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赤ちゃんだってできる

一、ニ、三、四、五、六、六、六、、、六、

いま、何回目だったか。
私は両手にグッと握った鉄の棒を胸に引き付けていた。視界には白い蚊のようなものが飛んでいる。酸欠だ。呼吸は酷く荒かった。
頭の中で数字を数える。ただそれだけのことが私には出来なかった。
私は、胸にこの棒を引き付けた回数だけ数を数えるのだ。
棒の先は中央をロープで結ばれており、滑車を介して約八十キロ分の錘がぶらさがっている。
鉄の棒は私の掌に食いついて離さなかった。
実際には私が食らいついていたのだが、鉄の棒のほうも私に食いついているように感じられた。
私は実家にいた犬のピットの若い頃を思い出した。
いま私がぶら下がっているのが、ラットプルマシンという名前だからなのか、このマシンを扱うとピットブルのピットの事をどうしても思い出す。
ピットは、一人っ子の私を可哀そうに思った父が、私が三歳の頃に迎えた犬で、犬種がピットブルだからピットだった。
今思えば安易だなと思ったが、ピットと私は、兄弟のような関係でそれほど由来については気にしなかった。
ピットとはよく公園で木の棒を引っ張り合う、棒引きの遊びをした。
ピットは顎の力が強く、棒を引いて子供の私を引きずっては得意げにしていた。しかし棒引きも私が成長してくると、私の方がピットを引っ張るようになった。ピットは私に引きずられながら、ウンウンうなった。そして私がピットに根負けするまで決して棒を放そうとしなかった。
木の棒の選定が甘いと棒が折れることもあった。この時は引き分けということになる。
そして私は今、自分の体重より一・五倍重いウェイトをスタッキングしたラットプルマシンにぶら下がっている。
「ピット、離せよ。離せばこの勝負は譲ってやる」
ピットは負けず嫌いだった。
成長した私はよくピットに勝ちを譲ろうとしたが、ピットはその条件を飲まなかった。停戦協定はいつでも有利な国にあるが、ピットと私はその点においては対等だったかもしれない。
ピットは、私が棒引きで引っ張ることに勝っていても決して諦めなかった。徹底抗戦、それがピットの姿勢だったのだ。
棒引きは端から見れば犬と飼い主の遊びなのだが、私たちの間では勝ち負けのある戦いでもある。こうなると勝敗はどちらかが負けたと思った時なのだ。
六、六、六、六、、、
私も今ラットプルマシンと戦っている。
私はピットの粘り強さを思い出しながら心の中で数えている。絶対に鉄の棒を離したくないと思った。
なぜ私は自分より一・五倍も重いウエイトを引っ張っているのか。限界が近づくとよく湧き上がる自問自答だった。
六、六、、、、
そして、なぜこの先の数字が思い出せないのか。
小さな子供の頃、よく父と風呂で十まで数えたがあの時よりもキレが悪い。
肘の周りの関節が軋む感覚がする。実際には鳴っていないのだろうが、ミシミシと骨がなっているような気持になる。
背中は全面にわたり灼熱感を持っているような気がする。
ピットもこんな風に感じていたのだろうか。私は筋肉トレーニングをしながら、身体の調子とピットのことを交互に考えていた。
ピットは健康診断では二十五キロと雄のピットブルにしては小柄だった。
対して、棒引きで勝ち始めた九歳の頃の私は三十五キロで、小学校ではやや身体が大きい方だった。つまり、ピットに勝ち始めた頃の体重はピットのおよそ一・五倍ほどだった。
七、七、七、
さっきまで六だったはずだから、次は七だろうという憶測でラットプルマシンを引いた。トレーニングが限界に近づくと過去のことに思いを巡らせてしまい、数字が数えられなくなる。
深夜のトレーニングジムの中は、私以外に中年の男性がいるのみで、ときおり彼の押し殺した息使いが聞こえてくる。
彼はトレーニングジムの中の筋肉トレーニングマシンを中心に順番に行っているようで、頻繁にマシンを変更している。対して、私は今日は仕事が忙しく時間が押してしまったのでラットプルマシンのみをやっていて、マシンの座椅子はしっかり温まっている。
