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「モリのいる場所」★5.0~局地的TOKYO2021映画祭の7日目

「舞台が東京」縛りで作品選びをしていると、特に近年の作品では、同世代の都会人(あるいは人間)が、物質的にそこそこ満たされた生活のなかで「誰かから肯定されること」を渇望していて、それゆえの生きづらさとかがテーマになる(or なりがちな)んだなあということに気づくわけですが、そもそもそんなこたぁどうでもいいんだよ、という世界ももちろんあって、そっちに行ってみるのもまた、快適に生きるためのひとつのソリューションであります。

こんにちは、ユキッ先生です。

オリンピックの期間中、「東京を舞台にした映画を観て感想を綴る」シリーズの7日目です。

今回私がサブスクでいただいたのは、こちら。

2018年公開の映画で、鑑賞したのは1時間39分の「レンタル版」です。

あらすじと概要をコピペる

見出しおよびスタッフの項目の編集は筆者。

■スタッフ
監督・脚本:沖田修一
音楽:牛尾憲輔
■あらすじ
昭和49年の東京。30年間自宅のちっちゃな庭を探検し、草花や生き物たちを飽きもせずに観察し、時に絵に描く画家モリ(94歳)と、
その妻秀子(76歳)。52年の結婚生活同様、味わいを増した生活道具に囲まれて暮らすふたりの日課は、ルール無視の碁。
暮らし上手な夫婦の毎日は、呼んでもいないのになぜか人がひっきりなしにやってきて大忙し。
そんなふたりの生活にマンション建設の危機が忍び寄る。陽が差さなくなれば生き物たちは行き場を失う。
慈しんできた大切な庭を守るため、モリと秀子が選択したこととは―。

なぜ選んだか:そろそろ感情も夏休みに入りたい

正直そろそろ作品選びに疲れてきていてw
チューするなよ! みたいなことを毎回祈る気力がないし、戦争起こったら本編も長くなるし、とにかく毎日アホみたくめたくそ暑いので、何か涼やかな、穏やかなやつないですか… ってアマプラ画面をブラブラしていたら、出会いました。

本編の時間も(いまどき珍しく)2時間ないし、強烈なメッセージとか発してなさそうでちょうどいいやと。なんせ物語上の主人公が94歳と76歳の夫婦ですから。さらに、それを演じるのが、山崎努(正確には”たつさき”です)さんと樹木希林さんだし。

あらすじからイメージしたのは「先生と迷い猫」でした。
偏屈爺さんと、突然現れて彼を惑わせる魅惑のおキャットさまと、その傍らでずっと爺さんを見守っている妻の構図。「先生と迷い猫」の老夫婦も【イッセー尾形×もたいまさこ】という文化系女子の首がもげる納得組み合わせでしたが、この作品の【山崎努×樹木希林】ってもう、神の域じゃないですか。

熊谷守一さんのことは存じ上げなかったのですが、自宅は現在区立美術館になっているそうで、舞台となった庭は豊島区にあったようです。

バーチャル帰省してきた気分

モリ先生の視線さながらに虫や小動物の生態を観察するような映像、自然の環境音が楽しめます。来客を象徴する革靴の上を這うてんとう虫、長靴の中からぴょこっと顔を出すアマガエル、モリ先生のひげの中を進むアリ、敷居を横切る尺取虫…ちょっと出来すぎたシーンかなと思うほどですが、シンプルに観ていて楽しい。ETVの「なりきり!むーにゃん」以上では…?

養老孟司先生と猫が出てくるドキュメンタリーとか、ベニシアさんの日常を観ちゃうタイプの人(私だ)には、それだけでも感動があるかもしれません。

モリ先生、たたずまいは完全に仙人ですが、庭の動植物に向き合う姿は同時に子どものようでもあって、ちょうどいま、保育園送迎の道でお花や虫や店の軒先の金魚を見るのに立ち止まって凝視しているわが子の姿とも重なります。そして、小学校の登下校の道すがら、「スイカの味がする」といって雑草をむしって茎を吸ってみたり、友人と用水路のヒルを集めて砂盛りにしてみたりしていた、かつての私自身でもあるような。

庭の動植物の生態をゆっくり丁寧に追う映像も素晴らしいんですが、それを含めた自然音のクオリティにも驚きました
ちなみに、エンディングでなにがしかの音楽が流れるかな…できれば流れないで…特に、唐突に歌詞のある楽曲はやめてけれ…と観ていたら、この自然音をフィーチャーしたエンドロールになっていたので、安心した次第です。

