見出し画像

正直に言うと気が滅入っている。|Social DistancingってほんとはPhysical Distancingでは?に気づいて楽になった回

正直に言うと気が滅入っている。こういう時期に、滅入っているような文章をwebに放流するのもどうかと思ったが、このままだと自分が保てなくなる日がくるような気がして、あるいは近い感情を抱えている人がいるのではないかと思って、自分の内面にあるモヤモヤを書き連ねてみる。

いうまでもなく背景はCOVID19である。東アジアで最初に広がったウイルスが、正直ここまで大きな世界観と価値観の地殻変動を起こすことになるとは思っても見なかった。今自分が抱えているモヤモヤとした生きづらさの感情は、ここ1ヶ月での生活の激変、ここ数日のSocial Distancingに原因がある。

そして、そのモヤモヤとした感情とその源泉を探り当てるために、文章を書こうと思い立った。というか、書かないとやってられなかった。だから感染症理解や感染対策としては整理されておらず、実用的な投稿ではないと思う。あくまで個人的な記録ということで、どうか許してほしい。
エビデンスは一部には示したが、全てにはつけなかった。事実と異なっている部分があれば、ご一報いただけるとありがたい。

ここ1ヶ月弱の出来事と感情を振り返って言葉にする。

僕はもともとそれなりのPessimistで、こういう有事には「なんとかなるだろう」式のoptimisticな予想よりも、pessimisticな想像が先走ってしまう。ただ、ベースはPessimistのくせに、好奇心は人一倍もって生まれてきてしまったので、「人はなぜこの状況をそのように捉えてしまうのか」「国家はこの不確実性をどうハンドルしてどのようにしてその意思決定に至ったのか」的な考察(妄想)に興じて、学びと面白さを感じてしまう。楽観と悲観の両輪で走る自転車のようなものだ。超めんどい。

だから、一つの状況に対して、分裂した2つの見方をしてしまう。気が滅入っている理由は、その辺にあるような気がする。自分が今抱えているモヤモヤとした感情を記述するために、少し時系列で振り返ってみようと思う。

〜3月2週目:感染者は出たけれど。マスク手洗いを粛々とやるだけな週。

数週間前の自分の精神状態をありありを思い出すのは難しいが、直前の投稿が3月11日なのでちょうど3週間ほど前、大学のゆるやかな友人との飲み会に行く途中に、神保町のカフェでpostを書いていた時のことはよく覚えている。この頃は、リモートワークによる生活の変化がありながらも、自分が複数の友人とそれなりの濃厚接触をすること、不特定多数がいるカフェにいくことに抵抗はほとんどなかった。公共性と個人主義のバランスの中で、個々人の価値観のもとで判断されることだと思っていた。

まだWHOからPandemicの宣言が出される直前で(Pandemic宣言は日本時間の3/12未明)、東京には重篤化した感染者があまりいなかったこともあり、正直脅威というよりも、「感染するときは感染してしまうのだから、個々人にできることをやるのだ」式の楽観論で覆われていたように思う。少なくとも僕はそうで、栄養をつけること、人混みは避けること、外で粘膜を触らないこと、そして手洗いを徹底することなど、自己防衛は粛々とやっていたが、友人と会うことや、外出をすることは、多少は減らしていたとは思うが変わらず行っていた。

3月3週目:これはちとやばいかも。ミクロでなくマクロで見なければと気づき始めた週

3月3週目に入り、この辺りから、風向きが変わり始めた。米国での感染者数と死亡者数が指数関数的(というか、正確には複利、鼠算式の)トレンドに乗り始めていた。

ここ数週間で膨大な数の論考や記事を読んだが、中でも自分の認識を大きく変えることになった記事として印象に残っているのは、都内の勤務医の方によって書かれた3月18日付の記事だ。平易な言葉でわかりやすい。

