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本当の共感って何だろう

友人と駅で待ち合わせ。私の推しのライブに付き合ってもらう。
一緒に行く人が見つからず誘ったら、「私なんかでいいの?」と推しを全く知らないにも関わず嬉しそうだった。

待ち合わせはターミナル駅。人の動きが多い。
数分遅れてしまい、見つけた友人のもとへ走る。

すると友人が推しの歌を全力で歌って踊り出す
そんなに予習してきてくれたんだ!
嬉しいやら恥ずかしいやら。

踊りまで覚えたの?と聞くと、
「誘われてから毎日聞いていたよ~。
どうせ行くなら楽しまなきゃね」
ライブ中も周りに合わせて手を振って踊ってくれた。

どうだった?と聞くと「楽しかった」と。
「どうせなら全曲みんなと一緒に歌って踊りたかったよ」

この人を誘って良かったなあと思った。
素直にその場を楽しめるって素晴らしい才能だな。
「みんなと一緒に」という言葉が嬉しかった。

その時に思った。
なぜ私はこんなにも嬉しくて気持ちよくなったのだろう。

他人の推しに共感するのって難しいことが多い。
共感ってただ相手の言うことに頷くことではない。
共感というとすぐ相手の言ったことに「なるほど」「そうだよね」「わかる」という言葉を選びがちだ。

でも、最近そんな自分に違和感を感じるのだ。
本当に心からなるほどと思っている?薄っぺらくない?

友人は「なるほど」も「わかる」も言わなかった。私の好きなものを一緒に歌って踊ってくれただけ。「だけ」なようで「だけ」じゃない。
それなのに共感してくれたのが全身で伝わってきた

共感って深く相手を知ろうとする。同じ気持ちになろうとする。
そんなことなのかもしれない。

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