見出し画像

DOPING PANDAはロックバンドなのか? "It's a long - awaited hero's coming"

「DOPING PANDAはバンドじゃないだろ。三人で弾く気ないじゃん」
 高校時代の同級生の一言を今でも覚えている。
 同じ軽音楽部だった彼とはもう交流はない。
 しかし、そう言った彼の表情や情景をいまだに覚えている。
 きっとDOPING PANDAが、私にとって音楽の聴き方を決定づけたバンドだからだ。


 それは文化祭のライブに向けて練習をしていた日の夕方で、彼は私とは違うバンドで文化祭に出るベーシストだった。とても技術が高く、みんなから尊敬されていた彼とは文化祭の準備でたまたま仲良くなった。

 練習終わりにアンプを片付けている時、ふと、おすすめのロックバンドの話になった。彼は洋楽フリークでレッチリのフリーを敬愛していた。当時は彼からオーストラリアのバンド、JETを薦められ、私はあまり洋楽に明るくなかったので、彼が好きになりそうな日本のバンドとしてDOPING PANDA(通称ドーパン)を挙げた。

 彼の怪訝そうな顔をして、言いづらそうにためらったのち、ややあって、ドーパンはバンドじゃないと否定した。

 悔しかったのだろう、何を思ったか、私は咄嗟に「君が好きなBOOMBOOM SATELLITESだって弾いてないじゃん!」と洋楽フリークの彼が唯一尊敬していた日本人のバンドを挙げた。

 本当に情けない。自分の好きを否定されたから相手の好きを下げようとしたのだ。

 その日の帰り道、十字架のように背負ったギターケースを頭にガンガンぶつけながら自転車を漕ぎ、考えていたことを思い出した。
 
 DOPING PANDAがロックバンドじゃない?

 じゃあ、ロックって何だ。
 じゃあ、バンドって何だ。

 今思えば、ただ楽しいから高校に入って、軽音楽部でバンドを組んでいただけの地方の十代が考えるにはあまりに深遠で壮大なテーマだ。きっと永遠に答えは出ないのだろうとその当時も予感したが、それでも考えるのをやめられなかった。私を救ってくれるものはロックしかないと思っていたからだ。

 小学生の頃、BUMP OF CHICKENで邦ロックに目覚め、様々なバンドの曲を聴くことで辛い学校生活から救われていた私は、高校生になると軽音楽部に入り、下手くそながらギターを弾くようになった。

 まだまだ洋楽趨勢の時代だったので、部内の男子たちからは私の嗜好をロキノンと揶揄されたが、それでも邦ロックは洋楽に負けないくらいかっこいいものだと信じていた。BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION 、ストレイテナー、ACIDMAN、Base Ball Bearなどなど、今なお第一線のバンドが大きくなっていく過程とともに10代を過ごせたことは、景気が悪く、将来も見えず、一度も右肩上がりの時代を経験せずと、決して恵まれてこなかった世代を自負する自分達にとって、その不遇を埋めてあまりある幸福だと思っていた。

 だから私は、高校時代、軽音楽部というマイナーな部活で幅を利かせ、邦ロックを馬鹿にする洋楽フリークたちにもめげずに邦ロックのバンドをすすめていた。しかし、いつまで経っても、「邦ロックは海外の真似事、退屈」など奔放に斬るだけのキッズたちとの心の距離がどんどんとでき始め、ついに私は洋楽というだけで聴かなくなってしまった。
 あいつら、いつか泣かす。
 その反骨心で邦ロックのコピーバンドをやっていた。
 後に、Arctic MonkeysやFranz Ferdinand , Sigur Rosなど、やや上の世代がハマっていた音楽が日本でも解説付きで聴けるような環境が整ってくると同時に洋楽嫌いは寛解していくものの、やはり今でも好きな音楽は邦ロックに偏っている。音楽好きとして恥ずかしいが、もう「朝はパン派かご飯派」くらい育ってきた環境次第のどうしようもないことでもあるのではないかと諦めている。(内心では、そんな派閥を決めることが馬鹿らしいと思っている)

