見出し画像

「やわらかい生活」★3.5~局地的TOKYO2021映画祭の6日目

東京でもしも引っ越し先を選ぶとするなら、浅草橋か蒲田ですね。あとやっぱり中央線沿線が楽しげ。あくまで家族でなく個人で暮らす前提の話ですけど。
以前も書いた通り、月に1回、東京へ泊まり出張していた時期があり、当時顔を出す必要のある職場は新宿だったんですが、いい機会なので毎回好き勝手なところに宿取ってました。ホテルだけでなくゲストハウスとか。
あ、蔵前とかも良かったな。

こんにちは、ユキッ先生です。

オリンピックの期間中、「東京を舞台にした映画を観て感想を綴る」シリーズの6日目です。

今回私がサブスクでいただいたのは、こちら。

公開は2005年です。
先にいっておくと、このジャケット写真とタイトルに騙されてはいけない。

手頃な予告編動画が落ちていないな… それもこの作品の位置づけの難しさを表している気がする。
(動画検索したら存在するけど、公式や映画サイトでないから割愛)

あらすじと概要をコピペる

監督:廣木隆一
脚本:荒井晴彦
原作:絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」(文春文庫刊)
製作:川島晴男/石川富康/渡辺純一
プロデューサー:森重晃
アソシエイトプロデューサー:永田芳弘
音楽:nido
両親と親友の死をきっかけに躁鬱病になった優子は、それまでに輝かしいキャリアを捨てて、東京・蒲田に引っ越してきた。お気に入りの街での気ままな独り暮らしは、彼女の心を解きほぐしたが、大学時代の友人との再会、従兄弟の上京、繊細なチンピラ、痴漢されて知り合った男との逢瀬などが、彼女の心をときどきざわめかせる…。
寺島しのぶが、『ヴァイブレータ』の廣木隆一監督と再び組んだ人間ドラマ。大切な人の死によって、人生をドロップアウトした女性が、マイペースかつ手さぐりで生きる姿を、リアルに映し出した作品。まさにヒロイン優子の人生を生きた寺島しのぶが素晴らしく、ヒロインの心の傷が痛いほどひしひしと伝わってくる。またやさしいダメ男を演じた豊川悦司ほか、松岡俊介、田口トモロヲ、妻夫木聡など魅力的な男優たちと、舞台となった蒲田の街の素朴な味わいにひきつけられる女性映画の傑作だ。原作は芥川賞作家・絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』。(斎藤 香)

再度いいますが、上記サムネジャケット写真のようなふんわりした感じ、コピーの「それとな~く幸せ」を期待しすぎてはいけませんよ。

なぜ選んだか:原作既読、同布陣の前作も好きだったから

原作、絲山秋子さんの『イッツ・オンリー・トーク』は読んていて、映像化を知ったときには嬉しかったのですが、この作品、脚本をめぐってわりとエグい訴訟問題になっており、物語よりもそちらのほうの記憶が強くなってしまってました。

監督・脚本・主演が同じ布陣で制作された「ヴァイブレータ」も、大好きな浜田真理子さんの挿入歌目的で観ましたが、世界観は共通してます。

廣木監督はその後、「娚の一生」(これも原作漫画が好きで、映画は未見)も手掛けられてるんで、たぶん「都会で疲れ果てて自意識が複雑骨折し、なにがしか人生変えたいOL」というターゲットのツボを押さえた作品がお得意なのだと思われますが、原作との相違点や、原作者から内容に関する訴訟が起こった事実、若干スベった印象を持ってしまったパッケージやキャッチコピーなどを加味すると、この「やわらかい生活」という作品は、映画のビジネス的側面で損してる例だなあと感じたりもいたしました。

気持ち悪いけどすっきりする、二日酔いみたいな映画

しょっぱなから登場するのが痴漢の人だし、ストーリーが進むにつれて主人公の躁鬱に引きずり込まれる感覚があって、全編にわたって基本的にはうっすら気持ち悪いです。実際私自身もたまたま若干体調悪かったんですが、メンタル弱い人はタイミングは選んだほうがよさそうだ。

(心療内科通いをしたことが3回あるけど、躁鬱にはなったことはないです。身近な人の死が、あとから思えば躁鬱に起因していたかもという経験は有り。鬱や躁転の描写は わりと自然な印象だったと思います)

でも、同時に妙な爽快感もあります。二日酔いの日みたいに。あの苦しみが来るとわかってしまうのに、酒を飲んでしまう。そのうち二日酔い慣れしてきて、なんならいつもより早くカッと目を覚まして、出社前にできる限りアルコールを抜くためにひとっ風呂浴びたりしてると、「飲酒⇔二日酔い」という競技のアスリートになった気がしてきます。そういう日々のことも思い出しました。