もし私が奉公人なら「お殿様、ベンチを温めておきました」と言って、褒められるかもしれないが、ここはトレーニングジムだ。
ラットプルマシンの動作はちょうど懸垂の形によく似ている。
しかし、私は懸垂は高いところが苦手だし、落下を考えると自分を追い込めないので懸垂をあまり好まなかった。
ところが、この街灯のような姿のラットプルマシンは、マシンに向かい合わせの座椅子に座り、頭上の自転車のハンドルのようなバーを胸に引き寄せるだけで、懸垂と同じ動きができる。うっかり他のことに集中しても今のようにバーにぶら下がるだけだ。
集中力が移ろいやすい私には安全なマシンなのだ。
七、七、七、七、、、
先ほどからここで止まっている。ラットプルマシンを十回出来なくなるまで引くのが私の日課になっていた。
なぜこんなになってまでマシンを引くのか、考え始めていた。
私はピットと会えなくなってから散歩の習慣がなくなり、塞ぎがちになっていった。元々、社交的ではなく内向的だというのもあるかもしれない。大人になり一人暮らしを始めると事務仕事ということも手伝い、あっという間に運動不足になった。
それから会社の同僚の勧めで、会社の福利厚生にあるこの二十四時間営業のトレーニングジムに来て運動することになったのだ。
このジムは無人なので、初めは勝手が分からず、トレーニングジム内のマシンを適当に1周して帰るというのを繰り返していた。それでも、だんだん身体つきが変わってきた。
身体つきが変わると少し前向きな気持ちが生まれ始めていることに気づいた。
その頃、私の会社はフィットネスブームが到来しており、徐々に身体が引き締まっていく私のことを同僚は褒めてくれた。
実はテレビで人気の筋肉芸人がそんな芸風を持っていて、フィットネスブームに乗っている人たちの間では過度に褒めては謙遜するという彼のギャグだったのだが、テレビを持たない私は私は軽く謙遜するも、素直に受け取り内心喜んでいた。
本心でなくても褒め言葉というものは私にもっと頑張ろうというモチベーションを与えてくれた。
し、しち?し?四?五?
マシントレーニングを始めた頃を思い出していたら私はまた数を忘れてしまった。さっき引いたときは、いくつだったのだろうか。
手首のスマートウォッチのタイマーは44分を過ぎていた。もうラットプルマシンを40分以上やっている。マシンにぶら下がって休みながらなので実際の運動時間はもっと短いだろう。
周りを見渡すと、深夜のトレーニングジムには私だけになっていた。
深夜で一人のジムで、ラットプルマシンの鉄の棒にぶら下がる男を、監視カメラから見守る管理者はどう思うのだろうか。いや、きっと寝ているかスマホをいじっているだろう。職務怠慢な管理者の姿を想像して一人納得した。
私はラットプルマシン越しに見える監視カメラの右下の赤いランプの点滅を、厳しく睨んでから視点を手前に戻した。
マシンの横には『一人三十分まで』と、ラミネートされた張り紙が張られているが注意書きは無視することにした。きっとバレない。
私は再び、ラットプルマシンを胸に吸いつけながら筋肉の疲労が回復するのを待った。
形式だけでも心は付いてくるというのは本当だった。
私はまだ筋肉トレーニングに熟練しているわけではないが、見よう見まねのこの動作は私に必要な運動を与えてくれるし、身体を動かしたあとは気分が晴れていた。というよりは疲れで何も分からないという方が正しいのかもしれないが、それは私からピットと会えない当時の私の深い悲しみを取り除いてくれた。
「何のためにそんなに鍛えてるんですか」
フィットネスブームが終わると、ジムを勧めた同僚が質問した。私は回答に困った。
鍛えているつもりはなかった。強いて言えば、身体の変化を楽しんでいて、扱う重量が少しずつ増えていくのは確実な成長を私に与えてくれたからだがそれは目的とも違った。
仕方ないので
「重いの持ち上げた時、達成感があるからかなあ」
と答えた。
「じゃあ大会とかでないの?」
それだけ熱中しているなら大会に出て当然だろうという様子で、それが社会の意見の代表のように感じた。
私は出ないと言って、そのあと誘われたラーメン屋を断った。
