自己紹介②集英社に入社するまで~ファッション編集者時代【1996年~2004年】
私は幼いころから本が好きでした。今思うと、70~80年代の子どもの娯楽って、かなり限られていたがゆえかもしれません。本かマンガかテレビか、の3択。本が好きだから出版社に入りたい、というごくシンプルな動機で就職活動を始めました。
志望書で覚えているのは、「私の原点は『ロビンソン・クルーソー物語』です」と書いたこと。
その原点とは小学校低学年、初めて『ロビンソン・クルーソー物語』を読んだ時に遡ります。ロビンソン・クルーソーが無人島で、亀の卵をゲットして食べた、というエピソードがありました。
そこで、味わってしまったのです。私も。亀の卵。ちょっと不気味でしょうか…20代くらいまで、ありありとその味を思い出すことができたくらい、味わってしまったのです。亀の卵。
ざらっとした舌ざわりと旨味、喉にそれを送りこむときの口腔内の筋肉の動き。
そこだけ特別ものすごく長い描写ではなかったと思います。ただ私は読書という体験に入り込み、空想世界に身を預け、「味わう」だけでなく「味を記憶」までしてしまった。その衝撃が、私の「本が好き」の原点なのです。
テキストの力、言葉の力、物語の力は、自分にとって自分のはじまりであり、自分が終わる、死ぬときまで自分を形づくるもの。人生の折り返し地点を過ぎた今、しみじみとそう思います。
さて1996年に集英社に入社し、ノンノに配属されました。当時、女性誌の編集者といえば花形です。ご多聞にもれず憧れていました。「ほかの部署に配属されたら、会社やめる!」くらいの勢いでした。当時は研修後、どの部署に配属されるかわからなかったのです。
この翌年、ノンノは史上最高部数である152万部を発行します(97年2.3合併号)。売上率は90%台が当たり前。80%台なんてありえない、みたいな時代。ファッション誌は売れるのが当たり前でした。
私といえば、国立大学を卒業したての頭でっかちな女で、おしゃれもファッション写真のなんたるかもわからず、入社1週間後にはスカートが短くて怒られる始末。
ぜんぜんおしゃれがわかっていなかったけど、ファッションは好きでした。そのときも、ミニスカートというものと、ミニスカートが作る着こなしバランスが好きだったのですが、社会性というものがなかった…。
配属されて7~8か月ほどたって、自分の仕事の原点となる出来事がありました。初めて自分でひとつの企画を持ったノンノが発売されたのですが、書店でそのノンノを開いて、私が担当したページを立ち読みしている人を見てしまったのです。
今みたいに、誰もが自分のSNSアカウントを持っている時代ではありません。自分が書いたものを人が読むなんて、学校で書く作文や入社志望書くらいしか経験がないのです。
心臓がバクバクして、正視できませんでした。…ジュラ紀のことではありません。ほんの27年前です。いや、就職活動の一般常識の問題で「インターネットとはなにか」という項目があった時代ですから!こうして書いていると、長く生きてるなと思います。笑
残念ながらその女の子がノンノを買うことはなかったのですが(結局、こっそりず~っと見てました)、私の仕事における原点は、今もその体験にあります。編集者は、読者のために存在する。
そして2001年、27歳の時、創刊間もないバイラに異動しました。当時は「26.5歳」がターゲット。それまでカワイイ、ナチュラル、カジュアルの世界にいた私は、突然コレクションブランドの企画を持たされてあたふた。こちらの顛末については、@BAILA編集長時代の「エディターズピック」に書いています。noteでもまたそのうち。
この1周目のバイラ時代は、人生で一番ファッション編集者を謳歌していたと思います。ビジュアルを作るのもテキストを書くのも楽しくて、出社するにも1日たりとも同じファッションをしないぞと意気込み(毎日テーマを決めていました)、ルブタンが2足で迷ったらもちろん両方買う。ファッション関連の写真集をこれでもかと買い集めたのもこの時期。貯金がみるみる減りました。
私の編集者人生において、ひとつのジャンルに心身ともにどっぷりとコミットした経験はとても大きかったです。
仕事が楽しくて、仕事がもっとできるようになりたかった4年間。そして31歳のときに、自分にとっては青天の霹靂、であった2回目の異動がありました。異動先は「50歳がターゲット」の雑誌の準備室だったのです。
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