映像もガッサガサですが、それも主人公の見ている世界の色彩や手触りなんだろうな、という味わいになります。
蒲田の銭湯の横にある古アパートで、それなりの趣味のインテリアに囲まれた部屋の造作はわりとリアル。デニム+花柄スカート+ルーズなブーツというファッションも、あの頃の空気感があり懐かしい。サイバーショットで写真撮って、蒲田の街ブログ(というよりも、時代的にはたぶんホームページ)を綴ってる暮らしなんて、20年間の勤め人を辞めたいまの私がやってることとさして変わりないw メンタル掲示板経由で知らん人とつながる描写もいい。

気持ち悪いところはやはり主要登場人物の人間関係においてのみで、そこがないとドラマが成立しませんが、これまでの「局地的TOKYO2021映画祭」で選んできたなかでは、いちばん「街」の魅力があふれています。
蒲田いいなあ蒲田。映画全然関係ないけど蒲田つながりでシクラメン聴く

都会のよさって「匿名性のコミュニティ」だということを以前も書きましたけど、都会で暮らせる人が、身内に何かを期待しすぎるのはリスキーだと思うんだよねえ。

疲れて壊れたOLの妄想上等

気の弱いヤクザが出てきたあたりで、「あれ? もしかしてこの映画は、都で疲れたOLのための『モテキ』なのでは?」という予感が頭をかすめました。それはたぶん映画ビジネス的な術中に見事にハマっている。

その後、作中でも次第に主人公の「心の捻挫」(私は図らずも冒頭に”自意識の複雑骨折”って表現してましたけど)のきっかけにまつわる虚言癖が明るみにされていくにしたがい、観ているこちらも「何か真実なのか」、あるいは「彼女の哀しみや痛みを理解するために、真実は必要なのか」、という疑念を突き付けられます。
そして一般レビューなどを見ると、「結局は主人公の妄想だったのでは」という意見も散見されていて、なるほどなと思わされました。全部妄想。

いいじゃないか妄想で。
男も女も大人も子供も、どのみち妄想を糧に生きてるんだから。
(むしろこれからの経済を牽引していくのはほぼ妄想力なんだが)

特に男女間の関係描写における気持ち悪さについて終始モヤりつつも、なんとか嚥下しようと試みました。
現実世界で自分自身が体調不良で一晩だけ寝こみ、その後、半日かけて再び振り返ってみると、「本来、たとえば恋人とか家族の一人に求める機能を、それぞれ違う異性が担っている」と解釈すると合点がいくような気がいたしました。
楽しい思い出を作る。病気のときのケアをする。性欲を満たす。財布を共有する。愚痴や弱音や思い出話を聞いてもらう。などの「機能」です。一般的には、結婚するとそれらが自動で付いてくる、とされているもの。

年月を重ねれば多少のほころびが出るにせよ、いっときでも一人の人に、時間も心も身体も財布も預けられるのは、奇跡的に健康な証なんですよね。
…と、架空の話を考察するために、時間を使いすぎてしまった…。

いつも「チューするなよ!」って祈りながら観てる

人間関係での救いは必要だけど、今回も終盤は「チューはするなよ! チューはするなよ!」ってダチョウ倶楽部になりながら観てました。むしろ、セックスはしてもキスしないでほしい。なぜこんなに切望するんでしょうか。身体を許しても心を許してはいけないという昭和のソープ嬢マインドでしょうか。

でも、微妙な関係の男女がチューすると、物語ってそこで終了シグナルなんですよね。「えー! もうそれで終わっちゃうの」という観客としてポジティブな惜しさと、「結局、”愛”とかいう結論づけで終わらせんなよ!」という安易な印象がイヤなんでしょうね。

あとは、タイトルはやっぱり「”やわらかい”生活」ではない気がするなあ。メンタル崩してゆっくり暮らすのを「やわらかい」と表現してしまっていいのだろうか。どういう理由でこのタイトルになったか、コンテンツ職業人として、知りたさが残ります。

今回は映画評を書いてて逆に原作再読したくなってきた。
自意識が複雑骨折したOLだったので、作品としてはすごく好きなんですけど、周辺情報が作品にとって不幸な配置になってしまっていますね。

内容は4.0なんだけど、製品としては-0.5というところで、星3.5[★★★☆☆]です。


カバー写真 / 蔵前のゲストハウスのバーですねこれは




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?