一発書きチャレンジ_2 命の母と、この世界と。
後手に回るのは、いつだって自分の身体とLINEの返信だ。
※ちなみに現在のLINE未読件数は1,456件である
LINE(など)の返信対応できない人って実は結構いるんじゃないかなと、密かに思っているので、今日は言及しない←後手に回るどころか、蓋をする。
さて「命の母」という、とても優しそうな乳白色+ベビーピンクの丸っこい瓶を昨日手に入れた。
まず、このネーミングである。
“生命を育む母性”を自覚したことも、実感した事も無い私にも、
「不調」はじわりじわりと忍び寄ってきていた。
寄せては返す波のように現れる小さな違和感は、
今年になって一気に満ちてきたのは確かで、
粒のような汗が顔面に吹き出たと思ったら、
とにかく疲れやすく、眠れず、節々は痛む。
そして何より驚くのは、
私の唯一の取り柄でもあった「情緒の安定」を揺るがし始めたことだ。
とにかく、怒りの沸点は数十度単位で下がっている。
つまり、イラッとする瞬間がめちゃくちゃ増えたのだ。
救われるのは、それをメタ認知できている事で、
衝動的に何か言葉を発したり、
切れ散らかしたりすることは無いものの、これはこれで、自分の中でたびたび困惑しているし、なのであまり積極的に人に会うことさえ、実はちょっと控えてもいる。
この100年に女性の寿命は2倍に伸びて、
生涯生理回数は100倍になったそうだ。
明治時代、女性の多くは生涯で50回の生理だったそうで、それが現代は500回なんですって。
毎月毎月、しっかりと訪れてはQOLを瀑下がりさせていた「生理」。
今思い出しても、腹痛、腰痛、頭痛、貧血・・・とよろず不調のオンパレードを抱えながら、よくもあんなに働けていたもんだと思う。
そんな「生理」がいよいよ不規則となり、
半年に一度しか来なくなった頃から、
スライドインするように現れたのは新たな不調。
それがTHE・更年期ってやつだと、薄々は感じていたけれど、今年はもうのっぴきならない確信に変わり、そして昨日手にしたのが「命の母」だったわけです。
ホルモンは目に見えない。だから元気な時ほど、まじでピンとこない。
更年期を語る時、セットで出てくるキーワードが「エストロゲン」というホルモンの名前だ。
私たちの身体を形作るものの多くは、目で見ることができる。
臓器だって、血管だって、骨だって、血液だって、脳だって、どんな色や形をしているのかを知っている。
ではこの「ホルモン」はどうだろう。
数字やグラフで示されることが多いそれが、果たしてどんな色でどんな匂いをしているのかなんて、まったく想像がつかない。
故に、後手に回る(これは私見)
蕁麻疹が出たら急いで皮膚科に駆け込むくせに、緩やかに訪れる、ホルモンバランスの不調については、薄らぼんやり感じるもんだから、
どこか気合で乗り切れたりもする。
婦人科に駆け込まない理由のひとつはやはり、目に見えないからなのかもと思うのだ。
※あとは私自身の意識の低さね。
生涯にわたって分泌される総量はティースプーン1杯程度という、その絶対量に対しての影響力の大きさを前にすると、もうちょっと、抗う気力さえ無くなっていたのも、ある。
そして今はといえば、私自身のティースプーンが空になったその先にあるこの肉体が「枯れていく」という事を、不思議と少し楽しみにもなってきてもいて、それはここ数ヶ月に起こった、内発的な変化でもある。
何この達観。
”目に見えるもの”の間を満たす、
”目に見えないもの”たちのことを、
感じられるようになった気がする。
目に見えないホルモンという存在に揺さぶられるように、「目に見えないもの」に価値を感じることが、一気に増えたのが、ここ数年の話。
まじで根拠は一ミリも無いのだけど、確信はある。
長くビジネスの現場にいると、やれエビデンスや数字や成果物やお金や時間や場所や・・・と即物的な世界の中にどっぷり浸ってしまう。
そうするとやがて使う言語も、具体的で、ロジカルで、因果関係が整理され、明確だとスッキリしていたし、それこそが、知性だと思っていた。
でも、どうやらそれだけじゃ無いらしいと、最近は「直感」優位に生きることを決めているのだが、目に見えないものを察知するには、まさに直感チャンネルがとても役に立つ。
それはスピリチュアルのようなふわっとした世界の話ではなくて、例えば理念とか価値観とか文化とか人の個性とか空気感とか、おざなりにしてはいけない、大切なものだとわかっていても、それを察知するには掴みどころがないものの話。
白黒はっきりできるほど明確な境界線は無く、むしろ揺らぎやすく、直接的には目に見えず、とはいえ間接的には大きな影響力を持ち、結果多くの人の行動を変え、集団の色をも変えていくもの。
そういえば、昔のお年寄りはよろず色んな話をしてくれていたし、古今東西の神話や民話の語りても長老だった。
枯れていく身体を手に入れた先にある理想の姿がおぼろげにでも視界も先に見えてきた事は僥倖でもある。
少なくとも、
人生の半分を生き抜いた私自身とハイタッチしたい気分だ。
※「一発書きチャレンジ」は、
私個人の文章を書くリハビリで、何の準備も、構想も、下書きも無く
文字通り「一発書き」で書きなぐったテキストです。