意識しないと「スッキリ」にはならない

この記事を読んでつらつら思ったことなど。
このブロガーさんも書いているように「いつか」が具体的に思い浮かばないと、その「いつか」って永久に(とまでは語ってないかも、だけど)来ないんだよね…….
ただ、身内や知人に「自分が『他人にあげたもの』を『自分が思っている方法で』大事にしている」ことにこだわってる人がいる場合がやっかいで…….
「この人は(いろいろな意味で)やっかいだから、表向き相手の意向に応じたふりをしてものをもらってからしかるべき『処分(捨てる以外の方法ね)』をしよう」と形式的な感謝を伝え、ものをもらってから、団体などに寄付してというケースで「あれ、どうした??」となるのがね…….
そういう輩に限って(偏見・決めつけ失礼)、こちらがその(相手が与えようとしている)ものが本当に不要で「いらない」と断っても、それをどう脳内変換するのか「遠慮している」と解釈してこちらが根負けして受け取るまで執拗に「どうぞ」としてくる……

「もらう」ことを全否定はしないけど、本当に必要なものなら「自分の気分があがる」ものがいい、という本音もあるしね……

話は変わるけど、一度だけ「断捨離」のセミナーに出たことがある。
そのときに提唱者の方が「気づいたらたまっているもの」の例として「保冷剤」を出していた。
ケーキ屋さんなどでつけてくれるもののこととして提唱者は例示したんだけど。
「所属生協のルールで(長時間保つタイプの市販の大きい)保冷剤を持っている(けど、提唱者が例示するようなタイプの保冷剤は定期的に処分している)」と伝えたら、提唱者さんは「(あなたの場合はその保冷材は)必要だから持っているのね(という趣旨)」と返してくれた。
多くの生協は置き配対応として「(冷蔵品用の)保冷剤」と「(冷凍品用の)ドライアイス」を「生協の経費で」用意している(次の配達の時に保冷剤は発泡スチロールの箱と一緒に返却)けど、今の(一応)メインの #生活クラブ (組織されている都道府県にもよるとは思うけど、私の住まいのある都道府県での組織)は「留守する場合の『置き配』対応の容器と保冷材は自分で用意する、冷凍品保存のためのドライアイスは必要数を予測して購入する」方式。
(一時期、どうしてもその年度だけ毎回「置き配」になることがわかっていた年度があり、その時に、夏場のことを考えた量と大きさの市販の保冷剤を購入し、今に至る(出かけたりして「置き配」にせざるを得ないときもあるし、コロナ禍のときは「基本的に『置き配」の対応だったので、保冷のできる入れ物と保冷剤は必須、だったし))

もう一度ブログ記事を読み直してみて「人生に必要な『もの』」はたしかに「物」でないことのほうが多いよな、と思い返してみたりもした。
後半は「自分語り」になってしまったが…….

以下は気になった記事など:


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?