってゆく中で繰り広げられた光景を幼心で噛み締めるように、まるで雲ひとつない蒼天の雪解けのように胸がすく思いであった。今思い返すと、当時味わった胸のすく思いは、物語をなぞることができた達成感を朧げながらに言い表しているように思う。その達成感が自信となり、また異なる本を読みたくなる。小学生ながら、循環させて読書をすることを覚えていったのである。

 一方、学校では本のことを話す機会はほとんどなかったように思う。それでも不思議と不自由は感じていなかった。平々凡々に小学校の生活を営んでいた。友人に本の話を振ることも、本を紹介することもなかった。あの頃は、物語の世界に入り浸ることに特権めいた感情を持ち合わせていたのかもしれない。入り込む余地のある世界をひとつ持っているのみで、満足していたのだ。

【15歳】金閣寺は未だに炎を上げたまま

 この頃になっても、小学生の時ほどではないが小説は相変わらず読んでいた。殊に日本文学には更に傾倒の度合いを深めていった。森鷗外、谷崎潤一郎、川端康成などである。

 その中でも最も衝撃的だったのは、三島由紀夫との邂逅である。名前を認識したのは国語の資料集であったと記憶している。『金閣寺』という題名に惹き付けられ、新潮文庫を買い求めて読み、愕然とした。読み進めることは可能であるが、立ち上がる光景に恐ろしく力が宿っていることを感じた。一文一文の重み、或いは切実さ。まるで三島の“業”とも言える感情が、書かれている文字と渾然一体となって侵入してきた。今まで読んできた物語にはない体験であり、それに気付いて目が眩むようであった。

 吃音を抱えた少年が抱く「金閣寺」の美への羨望と絶望、戦争が差し迫るにつれて犇と感じる運命の儚さ、縋るのは「金閣寺」の美の終焉——。

 当時は前述のように、感じ入った点を具体的に言葉にすることは不可能であったが、人生のままならなさを知ったかのように思えて、燃える金閣寺を瞼の裏に想像もした。その当時、環境の変化に付いてゆけず精神的に不安定であったように思う(詳細が思い出せない)。そのような状況下における邂逅としては、あまりにも衝撃が大きく、自分でもその衝撃の大きさを把握できないほどであった。

 当時は物語の細部を考え抜くことができなかった。ただ物語を読むだけであった自分では完全に理解するまでには至らなかった。何故、少年であった学僧は金閣を燃やしたのか。主題は主題のまま置いておいて、三島が紡ぐ流麗な日本語にいたく感動していた。何故三島はこのような文章を書くことができるのであろうか。何故この日本語はこれほどまでに美しいと思えるのだろうか。分からないなりに思いを巡らせることに喜びを覚えた。

 時を同じくして、高校では早くから大学進学を意識させられた。大学に行って何をしようとも考えていなかった時期であった。当然、進学する先を選定する時に迷いが生じた。すべきことが何もないではないか。その時、傍らにある『金閣寺』を見て、自分の将来と三島の文章が行く先で交われば良いと初めて思った。「大学で三島由紀夫の勉強をしよう」と思えた瞬間であった。

 その瞬間から、文学部に進学することを目標とした。三島の文章と向き合おうと。そして、なんとか文学部国文学科に入学することが叶った。近代文学を専攻して三島を研究した。三島の小説を読み漁り、卒業論文こそ『憂国』を題材としたものの、あの時『金閣寺』がなかったら、ここまで文学に傾倒することはなかったと断言できる。

 もしかすると、自分の中の金閣寺は未だに炎を上げたまま、屹立し続けているのかもしれない。

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 自分が社会に出るまでの回想はここで終わることとする。“物語”の邂逅が都度自分自身を進めてきたのかもしれない。次回は「間借り本屋」を始めた頃のことについて、自分自身を探ってゆきたい。

(思考は次回へと続く)

※前回の記事はこちら↓です。


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