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いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません

「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。」

物理学者アインシュタインの格言です。


普通に生活をしていると、色々な問題に遭遇します。

遭遇する問題に右往左往してしまったり、毅然とした態度で立ち向かったり。

問題に対してのリアクションは、起こる問題次第なのでしょうか。

できることならば、どのような問題に遭遇したとしても、堂々としていたいものです。


そのときの気分だったり、状況だったり、色々な要素により、気持ちを安定させることができないのかもしれません。

問題に振り回される度に、今後、自分の回りに問題が起こらないようにと願ってしまいます。


そんなことを願いながらも、問題が起こらないことが、本当に良いことなのかと考えることがあるのですが。。。


明確な目標を定めて、アクションを起こす。

目標が実現するまでの道程は、スムーズではない。

逆に、スムーズに進むのであれば、定めた目標が小さ過ぎるのではないだろうか。

何もかもがスムーズに進むほど、退屈なことはないような気がする。


色々なことに対して、スムーズに進まないが故の面白さを実感することがある。

起こる問題について、解決方法を模索する際のプロセスが、面白いような気がする。


独力で解決を試みる場合、どのようなアプローチで進めるのか。

実際にアクションを起こしてわかることがある。

独力で解決が難しい場合は、誰かの支援を求めたりすることもあるが、支援してもらえるか否かも含めて、アクションを起こさなければわからないことがある。


「問題」という表現を使ってはいるが、自分に起こる出来事を「問題」と捉えるべきなのかどうかを疑問に感じている。

本当に「問題」なのだろうか。

自分がそう思っているだけで、特に「問題」と思うようなことではないような気がしている。

何かが起こるということは、何かアクションを起こしているということであると解釈できれば、何かが起こっるということは、前進していると解釈して良いのではないだろうか。


経験したことがない。

同じような事象で失敗した過去がある。

相談できる仲間がいない。

問題とは、多分、そのようなことであるように考えている。


「失敗しても良い!」

という気持ちで問題に臨むことができれば、解決策は、沢山ある筈。

「失敗したらどうしよう。。。」

という気持ちが、解決できなくさせているのではないだろうか。


過去を振り返ったとき、そのとき「問題」と捉えていた事象は、「本当に問題だったのだろうか?」と感じたりすることがある。


この名言により、目の前に起こる全てのことを受け入れることができるのであれば、解決策は、たくさん見つかるのではないだろうかと思わされた。


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