Day8-JALのMD-11

 成田行きのJAL便は、間もなく搭乗開始になる。これで日本の土を踏める! 飛行機好きの兄さんが、私を車椅子で押しながら、嬉々として言う。
「帰りの飛行機はMD-11だ!」
 三発機だ。MD-11型機は、エンジンが3基あるDC-10を近代化した後継機で、エンジン数は同じ3基。航空ファンから”最後の三発機”と呼ばれている。てっきりB767なのかと思っていたが、よりによって珍しい機体に当たったものだ。
 三発機は好きなれど、DC-10はあまり好まない。垂直尾翼の途中にエンジンがあるスタイルが、どうも好かないのだ。同じ三発機のL-1011やB727のほうが華麗なラインである。これは好き嫌いの問題なのでどうしようもない。またDC-10は、妙に変な揺れを感じることがあった。MD-11は揺れるだろうか。ちょっと気になる。
 成田行きの搭乗ゲート前でしばし待つ。私は病人のため、最優先搭乗である。周りは日本人が目立つ。出張帰り、旅行帰りなどなど、皆、生き生きしている。この中に、よもや旅先で急性盲腸炎となり手術入院してきた者など、私一人の他はいない。なぜならば、付添人が必要なほど憔悴しきっているのは私だけなのだ。 
 アナウンスが入る。優先搭乗は、病人や体の不自由な人、次いで小さな子供連れの順だ。病人は私以外居ない。当然、車椅子姿は注目の的だ。周囲の目が一斉に私へ注がれる。
 あの入院生活で心が鍛えられた私は、そんな視線を気にするほどヤワではなかった。「当然だよ」という誇らしげな顔で、一番に乗り込む。これは凱旋なのだ。
 ああ、これで帰れる! イタリア旅行はたしかに刺激が沢山あって楽しかった。その数々の思い出は、盲腸の入院によって全て塗り替えられたのだ。あの入院の日々から解放される喜び、言葉が通じる国へ帰れる安堵。 
 次いで乗り込んできたのは、日本人少女を連れた家族である。私は後ろ向きで乗り込む。スタッフが車椅子を押してくれ、ボーディングブリッジを進む。後ろ向きなので、少女とは対面する形になった。車椅子に座っているので、少女とは背丈がちょうど同じくらいである。
「ねぇ、なんでこの人は車椅子なの?」
 しばらく私を不思議そうに見ていた少女は、ついに口を開いて母に尋ねる。気になったことはすぐに口に出してしまう年頃のようだ。隣の母親は慌てる。
 私は少女を見つめながら、真顔で静かに言う。
「盲腸だからだよ…」
 少女は回答が来るとは思わなかったのだろう。可愛らしい目を大きく見開いて驚く。隣の母親は「すいません、すいません」と頭を垂れる。きっと少女にとっても、この刹那の出会いは印象に残ったであろう。盲腸とはなにか……と。

 MD-11の前部はファーストクラスがあって、次いで2-2-2配列のビジネスクラス。私は左通路側、ギャレーの真後ろの席だ。車椅子はアイボリー基調の立派なシートに横付けされ、私は「よっころしょっと」席へ移動する。エコノミーとは比較にならないほど、ヒートピッチが広い。シートに感動していると、チーフパーサーの女性客室乗務員が話しかける。
「お話は伺っています。旅先で大変でしたね。お食事は和食がよろしいでしょう」
 彼女は食事まで気遣ってくれ、私を常に見守ってくれる。機内では日本語も普通に通じる。それだけで、いやそれがあるからこそ、安心していられる。もう、あの戦いは終わったのだ。大舟に乗った気持ちで帰国といこうではないか。
 ふと、気になったことがある。左後ろ窓側に座る、ドイツ語を喋る白人の中年男性だ。何やら大声で(たぶん地声が大きいとみた)、CAさんに片言の英語を話している。理由は分からないが、座席に関してのことのようで、懇願のような抗議のような…… 離陸後もざわついている。

 どうやら、静かなフライトは無理そうだ。

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