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ストレンジテトラ ♭.9

♭.9 よこがお

*※(1)※※
鮫川音季

私にとっては"症状"や"病態"じゃ無いんだと思う。
あくまでも「状態」の話。

異変に最初に気づいたのは、お姉ちゃんだった。

「音季ちゃん、大丈夫? なんか、最近変だよ?」

茶化すような素振りの中に、少しだけ本気で私を心配してるのがわかった。
私に過保護な姉は、どうしても一度病院で見て欲しい と聞かず、私はその日のうちにまあまあ大きい病院へ連れて行かれた。
ランドセルに「君とももうすぐお別れだね」と言って"旅立ちの日に"のアルトパートを歌ってあげてたので、おそらく小学6年生の出来事。

今思えば、自分の妹を心配して精神科に連れていく姉なんて、どっちが頭おかしいって話だ。


解離性同一性障害

これが私の診察結果。
意外とちゃんした病気だったので、自分自身
「ほぇ?」と呆気にとられた。

聞き慣れた言葉に直すと【二重人格】というもの。
心に強いストレスがあったりすると、自分で自分を守ろうとして自分の中にもう一人の人格を作り上げてしまうらしい。

一般的には"陽と陰"だったり"善と悪"だったり
"SとM"だったり"男と女"だったり。
本来の自分とは対象的な人格が形成されやすいらしいんだけど、そこんとこ私はちょっと違った。

大人」と「子ども
本来の鮫川音季の人格が「わたし
知能レベルが子どものままの人格が「
と無意識に2つの人格が備わっていた。
("私"の発音は"アタシ"に近い)

元々、子どもの頃は「私」が本来の自分で
子供らしからぬ「わたし」というもう1つの人格が私の中に生まれて、「なんかいるな」くらいの感覚があった。


それが大人になるに連れて、本来の人格である「私」と、自分の中に生まれたもう1人の「わたし」がいつの間にか入れ替わっていた。
多分「わたし」が自分に定着したのがここ5,6年。
高校卒業前くらいの話だ。

何言ってるかわかんないかもしれないけど
実は私もたまにわからなくなるんだ。


子どもっぽい「私」と 大人びた「わたし」という2人の自分が出たり入ったりして生きてきたんだけど、歳を取って本当に大人になるに連れて、"オリジナル"の自分がどっちなのかわかんなくなった挙げ句、入れ替わった。

って話だ。わかったかな。わかんないよね。


二重人格という症状は、記憶や能力は共有されない場合もあるらしいけど、私たちは記憶の共有は自然とできていた。
『互換性』がなんとかって精神科の先生は言ってた。

一般的な【二重人格】というものが【コインの裏表】だとしたら、私とわたしは神社の狛犬みたいなものだ。 

"一心同体"ではあるけど"表裏一体"では無い感じ。

"顔面と後頭部"じゃなくて"左右の横顔"みたいな
感じかな。

わかるかな。わかんないか。

現在は「わたし」という大人の自分がオリジナルで普段は生活している。

別に無理してるつもりは全然ないんだけど、無愛想で、独りが好きで、猫背で無難で空気を読んで生きてる人間だ。
たぶん、鮫川音季と言う女の子が昔からイメージしていた"大人の人間像"が"わたし"だったんだろう。
小学生くらいの頃から、たまに人格が顔を出すことがあったわけだ。
それまで全力で走り回って遊んでいたのに、急に恥ずかしくなって家に帰ったりした。

 
そして現在。
社会人として生活しているこの日々に、精神年齢10歳くらいの人格が出てしまうことがある。
思い付いたことがすぐ口に出ちゃうような知能レベルが8歳くらいの「私」がいつ出てくるのかというと、これがまた不定期ではなくいくつかパターンがある。