 話が脱線した。

 私がベーシストの彼に怒ったのは、きっと、洋楽派の彼が邦楽というだけで、私がおすすめしたバンドを否定したのだと感じたからだ。でも、彼が言った「ロックバンドじゃない」という言葉の意味が分からないでもないから、私も咄嗟に反応してしまったのだと思う。

 実は、私もDOPING PANDAがロックバンドなのか分からなかった。

 そもそも私とドーパンの出会いは、スペシャのフェス映像か何かだったと思う。だから、音楽に出会ったというより、ライブに出会ったという方が正しい。強面、メガネ、髭。今まで見たことがないボーカリストだ。観客を睨みつけるような視線は決して親しみを感じるものではない。それに身綺麗で神経質そうな雰囲気も異質だった。しかし、音楽は軽快で観客は幸せそうに踊り狂っている。

 三人しかいないステージでは絶対に鳴りえない音がたくさん聞こえ、打ち込みが流されているのだと分かる。今まで観たロックバンドのステージでは見たことがないそのライブシステムに打ちのめされ、しばらく呆然としていた。当時、似たライブシステムとして思いつくのは、アイドルくらいしかなく、ロックバンドが同期ものをバンバン流して良いのか? と戸惑った。

 今でこそ育ってきた環境の差は小さくなっているものの、当時、音楽に触れる機会のない地方の軽音楽部にとって、音楽=ロック、ロック=ギターロックでしかなく、メンバーの演奏で完結していないものをロック、バンドと呼んでいいのか、私には分からなかった。だから、最初の出会いで、ドーパンをロックバンドというカテゴリーに入れることを躊躇ったのだ。

 言い訳をするならば、当時、高校生の少ないバイト代ではCDは月に一、二枚買えたらいい方。シングルは贅沢だと思ってアルバムまで我慢する日々(アーティストの皆さんに申し訳ない)。だから、音楽は好きだけれど、いつも十分に聞けないコンプレックスや音楽的ひもじさの中にいた。その結果、自分が確実に好きだと思えるギターロックのバンドばかり聴き、様々なジャンルを冒険する勇気が出なかった。そんな狭い音楽体験では、初めに触れた邦ロックのギターロックこそがロックであり、バンドだと刷り込まれるのは無理もなかった。

 しかし、ボーカルのフルカワユタカはロックスターを自称していると知り、本人たちがロックバンドと思っているならそうなのだろうと納得することにした。そうでなければ、私にとってドーパンはアイドルと同じ括りになってしまう。それは違和感があった(当時はアイドルを毛嫌いしてました、今では普通に好きです)。

 偶然ドーパンのライブ映像を見てから、ロックにはノリが良いという他に、踊れるロックがあるということを発見した。もちろん、数多あるロックには昔から踊れるものがあったことを今では知っているが、私にとってその出会いがドーパンだった。
 その意味で、私にとって、ドーパンは発見で発明だった。ギターロック以外にも無数にロックの形はある。この世はロックにあふれているということを教えてくれた。
 この体験を他の人にもしてほしくて積極的に布教していた。その過程で高校時代のベーシストの彼のように、全員が鳴らした音楽こそロックであり、ロックをやるための人員が過不足なく揃っているのがバンドであると主張する人間に出会うことも少なくなかった。今思えば彼らは彼らなりにバンドというスタイルを愛し、バンドを信じていたのだ。しかし、彼らの信念や気高さを私は理解していなかった。ただ頭の固い人間たちだ、くらいにしか思っていなかった。むしろ、こんなに良いバンドを認められないのはかわいそうだくらいに思っていたと思う。(Mステに出た際の尖りに尖った「ロックに平手打ち」発言もあったから、そのビッグマウスは手放しに賞賛できなかったけれど)

