Day8-帰国便

 ヴェネツィアの空港での出国手続きは、ごっそりと記憶がない。医師から歩かぬようにと言われたので、車椅子で移動したと思うのだが、いまいち思い出せない。まぁいい。
 記憶にあるのは、クロスエアの高翼4発ジェット機、アブロRJ-100型機に搭乗したときである。ちゃっかり飛行機の描写を覚えているのは、単に飛行機も好きだからだ。
 RJ-100は、日本では就航していない機体である。主翼が高翼で4発ジェット機というのは、大変新鮮で物珍しかった。さらに席番は1である。その席は、定員100に対して、数席しかないビジネスクラス。このことは強烈に覚えている。
 医師はゆったりと広いシート、すなわちビジネスクラス以上のシートで帰国させるのが条件だと、保険会社へ伝えていた。なので、私が座る席はビジネスクラスなのである。ビジネスがなければファーストになっていたことであろう。

 レアな飛行機で、レアなビジネスクラス。現在であったら何もかも撮影し、記録したことだろう。しかし、このときはフィルムカメラのみでフィルム残数も無かった。貴重な体験を撮っておけばと、今でも後悔している。
 座席は黒系の革張りで、ふかふかしていた。狭い機内ではあるが、シートのピッチは申し分ない。飛行中、食事のサービスがあった。下手に口に出来ない私は、飲み物だけで我慢する。
 ものの一時間ほどでチューリッヒ空港へ着陸する。私達は一番最後に出ることになっていた。ボーディングブリッジではなく、タラップで降りる。出迎えたのは、車椅子を携えた若い兄さんが2名。彼らはボランティアなのだという。片方は飛行機が好きな様子。ウマが合いそうだ。
 タラップを降りたところから、私を歩かせない。空港内の行く先々全て、車椅子移動だった。もちろん、兄さんが付きっきりだ。スイスは福祉が充実している国ならではなのか、私はついに歩くことなく空港内で過ごすことができた。
 空港は広い。車椅子移動といっても大変だ。私はJAL便までの乗継の間、アッパークラス専用ラウンジで休むこととなった。あちこち探検したい気持ちは十分あるが、第一に体がついてこない。
 ラウンジは、ピシッとした出で立ちの凛々しい人々が多い。その中に混ざって、ヨレヨレでモスグレーのジャンバーを羽織り、髪のボサボサで半ばぼーっとする東洋人少年。傍から見ると、間違えて入室した人である。
 ラウンジでは長いこと滞在していた。酒は飲めないため、オレンジジュースをいただく。それなりに遠慮はしていたつもりだが、体は疲れている。お行儀が悪いのは承知だけれども、ソファで横になって寝るしかない。


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