子供が自分の共感力を育ててくれると思った話

自分たち夫婦は結婚して5年間、なかなか子宝に恵まれませんでしたが、6月に待望の第一子である娘が生まれました!

子供の名前に関しては、悩み悩んで考え抜いて付けたので、自分史上最高最高傑作だと思っています!笑

今は子供も嫁も里帰り中なので、なかなか会えませんが、会えた時は「知らないおじさん」にならないように、必死に媚を売っています。

よく子供がいる友達から、「子供が生まれると自分の世界が変わる」という話を聞き、自分としては実感が湧きませんでしたが、今の自分は「たしかにそうである」と強く感じます。

「自分の子供がいじめられていて困っている」という話を聞けば、今までは可哀相だと思いながらも、どこか他人事であったと思います。

しかし、自分に子供が出来た今、その問題は将来の自分に降りかかる問題であるかも。

そう考えると、「他人事ではなく、自分の問題として、自分だったらどうするか」ということを考えるようになります。

今まで透明であった他人の悩み事が、子供が生まれたということで色味を帯びて、自分の頭の中に入ってくる映像としての解像度も増すような感覚です。

ということを考えると、共感するというのは、「自分も同じ経験をすることや、近い将来、自分も同じ状況になるのではないかと思うことでしか、本当の意味で共感すること」はないと思うのです。

それが良い、悪いという話ではなく、体感として自分はそう思うという話です。

だから「色んなことを経験した方が良い」と偉い人は言うのかもな〜って思います。

少し話は変わりますが、会社で同じ研修を受けたのに、「役に立った」という人と、「役に立たなかった」という人がいます。

自分は同じ経験をしたとしても、「その経験に自分がどんな意味を付けるか」ということで頭への残り具合が違って、頭への残り具合が違うと「そこで得た知識をどう活かすか」を考える確率が違ってくると思うのですね。

どういうキッカケがあるか、または何について関心を持っていたかによって、意味付けが出来るかどうかも変わってくるとは思うのですが、子供が生まれたことで、今までの自分の枠を超えて、もっと社会的な問題にも関心を持つようになったのかなと思います。

取り留めはないですが、子供が生まれて本当に嬉しいし、「自分の子供が暮らすこの世の中がもう少し優しいものになっていたらいいのにな」と願うばかりです。

こんな事を言いながら、嫁に「もうちょっとこっちの身になって手伝ってよ」と文句を言われないように、嫁に対する共感力ももっともっと磨いていきたいと思うこの頃です。

僕からは以上でーす!

また技術ブログも運営しています。

とあるエンジニアのエソラゴト



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