ミクロの視点で、自分が感染するしないではなく、マクロの視点で、集団としてどこまで感染者をコントロールできるか、という戦いであることを理解した。

すごく大雑把にいうと、肺炎は細菌性とウイルス性の2パターンがある(他にもあるが割愛する)細菌性はかなり急激な経過をたどる事が多いのに対して、ウイルス性のはそこまで酷くなる事は稀だ。ごく一部の例外を除いては、人工呼吸器やECMO(人工心肺装置)なんて付ける事などはほぼない。

それがこの新型コロナウイルス感染は、たまにこれらの装置が必要になるレベルで悪化するのである。そうなると個室のリソースだけではなく、人工呼吸器やECMO(人工心肺装置)のシェアが奪われてくるのだが、これも想定以上には余裕をもって設けられているものではない。イタリアやアメリカで新型コロナウイルス患者がアウトブレイクし、ICUが一気に満床になり医療崩壊寸前にまでいったという話を聞いた時、ようやく新型コロナウイルスはミクロでみるのではなく、マクロの目でみなくては事の本質を見誤る事に3周遅れで僕は気がついた。

それでも、東京は一見コントロールできているかのように見えていたため、正直なところ自分や身の回りの人の生命を脅かす脅威としては認識できていなかった。この頃はFTのチャートを毎日のように見ていたことを思い出す。当時のチャートが見つからなかったのでtwitterから。

LondonやNY方面から、Social Distancingという言葉が耳に入るようになったのもこの時期だったと記憶している。外出規制(敢えて自粛とは呼ばない)ではなく、Social Distancing。なるほど、とこの頃は思っていた。

3月4週目:医療崩壊を防ぐために。自分は既に感染しているという前提で行動し始めた週

そして先週に入ってから、より差し迫った形で人の命が失われ始めた。いや、もともと恐ろしい数の人の命が失われていた感染症なのだが、ようやくそれが自分の身体感覚を伴ってきた。遅いと思われるかもしれないが、正直に告白すると、僕はこのくらいのタイミングだったと思う。自分の記憶としてちゃんと記録しておきたい。

このあたりから、「自分は既に感染しているもの」として行動し始めた方が良いようだと思い始めた。3月26日の都知事会見での大曲医師のコメントは象徴的だ。

「この病気の怖さというのは、WHOが出している数字にもありますが、8割の人は本当に軽いんです。歩けて、動けて、仕事にもおそらく行けてしまう。ただ残り2割の方は確実に入院が必要で、全体の5%の方は集中治療室に入らないと助けられない。
僕が現場で患者さんを診ていてよく分かるのは、悪くなる時のスピードはものすごく早い。1日以内、数時間で、それまで話せていたのにどんどん酸素が足りなくなって、酸素をあげても駄目になって、人工呼吸器をつけないと助けられない状況になる。それでも間に合わなくて、人工心肺をつけないと間に合わない、ということが目の前で一気に起きる。ものすごく怖い。」

「医療崩壊だけは絶対に防がなければならない。」
と、そう思った。

自分の行動によって、自分の命、自分の大切な人の命を失う日がくるかもしれない。自分は死ぬかもしれない。大事な友人や親が死ぬかもしれない。通常であれば、普通に生存することのできた人が、医療資源の不足故に呼吸困難になって死ぬ。それも、隔離状態での死なので、おそらく誰とも顔を合わせることなく。家族や友人とも。

少し想像して、その死に方のあまりの残酷さに、想像することをやめた。

死とは究極の個人体験だ。死にゆく人以外に体験することはできないから。生きている人の中で、死を体験したことのある人は一人としていない。小さい頃から、死とか孤独ということについて(たぶん病的な意味ではなく)それなりに考えていた方だと思っているのだけど、未知の感染症による死というのはこんなにも恐ろしいものかと震えた。

死はその人にとっては個人的体験だが、周りの人にとっては出来事や儀式を通じた社会的体験である。駆けつける人、看取る人、送る人、残される人。様々な出来事と儀式によって、死は社会ごと化する。しかしこの感染症は、それを許してはくれないらしい。僕は死ぬことと同じくらい、それが恐ろしいことだと思った。

