Day after-抜糸

 自宅療養となった私は、とにかく風呂に入りたかった。だが、抜糸前は禁物。家族に見せた手術部分のガーゼは、相変わらず血液が茶褐色となっていて汚らしい。一刻も早くガーゼを取りたいのを我慢しながら、近所にある中堅の総合病院へ連絡する。
 イタリアで手術したものを抜糸してくれという、おそらくその病院でも大変珍しい依頼に、院内の外科医師は興味津々であったはずだ。念願の抜糸作業となった。
 抜糸は、読んで字の如く、糸を抜く作業である。糸に肉や皮膚などが付着すると痛いそうだが、そんなことも初体験なので分からない。
 担当となったのは女医であった。「ヴェネツィアで大変でしたね…」と言いながらも、彼女が興味津々だということは、言葉の端端から伝わってくる。ついにこのガーゼをとる。その瞬間は見届けたい。仰向けに寝ながらも顔を起こして、ガーゼ開封の儀をこの目で焼き付けてやる。そう意気込んでいた私は、「あれ!?」という、女医の拍子抜けした声に不安になった。 (エ?? また何か変なことが?)
「すごい、ステップルだ! これがルネサンスの技術か…」
 不安になる私のテンションに反比例して、女医は興奮してきた様子で、まじまじと手術箇所を見る。"ルネサンスの技術"と言ったのは可笑しかった。そんなに興奮することなのだろうか。何事が起きたのか分からずにいると、糸で縫合したのではなく、ホチキスで止めているとのこと。なんと!?私の切開した腹はホチキスで止められたのか? 
 とはいえ安心されたし。これはれっきとした医療用ホチキスである。正式名称は知らぬが、ここではホチキスと言おう。で、そのホチキスで縫合した箇所を見せてもらうと、フランケンシュタインのような感じで、傷痕にバチバチッと金具が7箇所止めてあるではないか。しかも、体液を拭いた痕も残っていて痛々しい。ガーゼの中はこうなっていたのか。初めて見ると、もう痛くないはずなのに痛くなってきた。
「日本ではまだ糸を使うけど、ヨーロッパでは実用化されているんですよ。いやぁ、初めて見たなぁ!」
「そんなに珍しいのですね。取る時もホッチキスみたいにやるんですか?」
「専用の器具で外すのよ」
「なるほど。ではこれからその器具で取るんですね」
「いや。ウチじゃできないな。器具がないもん。」
「あ・・・」

 せっかく抜糸できるかと思ったら、専用の器具がないとかで、まさかのお預けとなってしまった。女医は私の体をみて、というより手術のところを見て、さっきから感心している。きっと、噂に聞いていたヨーロッパの手術が目の前で見られたのだから、医者として興奮せざるを得ないのかもしれない。ううむ、簡単に抜糸できぬとは、ヴェネツィア盲腸おそるべし。 
 結局、「ここならばホチキスの手術をしているから抜糸もできる」と、紹介された病院へ後日いくこととなり、この日はきれいに消毒してガーゼで密封することとなった。事前にガーゼを外していれば、どういう状況か伝えられたのだけれども… 二度手間になってしまったのは致し方ない。

 その後、私は違う病院で無事に抜歯することができた。その器具は、内装工事で使うステップル打ちの機械に近い形をしていたと思う。私は七針を縫う手術と言っても、7本のホチキスで止められたと言ったほうがしっくりくる。現在の日本では、どんな縫合をしているのか存じないが、2001年からもう20年経ち、縫合技術もだいぶ進んでいるのではなかろうか。

 あれから20年。まだ鮮明に覚えているうちに、徒然と綴ったヴェネツィア盲腸回想録。「じつは盛っているでしょ?」と思われそうだが、そのままの体験を記した。それほど戦慄なる体験であったのだ。
 現在のイタリア、とくにヴェネツィアの手術入院事情は、このときからどう変化したのか。私は知らない。また入院したいかといえば、もうあんな体験は懲り懲りである。

 人生初の手術入院で得られたのは、しっかりと自分を主張するということだ。この経験があったからこそ、私は度胸がついたといえよう。写真家となった現在、いくつかの国へ行き、その度に多少のトラブルに巻き込まれているが、ヴェネツィア盲腸以上の体験は…まだない。

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