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天国にいけるとおもう


 またバイトをクビになって布団の中からお届けしています。年が明け、あらゆる災害やら何ならがすごい過密にやって来て沢山人が傷付いて、たくさん亡くなりました。とてもじゃないけどあけましておめでとうと言い難いです。

 妹は特にとても怖がりで、地震があると動けなくなってしまうので、揺れを感じたら妹に毛布をおっ被せることが私の習慣になっています。

 さて、今年も相変わらず最悪な年明けがやってきて、私は相変わらず冬場の重たい希死念慮に苦しんでいます。流石に今は迷惑なのであえて自ら命を絶たないでしょう。ええい、死んでやる!と行動に移す激情も、遺書を定期的に更新するような甲斐性も、それらを不要と判断して切り捨てる医療行為を受けるうちにぼんやりしてきました。

 そして昨年の暮れに病名が一つ増えました。過敏性腸症候群です。



(ここから少し排泄の話をします)




 女性には珍しい下痢型です。お腹が痛くてトイレから出られなくなってしまうことは中高生の時からありました。ネットで調べて多分自分はこれだろうと思っていましたが、当時は治療薬があまり無く、付き合っていくしかない病気でした。
 アルバイトを始めた私は、この病気のせいで仕事に行けなくなりました。
 お腹を壊さないように前の日の夜ご飯はおかゆにしました。ちゃんと前日にお風呂に入って、起きて、歯を磨いて顔を洗って、化粧をして、服を着て、鞄を持って、靴を履く手前で、トイレに駆け込みます。
 30分早く家を出るはずだった時間がどんどん過ぎて行き、お尻からは下痢どころかほぼ水みたいなものや、なんだかよくわからない黄緑色のネバっとしたものが絶え間なく出ています。そしてそれらをトイレットペーパーで拭くたびに肛門まわりの皮膚が傷付いて流血します。花粉症のときの鼻の下みたい……ふふ……。
 そしてどう考えても今から家を出てもバイトに間に合わない時間になり、尻をウォシュレットで何とかしようと試みながら、バイト先に電話をかけます。
 すみません、お腹が痛くて本日はお休みを頂きたいです。急なご連絡になり申し訳ありません。体調管理が至らず申し訳ありません。以後気を付けます。ごめんなさい、シフト代わってくれた方にもよろしくお伝え下さい。申し訳ありません。申し訳ありません。
 バイト先の人はいたって善良な一般人なので、あらあらお大事にね、次の出勤は大丈夫?と聞いてくれます。はい、と答えます。
 次の出勤日はまた同じことが起こります。また私はトイレで電話をかけて謝ります。
 バイトが休みになったことが確定すると、少ししてすっとお腹の痛みが引き、お尻からもあんまり何も出なくなります。
 これを一週間やりました。




(排泄の具体的な話はここまでです)





 今までのアルバイトも同じような理由で辞めてきました。大抵冬場でした。その度に腹巻きやらネックウォーマーやらあたたかいタイツやらレギンスやらウールのインナーやら、二千円しないくらいの出費と、役に立たなかったそれらの布が残ります。

 こんな人生は嫌です。
 ネットで調べると、過敏性腸症候群に数年前新薬が出たとか出ていないとか。治る病気になりつつあるような事が書いてありました。

 最寄りの消化器内科に行きました。

 どうしてこれまで内科にかからなかったかと言うと、これ以上長期的に治療が必要な慢性的な病名がついたら、自分の精神はもう持たないと思ったからです。
 月経困難症で、新しい治療法が見つかるまでは多分ピルを閉経まで飲み続けなきゃいけなくて、そのために婦人科に定期的にかかり、とても苦手な子宮頚がん検査を毎年(自治体のクーポンは二年に一度です)受けなければならないこと。
 適応障害から名前が変わって気分変調症。この病気は治らない事。恐らく私の性格と成育環境のミスマッチをベースに、お砂糖、スパイス、その他ろくでもない経験を詰め込んでこの病気になったこと。
 この二つを持ってしても、私が生きていくために私は仕事をしなければならないということ。これだけで耐え難いのです。私は弱い人間です。

 メディカルビルの四階にある消化器内科を受診し、過敏性腸症候群の薬を処方され、外階段を下りながら私はもうここから飛び降りても許されるんじゃないかと思いました。(今回の記事のサムネはその時の光景です。誰かが首でも括ろうとしたのかと思って、仲間がいるのか〜と思いましたが、普通に違うと思います)