岬ばあと釣り堀にいた時 や
海岸のテトラポットに座っているとき
わたしは「私」に戻っていたから
柄にもなくはしゃいだり
言動は幼くおしゃべりになっていた。


1つ目のスイッチングの条件は
長時間、海を眺めたときだ。



「岬ばあ!!!!」

その結婚、ちょっと待ったぁ!の感じで勢いよくドアを開けた。

話は戻って今は火葬場。

別れを惜しむ、しめやかな空気が一変。
ホールにお集まりの岬ばあの御親戚一同が、コンビニに車が突っ込んで来た時みたいに驚いた表情で私を見る。

あぁ今
厳かな、水を打ったような
最後の別れの時間だっただろう。
それを私が今、ぶち壊したのか。
と自覚する。

空港にはすでにジェットがタクシーを手配してくれてて、私とお京は2人、岬ばあの故郷である芸西村の最寄りの火葬場まで送ってもらった。

海岸沿いを走ること15分。
その間、無意識に海を眺めてしまったので、火葬場につく頃には「」の人格が出ていた。

さっきも話したとおり、長時間、大体10分くらい海を眺めると、私は人格が入れ替わり、言動や所作が幼くなる。
その後、海から離れて20分くらいで元に戻る。
(精神科の先生が言うには【お父さんが海で亡くなってしまったこと】が自分の中で精神的外傷になってるらしい)

3人は私の"持病"のことは全て知っているので
「ねぇお京、私ね、高知って初めて来たよ」
とその一言だけで気づいたらしく、私の方を見つめて「9年ぶりね。」となぜか嬉しそうだった。


「音季、着いたよ。頑張って。」

助手席のお京に力強く頷き、私はタクシーの後部座席から飛び出した。


愛知から飛んで走って 1時間ちょっと。
遠く離れた高知県の火葬場に
ほんとに間に合った。



「あの…どちら様ですか…?」

参列者の中から、50代くらいのおじさんが一歩前に踏み出し、恐る恐る私に声をかける。

場内は線香と火の臭い。
天井からは換気扇の音がする。

「あ、いきなり入ってきて!申し訳ありません!
鮫川と申します。岬ばあ、岬おばあさんの、1番の…
えっと、友達です!お別れに来ました!」

本来9年ぶりにみんなに会う日だから、今日に限ってTシャツにジーパンというラフな格好で来てしまった。これでも一張羅だ。
参列者が真っ黒な喪服を身に纏う中、完全に私だけ浮いてる。
スイミーみたい。スイミーは逆か。

火葬炉の前に、棺の乗った台車があり、
今にも岬ばあは摂氏何千度の火中をくぐり抜けて
天国に行かんとするところだった。

「ねぇ、岬ばあ。会いに来たよ。」

形振り構わず、私は岬ばあの棺桶に駆け寄る。
幸い、蓋は開いていて顔だけ見えた。
お花や折り鶴の中に目を閉じた岬ばあの顔。
ほっぺとおでこには痛そうな傷があった。
転んでしまったのかな。
それで死んじゃったのかな。

「あのね岬ばあ。今日、9年ぶりに仲良しの友達と会う日だったの。それで私、もみじやに行ったんだけどさ、岬ばあいなくって。みんな、泣いてたよ。」

冷たくなった顔に、
息を整えながら早口で喋る。

そうかい。

たった一言それだけ。
いつもの相槌が欲しかった。

「友達がね、飛行機に乗せてくれて、愛知から1時間でここに着いたんだよ。すごいでしょ?ギンも弱ってたけど、大丈夫だよ。岬ばあ。聞いてる?」

何も答えは帰ってない。わかってるけど。

火葬式に飛び込んで来た奇妙キテレツな私の行動に、参列者一同、血の気が引いている。
そりゃそうだ。葬式に知らない女が飛び込んできて、棺桶に1人べらべら喋ってるのだから。

背中から感じる「何だコイツ」という視線が
どこか懐かしい。

中学生の3年間は毎日そうだった。
話してくれる人はいなくて
私が喋ると笑われた。

迷惑なものは無視しよう。
異常なものは遠ざけよう。
怪しいものは取り払おう。

不味い不味い、異質なものを見る視線。
私と私の友達を傷つけ困らせた、
学生時代のあの目に似ている。

今の私は完全に不審者だったけど
それでも最後に、岬ばあと話がしたい。

「ねぇ、初めてあった日。私が岬ばあにお仕事の取材した日。なんでこの仕事してるのかって、何が幸せで生きてるかって、私、岬ばあに聞かれたの。わかったの。」

ホールに1人響く私の声は
誰にも届かず消えてしまう。

色の無くなったようなお顔を見ていると、
散った花びらのような、抜け落ちた羽根のような
あぁ、もうこれは抜け殻なんだな。
と脳が理解してしまう。

岬ばあの顔を正面からしっかりと見るのは
なんだか初めてのような気がして、
あぁ、そっか。と気づいた。


私が見てた岬ばあはいっつも横顔だったんだ。
釣り堀でも駄菓子屋でも一緒に散歩するときも。


いつも隣にいてくれたんだ。 


「ねぇ。岬ばあ。わたし、わかったんだ。」

なんでこの仕事をしてるのかって。
誰のために。何のために。

ぜんぶ、全部自分の為だった。

わたしは下唇を噛む。強く。

「話を聞いてくれる人がいると、嬉しいでしょ。たぶんそれだけ。誰かと対等にお話できれば、それで満たされるんだ。わたし、他人に興味なんて無かったんだ。ほんとは。取材だ仕事だ!って、働いてる人の話を聞いてさ、自分を肯定してただけなのかも。」