その頃の私は食事にも気を遣うようになっていた。以前は何となく同僚と食べに行っていた中華やファストフードにはあまり行かなくなった。
かわりに、弁当を持参するようになっていた。
ブロッコリー三個、ミニトマト五粒、解凍したミックスベジタブル百グラム、キャベツとレタスを八分の一サイズ分の千切りのサラダに皮無しの蒸し鶏を百五十グラム。これが基本だった。
仕事の昼休みになると、コンビニに行く。
その日の気分に合う具が入ったおにぎりを四個ほど購入し、持参したサラダにデスクに社内共用の冷蔵庫に入れてあるノンオイルドレッシングを合わせるのが私の昼食になっていた。
毎日これを自分のデスクで食べていた。
いつも同じサラダを食べることで、体調の変化を細かく感じることが出来た。
日によって量が多く感じたり、少なく感じたりした。それによって私は自分の体調を管理していた。
「佐々木さん、ストイックですよね。いつもバランスの取れたご飯。みんなとも食べに行かないし、」
昼休みのオフィスには、上京してから入社3年目の田中と私しかいなかった。デスクで斜め向かいの彼女は昼休みになると、よく私に話しかけてきた。
彼女も弁当を持参していて、すぐに食べるとデスクに突っ伏して昼寝をして昼休みを過ごしていた。
「ストイックですかね。私はただ細かいことを考えるのが面倒なだけなんです」
私は栄養を気にするようになっていたので、栄養管理のしづらい外食は面倒に感じていた。
「それでも普通は好みのものとか食べるじゃないですか。あとは…コミュニケーションとか?そういうの抑えててすごいです」
「すごいのかなあ。」
そう言うと弁当を食べ終えた田中はデスクに伏せて寝始めた。
田中は毎日違った弁当を食べていた。今日は鶏そぼろと雑穀米にノリ玉のふりかけをかけていた。
それを見て、ブロッコリーが欲しいなと思ったが黙っていた。彼女が何を食べようと彼女の自由だ。
私は彼女の言葉の意味を考えた。好みのものを毎日食べてしまったら慣れてしまいそうで、本当に美味しいと感じるのか私には分からなかったのだ。
ピットに会えなくなってからの私の生活は全て無味で、無感動だった。
以前はラーメンも餃子も美味しかったような気がしたが、ピットに会えなくなってからは身体が受け付けなかった。ラーメンの水面に浮いた油や、餃子からあふれ出る肉汁は、グロテスクに光って見えた。それを体内に摂取すると胃がぎゅっと締まり吐き気を感じた。
厳密には味を全く感じないわけではなかった。
口に入れた瞬間は味はするし、ちょっとした高揚感もあったが頭の中はピットとの思い出でいっぱいで食事には集中できなかった。
食事は働くための作業になっていった。、
それから栄養のことに関心がいくようになると、口に入れた瞬間の高揚感は、高脂質と高糖質により脳からドーパミンが発生するせいだと何かの論文で読んだ。
人間はこの時の脳内で起きる快感は麻薬やモルヒネを投与された状態に近いらしく、これと食事での楽しい会話経験がリンクすることで、高脂質食の外食が楽しくなるらしい。
私は漠然と筋肉トレーニングをしているし、カロリーの高いものは必要だろうという理由から、初めは同僚に連れて行かれたラーメン屋でカロリーの高そうな油淋鶏を追加注文して何個も食べていた。ラーメンと餃子、油淋鶏を食べると酷く眠くなり、悲しみも和らいだので心地の良い眠気だと思っていた。
しかしそれが、ホルモンのせいで興奮していたのだと分かると、もう無理に食べる必要はないなと思った。
それから栄養バランスを見直し、いまのような食事になった。
思い返すと、心から感激するような食事はほとんど無かったように思えた。私が子供の頃のバースデーパーティーくらいだっただろうか。
でも覚えているのは家族の明るい笑顔と、ピットに犬用のケーキを食べさせたことくらいだ。
それでも時折、心の健康も必要だと思い断食法がある事を知った。
十数時間や数日の断食を試してみたときは、食事がおいしいと思ったこともあったが、ニ口ほど口に含むと三口目からはもう食事は、やはり作業となった。
やがて一時的な興奮のためにとる食事で、やっと心が宿りそうになっている身体を台無しにしたくないという思いが勝っていた。