バーチャル帰省、ならびに幼少期のあの感覚にタイムトリップさせていただきました。モニター越しに貴重な時間をありがとうございました…。

正面向き合ってみてもさして意味がないから、斜めの関係性のみに生きよう

1日、というか生涯のほとんどを自宅の庭で過ごす「静」のモリ先生に対して、いろんな人が家に登場しては、先生(と奥様)に影響を受けて去っていく「動」のエピソードが際立つわけですが。

遠く信州から訪ねてきた依頼主のために旅館の看板文字を書くのも、カメラマンやTVに密着されて日常を撮られるのも、電話で褒章の連絡を受けるのも、天皇陛下に作品を評価されるのも、「正面向き合って、正面からボールを投げたり投げ返すのを多くの人が期待するシーン」で、全部が全部、斜めにボールが投げられてくるんですよw
もうここまで来ると心地よいというか、日々、他人に対してなにがしかの行動を勝手に期待しているこちら側の常識の価値を問われてくる。

そんななか、基本的に何にも動じない先生が、たまたま「下界」で小学生の女の子と邂逅する一瞬も、珠玉の「斜め」な反応でした。
あと、青木崇高演じるマンション建設会社の人とだけ、「利害関係の一致」に着地するのも具合がちょうどよいです。

「斜め」その極めつけが夫婦の関係。愛情とか、腐れ縁とかもすでに超えている。なんせ94歳と76歳だから。
奥様が、加瀬亮演じるカメラマンに、「あなたは(私たちの)仲がよさそうな写真ばかり撮ろうとする」って一括するの痛快でしたね。

カレーうどんとすきやき

なぜか人がひっきりなしに訪ねてくるモリ先生のうちの、食事にまつわる印象的なエピソードが、どちらも圧巻です。

まずはカレーうどんのくだり。
うどんを作っているときに近所の奥さんが「作りすぎたから」ってカレーのお鍋を持ってくるシーンからの、出されたカレーうどんをうまく食べられない先生。その「食べられなさ」の表現力。観ているこっちが「うああぁぁああぁあ!」ってなる、あの演技力がすごい。
そして食べ終わってからの、あのひとことの説得力。あれは94年生きてないと無理だw

そして、私の大好きなすきやきのくだり。
(ちょっと気分の良かった美恵ちゃんが)お肉を買いすぎたから、奥様が「誰か若い人を呼ぼう。よく食べる、独身の」って、隣のマンション工事の人たちを招いて宴会にしちゃうシーンはもう、思い出すだけで涙が出そうですよ。現代人の考える単純な構図で考えると、「敵陣の兵士に振る舞う」ってことですえ。
でも、お肉があるんだから仕方ない。

図らずも先日、「若者のためにとんかつを揚げる人生」という話を書きましたけど、あのマインドです。

いや…、マインドとかじゃないかも。「ただそこに肉があった」ということのほうが、この世界では重要な気がする。

ある意味、人に対しては、最終的には全肯定なんですよ。モリ先生と奥様にとって、それは特に優先度が高くないから。

これは中年以上のための「となりのトトロ」なのでは

そういうわけで、このシリーズのなかではめずらしく、社会学やコミュニティ論を離れて手放しで喜んで視聴してました。

選んだ理由のとこで「強烈なメッセージとか発してなさそうでちょうどいいや」っていってますけど、「考えるな、感じろ!」というのがある意味メッセージなのかもしれないですね。

中盤にちょっとオーバーなコメディ演出が一か所あって、それで星0.5減かな…って思ってたけど、三上博史が二度目に登場したシーンがある意味ダメ押しで、なんだかどうでもよくなったので減点やめました。
若い頃に「茶の味」観てるから、(微妙な男女の安易なチューで終わる以外)大概のことは許せるんですよ。
「考えるな、感じろ!」ですよ。

個人的には、「中年以上のためのとなりのトトロ」みたいな名作だと思いますけど、皆様におかれましては、いかがでしょうか。老いていく過程で、また繰り返し観たい作品です。

そういうわけで、星5.0[★★★★★]です。

カバー写真 / 小笠原で見つけた外来種。生態系のこと考えるとあんまりよくない種

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