こんなことが言いたかったんだっけ。
なんだか違う気がする。

「わたしが楽しくて、独りじゃないことが嬉しくて、わたしの居場所がそこにあるから、この仕事してるんだよ。」

違う。もっと違うことを言えよ。
ありがとう。って一言伝えたくて
みんなにわがまま言ってここまで来たのに。

思ったことが全て口に出てしまうくせに
伝えたい言葉が出てこない。
稚拙だ。コミュニケーションができない。
また、自分がわからなくなる。
わたしは、誰に、なんのために。
何を伝えたくて。


「鮫川さん?」

その時。
どこかで聞いたような綺麗な声が、わたしの名を呼んだ。

声のする参列者の方向に目を向け、
思い出したようにわたしは、すみません!と
天地がひっくり返るくらい頭を下げる。
顔を上げるとその中の1人、見覚えのある少女と目が合った。

「…野月さん?」

紛れもなく、あの夜。
海岸のわたしの特等席で泣いていた、
あの少女だった。




(3)

静まり返った炉前のホール。

いつかのわたしに、涙と不満と本音をぶち撒けてテトラポットの上で泣いていたあの少女が。
確かに今、目の前でわたしの名前を呼んだ。

「やっぱり鮫川さんだ…ほんとに来てくれたんですね。」

無音のホールに野月さんの声と足音だけが響く。
なんであなたが?と混乱するわたしを置き去りに、先日はすいませんでした、と頭を下げる。

「おばあちゃん、よかったね。大好きな鮫川さん、来てくれたね。」

棺桶に眠る岬ばあに向かって、野月さんが顔を近づける。

野月秋埜さん。
岬ばあのお孫さんだったんだ。
そういや岬ばあ、言ってたっけ。
もみじやはお孫さんが産まれたときに開店したって。この子だったんだ。

「おばあちゃん、鮫川さんの書いてくれたお仕事の記事、何十枚も刷って、親戚みんなに配ってたんですよ。」

野月さんはそう言うと、棺桶から無造作に大きな折り鶴を1つ取り出すと、開いてみせた。

そこにはわたしの書いた、駄菓子屋の取材の記事が印刷されていた。

何故か野月さんが得意げに微笑む。

「普段は頑固に振る舞ってたかもしれないけど、おばあちゃん、鮫川さんのことすっごく好きだったと思いますよ。」

他の折り鶴も開いてみると、やっぱりわたしの記事が印刷された用紙で折られたものだった。
なんだこれは。状況が全く飲み込めない。

風呂場でツチノコが死んでいた、みたいな
大きなあくびしたらギネス更新してた、みたいな

そんな気分。

「あの、何?これ?岬ばあ、…」

自分の書いた記事と岬ばあを交互に見て
わたしは狼狽える

「恥ずかしかったんじゃないですか。おばあちゃん、そういう人だから。」

火葬場ごと吹き飛びそうなくらいに晴れやかな笑みで、野月さんがにっこりと微笑んだ。

「さっき、自分を肯定する為に仕事してるって言ってましたけど、少なくともおばあちゃんは鮫川さんのお仕事で幸せな気持ちになってます。」

相変わらず、積極的に話す子だな。と思いつつも野月さんの言葉が新幹線のドア上の電光掲示板みたいに文字になってわたしの中を流れていく。

鮫川さんのお仕事で幸せな気持ちになってます。

だって。

「私も。ここにいる人たちもみんな。鮫川さんが書いてくれたおばあちゃんの記事を読んで、幸せな気持ちになりました。ホントです。」

わたしの仕事が、岬ばあを幸せにしてる?
わたしの仕事が、みんなを幸せにしてる?
わたしが?わたしの仕事が?


