悪意の差別と善意の差別
私は差別には2種類あると考えている。悪意の差別と善意の差別だ。
悪意の差別とは、いわば「わかりやすい差別」のことだ。数年前の相模原障害者施設殺傷事件を起こした植松被告の思想はまさにこれだ。本人にとっては正義なのかもしれないが、世間からしてみれば悪意に満ちている思想。私たちは「こんな考えの人間がいるから差別は世界から無くならない」と結論づけたくなるが、悪意の差別意識を持っている人はかなりマイノリティのはず。
私は差別が抱える一番の問題点はマジョリティが持つ「善意の差別」であり、この意識は「反差別思想」の人が持っている。
以前『障害者のヨダレは汚いのか』にも書いたが「障害者のヨダレは汚いと思ってはいけない」という善意が反差別意識として逆説的に差別意識を産んでしまっていたりする。
悪意も善意も持たず、存在を認め、足りない部分を補い合うのが本当の反差別なのだ。
【寄稿後記】
善意の差別が一番厄介って話。
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