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男三人兄弟両親W介護回顧録① ~今日、ママンが死んで30日~

今日はママンの1回目の月命日。

風が激しく吹き荒れる1日だった。

行きつけのショッピングセンターの婦人服売り場を通ると、母の日セールのポスターがやけに目につく。

そろそろ迎える母の日に、今年はママンにプレゼントを贈ることもできないなんて...

正月の時点では予想だにしていなかった。

今後、身に着けることはない物を買うよりも、とりあえずは花だけでもと、ママンが好きだったピンク色のカーネーションを霊前に手向けることにした。

微笑みかけるママンの遺影とは対照的に、大粒の涙がボクの頬を伝い続けて、そして雫が次々とこぼれ落ちていく。

ママンの葬儀も終わり、悲しくも被介護者がパパひとりになってしまったことで忙しさは多少落ち着いた。

しかし、時間があるからこそ、家に遺された物が目に入るたびに、一緒に歩いた風景が目の前を流れるたびに、かつて賑やかだった食卓で食事をとるたびに、ママンとの思い出が頭の中を埋め尽くし深い悲しみがドッと押し寄せる。

妻に先立たれたパパはきっとボクなんかよりももっと深くて底知れぬ悲しみを抱いているはず。

脳梗塞で3ヵ月間入院していたパパは、退院してからたった2週間しかママンと一緒に過ごすことができなかったから。

もはや表情はうつろで笑うことさえ忘れてしまったようである。

2ヵ月前、突如としてボクら3人兄弟は重い病気を患った両親二人を介護しなければならない状況に直面した。

あの頃は3人ともがママンの病気を回復させるため、パパの介護を煩わしく思ってしまうほど必死にママンの看病に向き合った。

これはそんなボクらの両親W介護の記録である。



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