私は完全には無感動になったのではなく、ピットとの別れから塞ぎ込んでしまったことにより、心の花壇に分厚い灰の雪を落としてしまったのだと思った。
しかし、それが身体を動かし始めたことによって、少しずつ周りを整理し、灰が取り払われたのだと思った。
新しい私が芽吹こうとしているのを感じていた。あと少し、あと少しでピットの思い出と共に心が再開花する可能性を感じていたのだ。
七、七、七、七、、、
たしか七だ。
田中との会話を思い出してからラットプルマシンが再び動かなくなった。
私はピットとオフィスでの昼休みのことを交互に考えていた。
外食と楽しい思い出の接続。私にとっての新しい組み合わせが、ピットとオフィスの昼休みになっていた。
田中と話し話すようになって何年経ったのだろう、会社の昼休みは相変わらず私と田中だけだった。社内で内装のレイアウト替えによる席替えが起きても、田中は私の斜め向かいのデスクにやってきて、弁当を食べながら話しかけてきた。
私は話しかけられてもピットのこと、その日のトレーニングのこと、読んだばかりの論文のことを考えていたから、適当に相槌を打っていた。
確か先週のことだった。
「佐々木さん、今朝のニュース見ましたか」
「なに」
私はチキンを食べながら田中に適当な返事をする。
「植物状態だった家族が意識を取り戻したっていう話です」
「ふーん」
私はおにぎりに手を伸ばした。今日の具は鮭だ。
「家族が毎日、声をかけていたみたいですよ」
「そう」
私は短く答えて、植物人間のことを考えた。
それから文字通りの植物の姿の私を想像した。
私の心の花壇では深い雪に埋もれた私がいて、発芽のタイミングを待っていた。悲しみに埋もれてしまった私の芽もいつ芽吹くのだろうか。
などと考えてから、三個目のおにぎりに手を伸ばした。
その後は田中が話し終えるまで「そう」とか「うん」、「すごいね」を繰り返して食事に集中していた。
八、八、八、
ラットプルマシンを引くための棒は依然私に吸いついている。トレーニングの最中だった。
もうすぐで十だが、少し休めばあと二回なんとかいけそうだった。
私は今度は、ピットとの棒引きを思い出した。このラットプルマシンの動きはピットと棒引きをしていたことを何度も思い出させた。
そして、一・五倍の重さに達したこのラットプルマシンは、九歳三十五キロの私と戦う六歳二十五キロの犬のピットの気持ちそのものなのだと思った。
格闘技のマッチングならとんでもない階級差だ。
しかし、これを引ききれれば、私はピットともっと深い所で魂がつながるように思った。そして魂がつながるとき、植物となっている私が新しく生まれ変わる予感がしていた。
だから、絶対にマシンの棒を離したくなかった。
八、八、八、
数を数えるなんて、子供にだって出来る。
犬のピットだって、英語でワンと言える。
あと二回、あと二回だけなのだ。
私はあと二回をカウントダウンすることにした。一と二なら数えられる、赤ちゃんだってできる。
二を引けば、あとはピットがワンと吠えるだけだ。
しかし今の私は、いくら休んでも二回引ける自信が無くなっていた。
「おい、ピット。僕はいま負けそうだ。ピットならどうするんだ。一・五倍重い僕と戦っていた時、引っ張られながら何で棒を離さなかったんだ。」
私は私の中に宿っているピットに声をかけた。
ピットは以前、沈黙したままだ。
私が『にー!』と叫ばないと『ワン!』と吠えない、そう決めているようだった。
散々遊んできたから、鉄の棒に食らいついて離さない私はピットになっていた。
今なら分かる。
棒を引くピットは私はもちろんだが、自分とも戦っていたのだと思う。
額から大粒の汗が流れ落ちた。
棒はいつだって手離せるが、自分から手離すのと、引っ張り負けて手離すのでは訳が違うのだ。ピットはそれを理解していて、自分の限界まで食いついていたのだと思う。
今日、限界までかぶり付ければ私が戻ってくると思った。
私はピットとの思い出と田中の話が交叉し始めていることに気が付いた。
「佐々木さん、何というか犬っぽいとこあるんですよね。

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