そしてNYでは既にその恐ろしい事態に東京よりも早く直面しているようだった。NYの集中治療専門医をされている方による、3月29日のFacebook Post。ショッキングな状況だが、目を背けるわけにはいかない。

スクリーンショット 2020-03-30 23.28.39

スクリーンショット 2020-03-30 23.28.54

「医療とは資源であり、東京が持つ医療資源の範囲内で、感染者数をコントロールできなければ大変なことになる。もう手遅れかもしれないけど。」
そう考えて背筋が凍った。都道府県ごとに公開されている、感染症病床の使用率をモニタしはじめたりした。

3月5週目、そして今日:完全なSocial Distancingをしたら自分の中にある社会性に気づいた週

僕は自分の認知にバイアスをかけるという強い意図をもって、先週土曜日(3月28日)からドラスティックに認識と行動を変えた。

自分は無症状の感染者であると想定して、試しに、人と会うことを完全にやめてみた。「自粛要請」という不思議な要請も背景にありながら、友人と会う予定はすべてキャンセルした。あらゆる予定をリモートにした。外出は2回だけしたけど、他人とはほとんど触れ合わなかった。LondonやNY、Milanが今まさに直面している状況だ。今日で丸4日がたった。

もともと僕は孤独パラメタの強い人間で、一人で行動することには慣れている。というかむしろ孤独である時間がないと生きていけない。だから、正直平気だと思っていた。

生活上は特に困っていない。仕事は多少減りつつも、あまり大きくは変わらない。外出するはずだった時間は、本を読んで、自炊して、語学の勉強して、お花を買って、ピアノ弾いて、友達と話して。昨日は魚がさばけるようになったりもした。Switchとあつ森が品薄で買えてないのだけが痛いくらい。呑気なものである。

それなのに、冒頭に書いたように、ここまで気が滅入っているのはなぜだろう。志村けんやスペインの王族はじめ、有名無名関わらず世界中で命の喪失の連鎖が続いているからなのか、海外にも国内にも遠出ができないことによる閉塞感からなのか、人と触れ合うことが自分にとって想像以上に大事なことだったからなのか、握手やハグができなくなったからなのか、演劇や映画はじめ文化的な時間と空間に触れられないからなのか、近所のジムにいくことをやめたからなのか、知り合いの飲食店や旅館や花屋が苦難に直面しているからなのか、医療従事者がギリギリの瀬戸際で戦っている中で自分が世界に貢献できることが自宅待機だけという歯がゆさなのか、シンプルに人に会って話せないことが辛いからなのか、自分も死ぬかもしれないという気味の悪い恐怖からなのか。あるいはその全てなのか。

たぶん、シンプルに言い切ってしまえば、思ったよりも自分は社会的な人間だったということなのだろう。
人がいないと生きていけない。文化がないと生きていけない。旅をしないと生きていけない。公共的なものがないと生きていけない。

今まで人類が歴史の中で営々と積み上げてきた"Publicness"というものはまるで空気のようなもので、僕は失われて初めてその存在に気づいて息苦しさに喘いでいるということなのだろう。ジムも、図書館も、銭湯も、劇場も、映画館も、コンサートホールも、パブリックスペースも、空港も、電車も、大学も、(物理的な)人間関係も。当たり前だったものがなくなっているのが、今だ。

いったい僕らは、どこまでSocialとDistancingし続けるのだろう。それはいつまで続ければ良いのだろう。もちろん、対人で2m以上の距離をとれば、とか、「三密」の条件をクリアすれば、とか、緩和条件はあるだろう。僕もそのうち、だましだましやっていくことになるのだと思う。そうしないと、どうかなってしまいそうだ。