 こんな人生は嫌です。
 こんな肉体は嫌です。

 今更かよと思うかもしれませんが、バイトに行く事を妨げる症状、排泄や排泄物の状態について何度もお医者さんに説明しました。お薬手帳を持参して、渡して、もちろん問診票にも記入して(大変でした)ほかの持病について説明したのに、処方が一部重複していて、薬局で猜疑紹介をかけて取り消してもらいました。もうこの病院嫌だなと思いました。

 治らない病気、平日の通院、高い薬。二つまでなら耐えてきました。精神科に一日、婦人科に一日、平日がなくなって、一週間は七日だからそこから二日引いた五日のうち、私が外に出て働けるのが何日か一生懸命考えてきました。そこに内科が一日加わりました。算数が下手でも流石にこれは無理だと思いました。
 どの病気も、すぐに治らず薬を試しながら様子を見て少しでもマシになる方法を探っていく類のものです。だから沢山のことを気を付けて生きて来ました。どれも頑張れば仕事ができるとされる病気で、働きながら通院して大丈夫な病気らしいです。でもそれが二つなら、三つなら?でもそれが二つや三つあっても、チョコボールのエンゼルでは無いのでオマケに何か貰える訳ではありません。

 私は賃労働に向いていない。
 はっきりそう自認しているので、前回のバイトをクビになったあと、実はマッチングアプリで代わりに稼いでくれて、扶養してくれる人を探しました。法的な契約があり、外へ出て賃労働をしなくて良いなら、とても苦手だけど女性として自分のからだを使おうと思いました。
 若さと性別の力で交際する人間は手に入れたのですが、しばらく「お付き合い」していると、元気な姿の私しか見ていない彼は「頑張れば君は仕事をできる」「俺は君を養うほど出世できない」みたいなことを言い出しました。やることやっといてクソボケが。今年中に婚約してもらえなさそうならアプリより結婚が確約されるサービスを利用してほかの人間を探します。私は女なので、婚活市場でのプライスはうかうかしていると落ちますから。

 ままならないな、と思いながら布団の中で泣いたり、病院に行ったりしていたら時間が経って、内科で貰った薬はさしてめざましく効くでもなく、バイトはクビになりました。

「色々頑張ってみたけど、結局ダメだった」

 これがこの数年で私が学んだ事です。

 私は賃労働に向いていない。
 私は恋人に守ってあげたいと思わせる事が出来なかった。
 私は勉強し、資格試験を受験したが合格できなかった。

 精神科でそのことを伝えると、できたことに目を向けようと言われました。
 できたことが思い付かないけど、数度の通院をはさんで絞り出しました。

 私は自傷他害をしていない。
 私は自分と同居の下のきょうだいの家事を(完璧でないにせよ、少しは)こなしている。
 薬は処方を守って飲んでいる。
 私は悪いことはしていないはず。
 何も成せなくても、無害で優しい病人であり続けることは出来るだろう。

 無害な病人から普通の社会人に至るまでの何かが欠落しているのだと思います。
 無力だといつも感じています。

 悪い子はどこへでも行ける。良い子は天国に行ける。
 どこかの女優さんの言葉でしたね。
 自立した大人としてのパーソナリティが出来損ないの繭の中で未完成なまま、グロテスクに幼い顔をして私は、アラサーになりつつあります。
 今も誰かに良い子だと褒められたいのです。
 醜い。
 今のところ、そこらをてくてく歩いている私に大型トラックが突っ込んで来たら、私は天国に行けるのでしょう。命が助からなければ。

 死んだ後じゃなくて生きているうちに救済されたい。溺れながら何本もの藁を両手にいっぱい持ってもがいていても、幸せにはなれないようです。

三途の川の端っこで石を積んだ方がまだ親孝行なんじゃないかと思いながら、仕送りを食い潰して死なないでいます。私に死なれる両親や祖父母が可哀想だから、私が死ぬなら彼らの命が尽きてからではないといけません。それだけの為に水を飲んだりご飯を食べたりしています。

破壊的でなく破滅的でない事柄を、これからも言うことを聞かない体をえっちらおっちら引きずっていくしか無いのだと思います。

 悪い子には成りきれないので、死んだら天国にいけるうちに、早く死んでいいよと言われたいものですが、そうもいきません。

 同じように成れの果てになってしまったみんな、しょうがないから今日も夜に眠って朝に起きようね。つらいけど仕方がないから。







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豊かに暮らすことを試みます