徳と市場

お人好しのすすめ 1


 この稿は、新著『お人好しのすすめ』の刊行を目指している。この新著は、前著、折原裕『徳と市場』(2019年3月、白桃書房、3000円)、同『徳と市場<普及版>』(2019年11月、鳥影社、1000円)の言わば応用編のような性格の著作として企図されている。ただし、直接の関連を持つわけではない。前著での到達点をできるだけ生かそうとしているにとどまる。前著は学問的な著作として書かれているが、新著は、表題からもうかがわれる通り、一般向けの読み物として書かれる。

はしがき

 あなたは、常日頃、自分は損ばかりしていると感じていないだろうか。しかし、損ばかりしているのは、あなただけではない。

 夏目漱石の『坊ちゃん』は、主人公の「子供のころから損ばかりしている」という述懐から始まる。坊ちゃんが損ばかりしていると述べるのは、たとえば、強がっても二階から飛び降りることはできまいと囃されて、二階から飛び降りて大けがをする。あるいは、何でも切れる自慢のナイフでも自分の指は切れまいと挑発されて、本当に自分の指を切って死ぬまで消えぬ傷痕を作ってしまう。といったことどもを指している。
 こうしたことどもは、坊ちゃんの専売特許ではない。私たちは誰しも、周囲を意識し過ぎて、ときに周囲に強がったり、ときに周囲におもねったり、言うならば周囲に支配されて行動してしまう。そこに無理があるために、損してしまうことになるのだ。

 坊ちゃんはともかく、あなたのことに戻ろう。
たとえば、仕事に慣れない新人が、コツを分からずに、簡単な作業にも難儀しているとしよう。あなたは、それを見るに見かねて、作業のコツを助言するだろう。助言で足りなければ、やって見せたりもするだろう。あなたは、その新人に対して指導責任を負っていない。だから、あなたは、出さなくともよいはずの労力を払ってしまったことになる。その結果、あなた自身の仕事が遅れたとすれば、その遅れを上司にとがめられても仕方がない。そうした場合、件の新人は(たぶん)あなたのことをかばってくれない。あなたは、新人のために労力を払ったのだけれど、その労力への見返りはなく、労力の払い損なのだ。あなたは、こうした損をよくする人に違いない。
 あるいは、街角で、かつて面倒を見ていた部下と出会ったとしよう。あなたは、なつかしさも手伝って、そこらでビールでも飲もうかなどと提案するだろう。その部下は、他社に引き抜かれていて、もはやあなたの部下でも何でもない。居酒屋でよく話してみると、今では、あなたより好待遇のポジションにいるらしい。たとえそうであっても、自分からさそったことでもあるので、あなたは居酒屋の支払いを自分のおごりにしてしまうだろう。このおごりへの見返りは(たぶん)ないので、これは払い損である。あなたは、こうした損をよくする人に違いない。

 あなたのように、人のために損ばかりしている人をお人好しと言う。この本は、そうしたお人好しのあなたに贈る本である。
あなたのお歳はおいくつだろうか。未成年者なら、お人好しであることをやめることもできるかも知れない。しかし、すでに二十年以上もお人好しで生きてきたあなたには、もはや手遅れであろう。どうせお人好しで生きるしかないのなら、お人好しをやめようとして無駄にじたばたすることはない。正しいお人好しになる方がいい。
この本はお人好しのあなたと共に、正しいお人好しになる道を考える本である。

 お人好しというのは、ほめ言葉ではない。むしろ、やや軽侮した言葉であろう。お人好しな人は、損ばかりしているから、富貴に恵まれない。きっと出世もおぼつかない。周囲から抜きん出ることができずに、凡庸の中に埋没して暮らしている。
 世の中は、人から抜きん出ることを目指す人であふれている。他人にはないアイデアを得て、大金を儲けようとする人。競争者を駆逐して、高い地位に登ろうとする人。お人好しは、こうした抜きん出ようとする争いから脱落した、敗者であろう。
 そうであるのに、この本がお人好しをすすめるのはなぜか。おいおい明らかにしていきたいが、本書は、お人好しを軽侮し、お人好しではいけないとするような、世の中の風潮にこそ、人を不幸にする種があると理解している。
 お人好しがいるからこそ、世の中は回っていく。だから、お人好しは敗者ではなく、世の中に必要不可欠な人たちなのだ、そして、人は、ある程度お人好しである方が生きやすい。お人好しは、社会全体にとっても、当人にとっても、好ましいものなのである。





 


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