でも、少なくともこの外出規制の成果が数字になって現れる10〜14日間は最大限の注意を払うべき期間だと僕は思う。自分にとって身近で大事な人であればあるほど、その命が失われるリスクが頭をよぎってしまう。僕らは完全に瀬戸際に立っている。

ここまで書いてようやく気づいた。

ここまで書いて、冒頭の疑問に答えられる気がしてきた。自分が今気が滅入っている理由。

東京で、今後命が失われていくであろう先取りされた恐怖感を下敷きに、感染拡大をさせないための公共性(完全なるSocial Distancing)と、自分が健やかでいるための社会性(Social Attachment的なるもの)の間で、おそらく自分が引き裂かれているのだ。どうすりゃええねんと。

そして、もう一つ大事なことにハッと気が付いた。

Social Distancingという言葉はミスリードだ。
本当は、Physical Distancingなのではないか。
Physicalではなくても、Socialであり続ける方法が、この時代にはある。
Physicalな接触を断ちさえすれば、別にSocialな接触を断つ必要はない。

さっき、アルジャジーラで同じようなことを言っている記事を見つけた。Why 'physical distancing' is better than 'social distancing' 
海外では言われ始めていることのようだ。

そこまで言葉にできて、滅入っていた気持ちがだいぶ楽になった。
人間の認知というのは本当に面白くて、行動はなんら変わっていないのに、それをSocialのDistancingとタグ付けるか、PhysicalのDistancingとタグ付けするかによって、感情は大きく異なってくる。この4日間、僕は無意識のうちにSocialを完全に断とうとしていた。Physicalを断ちさえすればその必要はなかったんだ。

Social Distancing,あらためPhysical Distancing

Physical Distancingによってウイルスを封じ込めるか、ワクチン適応が発見されるか、医療資源の範囲内で集団免疫を獲得するか、あるいは人間が身体を完全に情報化させてPhysicalを超越するか。そのいずれかの日まで。

僕にできることは、MessengerやVideo Chat、オンライン飲み会、あるいはゲームで、Social を保ちながら、PhysicalとDistancingし続けることだけだ。誇張抜きに、人一人が感染しないことは、あるいは感染しても拡大させないことは、万の命を救うことのはずだから。

そしてそれは、できることなら、耐え忍びながらではなく、楽しみながら。なぜなら、向こう数ヶ月、もしかしたら数年間、あるいはこれから先ずっと、この状況で過ごす日々が、僕らの人生になっていくのだから。

残酷な世界だなあと思う。それでも、この逃げ場のない残酷な世界を生きていかなければならない。気を滅入らせながらも、その間で、バランスを取りながらやっていくしかないのだ。進撃の巨人を思い出す。

何千万人がPhysical Distancingするという、まさにUnsung Heroesの努力によってのみ、この感染症は封じ込めることができる。医療崩壊を防ぐことができる。できることなら、歌いながら乗り切りたいと僕は思っている。

自分の大切な人が、明日も健やかに生きられますように。そして尊敬すべき世界中の医療従事者が、今日も幸運に恵まれますように。青臭いけど、生きることが日常ではなくなった今は、心からそう願っている。


画像3

(追伸1)リアルな知り合いに向けて
完全なSocial Distancingは超しんどいとわかったので、Physical DistancingしながらSocialを保つアクティビティやりましょう。オンライン飲み会、風通しの良い場所の散歩、2m離れてのお喋り、唐突なMessenger、雑談しましょうのVideo Chat、お仕事しましょうなどなど。お誘いしますし、こんなときだからこそお誘い待望してます。そして早くあつ森がやりたい。

(追伸2)Physical Distancingにつらくなって鼓舞されたいときは
3月24日に発信された英首相のBoris Johnsonの演説がおすすめ。美しいBritish Englishに心の底から鼓舞される。平時の政策的には正直どうかと思っていたけど、こういう有事対応を見て、やっぱりリーダーシップの国のエリートだと思った。回復を祈ってる。

おわり。

#Photo :Fujifilm X100F