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コスト削減交渉

年末は生産現場での厳しい折衝が続きました。
 
全米のグループで一番成績良いと言われている工場へ赴いての、更なるコスト削減の交渉です。
 
成績良いということは、筋肉質で、すでにそぎ落とすぜい肉が無い。そこを更に削り落とすよう要請しなければなりません。私は本社部門の一員として、上司のディレクターと同僚からなる4人ほどのチームで入り、どのような手法で削減を達成するのかを工場現場メンバーとともに協議します。
 
重苦しい空気、張り詰めた緊張感の場面が続きます。本社メンバーがMBAで習うような経営数字の理論を述べても、現場メンバーは猜疑心の眼でこちらを見ています。
 
現場カイゼンを進めるに当たって重要なのは現場オペレーションのメンバーと設備メンテナンスのメンバーです。私は両方の業務経験を若手の頃に積んできたので、議論の各局面で現場メンバーが見せる表情、不安や緊張がとても良く分かります。
 
この部分は他の本社メンバーとは一線を画するところです。同僚たちは名だたる国際企業の現場カイゼンコンサルタントとして経験を積んでいますが、学位を得てすぐにエリートコンサルタントとして活躍する傾向があるので、現場経験がありません。(日本でもその傾向はありますが、アメリカはなおさらです。)
 
私は現場メンバーの反応や心理を自分の中でシミュレーションしながら、それをケアするように時々言葉を入れます。そうするとそれまで緊張に固くなっていた現場メンバーの表情がほぐれ、前向きな議論が動き始めたりします。
 
本社メンバーの同僚たちはそれを目撃するものだから目を丸くします。「ヨシ(私の呼び名)、お前が言葉をしゃべるとみんなの表情が変わる。それはどういうマジックだ?何なのだ?」と訊いてきます。
 
私はこう言います。「数字や理論は正論だが、それだけを伝えても何の意味も無い。彼らの感情に繋がらなければ成果は出ない。」英語では”connect to emotion”と説明しています。
 
同僚たちは半分分かったような、まだ呑み込めないような顔をしています。それでも、チームの雰囲気が変わる瞬間を何度も目撃しているものだから、否定しようがなく、「そのテクニックのナゾ」を知りたがっている様子です。私は私で、説明したもののまだ言語化しきれていないモヤモヤがあります。
 
そこで私は2週間に及ぶ交渉の後半、2週目は交渉を続けながら、自分を「斜め上から見下ろしているかのような」メタ認知の視点を設定し、交渉中の「自分の心の動き」を観察することにしました。
 
2週目に今回最大の危機がやって来ました。これまで辛抱強く交渉に参加してきた現場リーダーの一人である係長が、突然怒鳴り始めました。時間が、要員が足りない。この状況下で更に何を削れというのか。
 
こういう時に本社の上役や同僚はよく、本社からの喫緊の要請なのである、と厳しく言います。ビジネスは厳しい。リソースが足りないからと言って手を抜くと、競合に破れ、結局は組織や工場の存続すら危ぶまれてしまうのだ。よく耳にする話し方です。
 
私はそういうのには違和感があるので、その言い方はしません。ビジネスや競合の話は正論ではあるけれど、係長の彼が日々の生活においてリアルに感じられる話ではないので彼の感情には伝わらない、と考えるからです。私は上から目線でものをいう代わりに、彼の話をとにかく聞きます。
 
怒鳴る彼の前で直立不動となり、全神経を彼の一言一句に集中して聴き取ります。そしてこう返しました。
「本当にあなたの言うとおりだ。リソースが無い中でさらなる努力をすることは大変なことだ。何が出来るのかを一緒に考えていきたいし、私に何か手伝えることがあれば何でも一緒に取り組みたい。」
何のソリューションも提起していませんが、一通りの主張を受け止めてもらった、と思った係長の表情はちょっと柔和になりました。
 
この間も「私の心を観察するメタ認知」は続いていました。そして気付いたこと。それはひと言でいうと、「敬意」です。
 
私の心の中に、心の底から湧き上がる、係長への尊敬の念がありました。だからこそ、係長から出る言葉は全てが真実であるし、ひと言も漏らさず真意を汲み取らなければならない、という気持ちがありました。
 
私は若手のころ、製造現場で生産を運営するオペレーター業務、設備故障を復旧するメンテナンス業務を数年ずつ経験したのち、それぞれのチームの長を経験してから、海外含めたグループ現場の技術指導をするようになりました。
 
製造現場ではあらゆるトラブルが勃発する中、最速に課題を解決し、生産を継続することが求められます。とても責任の重い仕事です。厳しい世界で鍛えられました。
 
だからこそ、私は現場の係長やオペレーターに、心の底から尊敬の念を持っています。たった数年で私が音を上げた仕事を、10年20年と継続しておられる。「私はたった数年で逃げ出した」という負い目の感覚があります。実際には次の役割期待が示されたから出て行ったわけで、逃げ出したわけでは無いのですが。
 
自分の心の底に敬意さえあれば、何も臆することは無い、そんな風に思いました。係長はそのあと、現場で目が合うと必ず笑顔を向けてくれるようになりました。
 
本社部門だとこんな態度が表に現れている人がいます。
「私は本社のエリートで良く分かっているのだから、レベルの低い現場のあなたに教えてあげるよ。」だとか、
「こんなことも伝わらない、レベルの低い連中だな。」とか。
言葉が丁寧だったとしても、表情で分かります。ポジションの高い人だったりするので私は「フンフン、なるほど。」などと言いながら現場のメンバーと一緒に聞いていますが、心の中では「あなたが結果を出すのは無理でしょうね。」と思っています。
 
さて、2週間私と共に過ごした同僚たちは他の担当工場へ出向いて、「こんな鼓舞をしたらチームがこんな結果を出してくれたよ!」等の喜びのメッセージをチームチャットに送ってくれます。もともと敬意の部分が心の根っこにインストールされている人たちだから、見まねで実践するだけですぐに結果が出るのですね。
 
だから、私は結局今回の気づきを言語化することはありませんでした。敬意を持っている人は元々持っているし、敬意の無い人に「敬意を持ちましょう。」と言っても何の意味も無いからです。

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