 ドーパン=踊れるロック

 この単純明快な式が自分の中にできてから、ドーパンが出す楽曲は、特別だった。いつだって、ロックバンドは自由だと思わせてくれた。しかし、それが、いつしか、ドーパンの出す曲はファンク寄りの難解なものになっていき、自分の中にあった単純明快な式が成り立たなくなっていくのを感じた。その音楽を熱心に追えなくなっていく戸惑いを抱えているうちに、ドーパンは解散してしまった。

https://natalie.mu/music/news/63484

 当時、ニュースを観て涙が出るくらいに悲しかったことを覚えている。

 それは、踊れなくなったから、彼らを熱心に応援できなくなった自分自身への悔しさからの涙だった。

 ロックは自由だなんて、聞こえの良い言葉を使いながら、結局、自分が型にはめた聴き方をしかしていなかった。そして、応援することをやめてしまった。ドーパンは私にとって初めてファンを辞めたバンドになった。そう自覚した瞬間に、バンドが解散してしまった。ただ偶然のタイミングだったのに、なぜか、自分はずっとこの罪悪感に苛まれることになるのだと予感した。

  その罪悪感を少しでも拭いたくて、私は音楽を聴く上での誓いを立てた。
 せめて、これからは型にはめてバンドを応援しないようにしよう。
 そのバンドの新譜にしっかり向き合っていこう。
 それが一度ファンになったバンドに対して私ができることだ。

 その決意を持った時に、応援しているバンドのスタイルがこれまでと大きく変わっていく経験した。

  そのバンドが、Base Ball Bearだった。

 これまでの青春的爽やかさ(のちの小出さんの言葉を借りれば「君と僕」フォーマット)を歌うギターロック、ポップの路線だけではなく、ファンクなモードの楽曲も「C2」あたりには多く見られた。

 それまでのギターポップ、ロックサウンドからの変化に戸惑ったが、脳裏によぎったのはDOPING PANDAだった。そしてすぐに「ああ、きっと、新しいことがしたいのだな」と受け止めることができた。(きっと同じようにファンク路線だったことも大きい)その上で、過去の楽曲をもう一度聴き込むと、後追いながら、そういえばこれまでも毎回過渡期の実験的なバンドだったのだなと理解が深まった。型にはめず、理解しようとする歩みをやめなくてよかったと思った。

 だから、Base Ball Bearのサポートで、フルカワユタカが参加するというニュースが出た時に、えも言われる感慨があった。そして思い出した。そうだ。ロックスターはギターヒーローでもあるのだ。ライブでスターのステージングを観れば、ファンがDOPING PANDAやソロを聴くようになるかもしれないと嬉しくなった。

https://spice.eplus.jp/articles/102481
 
 そのニュースがあってから、私も、勝手な罪悪感を感じて、解散以来遠ざかっていたフルカワさんの音楽も熱心に聴くようになっていき、バンアパの原さんとのMVを「丸くなったなぁ」など、笑いながら観れるほどになった。そして、ある日、Base Ball Bearも参加したフルカワユタカのライブでDOPING PANDAとして一夜限りのライブを披露したニュースを知り、その場にいなかったことを本気で悔しいと感じた。

https://youtu.be/scUN34RK9C0

 いつからか、もう二度とDOPING PANDAが観れないのは寂しいと思うようになっていった。一度集まれたなら、次もあるのではないか。そんな甘い予想が心のどこかにあった。しかし、それは、ファンとして今のフルカワユタカを追っていこうという気持ちとは相反する望みのように思えて、必死に考えないようにしていた。

 だから、今回の再結成のニュースを観た瞬間、その場で声を上げるほど驚いた。何に感謝をすればいいのか分からないけれど、ありがとう。もし、感謝を述べるなら、それぞれが積み重ねた時間、人生なのだろう。


 MVの"DOPING PANDA will take you to the higher ground"のメッセージに、ずっとついていきたいと本気で思える。
 DOPING PANDA 「Imagine」
https://youtu.be/AsfjW23Wm_k


 一度離れた私は名乗る資格がないのかもしれないけれど、DOPING PANDAを愛する覚悟を持って、あえてここに書き記しておきたいと思う。

 I'm a ドーパメイニア!!
 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?