ただ、わたしは岬ばあの最後に立ち合いたくて、
悔いを残したくない一心で来ただけなのに。
ここにいる人たちが、わたしの書いた、駄菓子屋さんの記事を読んでる。らしい。
逆ドッキリ ってやつなのだろうか。

参列者の中から、男の人が1人近づいてくる。
いきなり斎場に飛び込んで来たわたしに
最初に声をかけたおじさんだ。

「母さん、最近一緒に釣りをしたり遊びに来てくれる女の子がいるって、いつもあなたの事を嬉しそうに話していましたよ。」

わたしに握手を求める。
岬ばあの息子さんなんだろう。
どことなく似ている。おでことか。

嬉しいのか恥ずかしいのか、身体中の細胞がビリビリする。たぶん、両方だ。
どんな顔をしていいのかもわからず

「なんか、悔しいです。」

としょうもない台詞を絞り出した。

「お礼を言いに来たのに、そんなにお礼を言われるなんて思ってなかったから。」

小さく息を吐いてわたしは棺桶の前に立つ。
目を閉じ丁寧にお辞儀をして、両手を合わせる。
泣いてしまうのは、勿体ない。

「ねぇ、岬ばあ。」

見慣れた、駄菓子屋のおばあちゃん。

「あの…、さっきはごめんね。変なこと言って。」

優しそうな顔のすぐ隣に
四つ折りにした自分の記事をそっとおいた。

「いつも隣にいてくれてありがとう。」

天国でもずっと隣にいてあげるからさ
また一緒にラムネを飲もうよ。




(4)

もみじやで岬ばあの死を知らされてからほんの2時間ちょっと。

奇跡の連続、とか驚異の連携プレー、なんて言い方は最高にダサいけど、9年ぶりの我らの再会珍道中は無事に幕を閉じようとしていた。

愛知で子猫のギンを診てくれてるあすみちゃんと
高知空港にいるジェットにも
「間に合いました✌」と連絡を入れた。 

火葬場の外では、お京がベンチに腰掛けて待っていてくれた。
背筋がシャンとしていて、育ちがいいなぁ、
大人だなぁ、と思う。

「ちゃんとお別れできた?」
という顔をしていたので

「うん、ありがと。」
と伝えた。

最寄りの駅までは歩いて行ける距離みたいなので
とりあえず空港に行ってジェットと合流しよう。

エントランスには野月さんが見送りに来てくれた。
岬ばあは今、火葬炉の中。
お骨になるまで1時間くらいかかるらしい。
釣りが趣味の岬ばあのことだから、気長にゆっくりと天国に行くんだろうな。
「もう焼き終わったのかい」とか言いそうだ。

枯れそうな紫陽花の真上を、名前を知らない鳥の群れが飛んでいる。
火葬場から見上げる澄んだ8月の空は、まだお昼なのになんだか夕方みたいに物寂しく見えた。


「鮫川さん、わざわざ遠いところから来ていただいてありがとうございました。不謹慎かもだけど私も家族もなんか、元気が出ました。」

野月さんがわたしとお京に頭を下げる。
喪服を着ていると、高校生の少女もなんだか大人びて見えるな、と思ったけど、笑顔はやはり高校生の少女のものだった。


「そういえば、岬ばあ、顔に傷があったけど、あれどうしたの?」

去り際わたしが聞くと、目を細めて笑っていた野月さんの顔が、冬の日本海みたいに陰った。

「怪我しちゃったんです。早朝に釣りに出かける途中で人がぶつかってきて突き飛ばされちゃったみたいで。それでおばあちゃん、打ちどころが悪くって…」

嫌な感覚がした。怖い夢を見ているみたいな。
思考と心臓と時間が
止まりそうな気配がする。

「鮫川さんが住んでる町の、あのお会いしたテトラポットの近くの、パン屋さんを過ぎた所の曲がり角なんですけど」

真っ黒な錆が身体を覆い尽くしていくように、
岬ばあとの思い出を、ドス黒いものが支配していく。
野月さんの声が、空気を伝ってゆっくりとわたしの耳に泳いでくる。

「すごい勢いで男の人がぶつかって来たらしくて。」

その時わたしはどんな顔をしてたんだろう。
頭の中に、あの日の出来事が再生される。

あの日の、アイツだ。
曲がり角の、当たり屋の、あの男だ。

最悪だ。最悪だ。
震える拳を握る。

早く、戻らなくちゃ。


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