電話取りが電話を取られた話
ネット記事で「新人が電話を取るのが怖い/電話を取らない」というような記事を目にしました。
若手は下積みをするべき、という考え方も古臭くて嫌いですし、強制するつもりは無いですが、あくまで私の経験談ということで記したいと思います。
私が社会人として働き始めた頃、もう四半世紀前になります。新人として30人ほどの部署に配属された私は、みんなが電話を取らないのが気になっていました。
技術部門で直接お客と接触するわけではないことが理由だったかもしれません。電話をしてくるのは大半が取引先の業者で、商流としてはこちらがお客様、というケースが殆どです。
しかし、お給料を貰う以上は誰かお客様のために働くもの、何度ベルが鳴っても「誰かがとってくれるんじゃないか」という雰囲気でシラーッとした空気が流れることが私には受け入れ難く思えました。
私はすぐに、部署に掛かってくる電話を、席にいる間は全て取るようにしました。不在者への伝言用のメモ書式も独自で作り、頂いた用件をメモして机の上に置いておきます。
私が席にいる間は、ベルは2度以上鳴らせないようにしました。
さて、3ヶ月ほどが経って、部署にちょっと変化が現れました。
みんなが割と電話を取るようになりました。私より早く取る人はいませんが、私が雑用で手が埋まっているときなどはベル3~4回で取る人がいます。以前のようにシラ~ッとした空気でベルが10回鳴りっぱなしということがありません。
電話のベルが2回以上は鳴らない。その環境が3ヶ月続くと、ベルが10回なったときに「あれっ?」と違和感を覚えるのです。働く上での姿勢とか躾とか、そんな高度なお話しでもありません。人間は単純に習慣の生き物なのです。禁煙でも、新しい学年の友達と馴染むことも何でもそうですが、人間は何かが習慣化し始めるのに3ヶ月ほどの時間を要します。
それでもベル2つで最初に取るのは私ですから、殆どの電話を私がとっている状態で1年が過ぎ、次の4月に初めての私の後輩が入社してきました。
「電話を取るのは新人の仕事」と教えたわけではありませんが、私の姿を見て後輩も積極的に電話を取るようになりました。
やがて暫くして私にちょっと違和感が現れます。中々電話が取れないのです。もうクセが身に着いているのでベルが鳴ると反射的に受話器に手が伸びるのですが、後輩の方が早く電話を取ってしまいます。
後輩の様子を見て私は驚きました。
部署の電話は「16#」を押すと外線電話をピックアップするようになっていました。ベルが鳴ると即座に受話器を取り上げ、16#を押すのが私のいつもの動作でした。
後輩を見ていると動きが違います。ビジネス電話には「フック」というボタンがあって、スピーカー通話するとき等に使うのですが、押すと受話器を取り上げたのと同じ操作になります。
後輩はベルが鳴ると「フック→16#」を連打して、それから受話器を取り上げていました。そうすると、私が最初に受話器を取り上げている動作はムダ時間ですから、後輩の方が高い確率で早さ勝負に勝ってしまいます。
私は一年間最速で電話を取っていたものの、競争相手がいないために改善の必要が無かったのでした。そしてフックボタンを使えば早い、ということが頭で分かっても、私は同じ受話器動作を一年間、何千回としてきました。無意識で体が動くので、もう変えられないのです。
私は途端に電話が取れなくなってしまいました。後々に思い出話として聞くと、後輩も「先輩に負けたくない」という勝負の気持ちだったみたいです。
そして3年目には次の新人が入ってきました。競争相手がまた増えました。私は相変わらず自分の最速で電話を取るようにしていましたが、電話を取る回数は段々減っていきました。
さて、そんなことを続けて10年。私は組織のリーダーのポジションを任されるようになりました。
私は変わらぬスタイルで部署の電話を取っていました。フックボタンは相変わらず使わないのですが。
ある時、部下に叱られてしまいました。
「課長、電話を取らないでもらえますか?」
ちょっとびっくりしました。そんなことを言われるとは思ってもいませんでした。
雑用する暇があったら部署みんなのためのことを考える本来の業務に集中してほしい、あるいはPHSに転送を受けた若手が恐縮してしまう、あるいは対外的な体裁のことだろうか。理由は訊きませんでしたが、部下を不快にさせているならばそれはまずい、と思い、それから「電話を取らないように注意する」ようになりました。
こうなると電話を取らないことの方が難しいのです。10年間、体が覚えたことです。ベルが鳴った瞬間に無意識に左手が上がります。上げた左手を「ハッ」と気付いて引っ込めます。ベルが鳴るたびに挙動不審人物です。
というわけで、最速で電話を取ろうと10年続けた結果、電話を取り上げられた、というお話しでした。
今はもう部署電話番号、という概念すらなくなりつつある企業が多いですから、前時代の産物かもしれませんね。ですが敢えて教訓として述べるならば、何かの組織的課題を解決するときに、正論を主張することは何の変化も起こさない。ただ自分が率先して行動することのみが組織を変えていくのだと、私は信じています。
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