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退職挨拶ってちょっと難易度高すぎませんか

こんにちは、ユキッ先生です。
久々なのがもはやデフォルトになっています。
念願の時間ができたから記事増やしていきたいなあ。あと、二兆円欲しいなあ。

12年勤めた職場を、事実上今週退職しました。籍はまだあるが席はもうない(さすが超いい会社、総務人事の仕事が速い!)。
そのへんの心もよう云々はまた落ち着いたらまとめようと思ってるんですけど、今回は「職場での退職挨拶ってなんでこんなに気が重いんだろう」という話です。

人生でそう滅多にある機会ではないですし、もちろんお世話になったかたに個別に丁寧なお礼はしたいんですけど、もともと誰かとおしゃべりするよりも、教室の隅で本を読んでるほうが好きだったコミュ障的性格を、アルコールというエンジンと最初の職場での業務という荒療治で矯正して、なんとか生きてきた私です。2社めではもともとの性格に揺り戻された実感があり(そんなスタイルでもそれなりに仕事を進められるのはある意味最高の環境なんですけど)、なおさら難易度チョモランマ級イベントだなと感じました。

ただ単に気が重くなるだけでは損した気分なので、せっかくならなんでこんなに気が重くなってしまうのかを考えてみました。

01.ご挨拶する対象範囲をどこにどう区切るかの責任は全部自分自身だよ


自己都合で辞めるんで、当たり前のことなんですが。
「お世話になった」と「実際業務で関わった」と「辞める事実を知らせておきたい」人のグラデーションって複雑で、線引きって難しいものです。

「上司」とひとくくりにいっても、「同僚や先輩としてスタートしてたけど出世しはって、自身の業務での成果含め、市場や組織の変遷もよく知ってる人」も「労務的には非常によくしてもらったけど、個人としてはあんまり適性を見てくれてたわけじゃないなあ、って人」も「その流れで挨拶するならさすがに外すのは失礼だけど(お互い)特に個人としてほぼ認識してこなかった人」もいらっしゃるわけで。

健康状態などをすごく気にかけていただいたAさんに挨拶に行ったら、たまたまそのすぐ近くの席に、健康状態に打撃を与えられてきた気がするので極力直では関わらずにこっそり去りたかったBさんが居たりするのがサラリーマン社会。

会社としては大規模なので、過去お世話になったメンバーが別の事業所にいるケースも非常に多くて、さすればやはり最終的にはbccメールでのご挨拶も必要かなとなるのですが、手作業でbccに1つ1つアドレス突っ込んでいくのもけっこう神経使う人数だったり。

今回、直接挨拶したい人と、メールでお知らせしたい人とを考えていたら、最後の1週間のうち3日ぐらい眠れなくなってきました。連続でなく1日おきに3回眠れない夜が来たので、それらの翌日はよく眠れました。

で、在職中にときどき全然知らない人からの突然の「退職のご挨拶」メールを受け取って、「誰やねん」となることが多々あったのですが、あれは決して本人がラクしてるわけじゃなくて、そうとうな苦悩の末に、知らない人も多く含まれるメーリングリストに投げたんだな、というのが、同じ立場になってみるとよくわかりました。

02.お菓子にはこだわりたいけど、見栄と賞味期限は表裏一体だから、さらに悩みが深まるよ

たまたま個性派お菓子の激戦区に住んでるんですけど、年季の入ったOL(私だ)ほど、いわゆる「おもたせ」等のお菓子選びの機会があると無駄に張り切ってしまいがち。

でも、店に入ってみたらカステラもフィナンシェも単価が300円オーバーとかなわけですよ。コレめちゃくちゃおいしいけど、それは間違いないんだけど、何人に配るんだっけ・・・さすがに20人以上が全員コレというわけではいかんな・・・じゃあチームのなかでいちばん近いとこでお世話になった5人にはコレで、別のメンバーには150円のやつ・・・などと考えていると、また貴重な時間が溶けます。

で、今回私はちょうど娘が感染症回復期で投薬様子見中という状況にあって、出社ができるやできんや毎朝が綱渡りという感じで、結局「最終出社予定日に出社に失敗する」という事案が発生しました。さらに不幸なことに、その後コヨミは週末を挟んでしまった。

綱渡りの週間にリスクヘッジしていて、最終出社予定日前日に実は一部のメンバーには挨拶を済ませていたのですが、最終日に配る予定だった半分のお菓子は、配られないままデスクの隅で賞味期限を迎えてしまったのでした。

何がいいたいかというと、眠れないほど考えるくらいなら最初から全員サブレでいいんじゃね。ってことです。

これ書き終わって公開できたら、ご褒美にフィナンシェ食べよ…(毎日朝食に冷凍ブッセ食べとるけど)。

03.先にやめる人に「謎の優越感」が漂ってしまいがちな業界・業種ってあるよね

何が「いい」かの深掘りは置いといて、「いい会社に長く勤める」のがこれまで多くの人が支持してた考えかただとは思うんですが、私が経験した2社はどちらも「自分で先に抜けた人のほうがカッコよく見える」というムードがありました。まあでも最近はどこもそうなのかもな。サラリーマンなんてみんな心の奥底に米粒大のやめたさを飼い慣らしながら毎日タイムカード押してるよな。

シンプルにお世話になったことを感謝するつもりでも、「やめる」という事実は、競合他社に年俸積まれて引き抜かれたのか、もうこんな業界や業種には愛想を尽かして別のことするのか等、知った側に妙な勘ぐり、モヤモヤの嵐を発生させてしまうんですよね。

私の場合、会社から会社へ移籍するのでなく、立場的には「この人が将来、巡り巡って私に仕事をつないでくれる人になるかもしれない」というキャリア選択をしたので、潜在的営業活動としても挨拶は有効なはずだったんですが、「育児に専念」という、ある意味外部からは口出し無用のキャリアカードを持ってしまっているがゆえに、お互いに「ありがとう」「おつかれさま」の先の話題に踏み込みづらい…、みたいな側面も実際、ありました。これ、難しいですよね。実際育児に専念している配偶者を持つ人だっているわけだし。

そしていまフリーとなり、絶賛プロジェクトマッチング活動中(「仕事探し」をナウくポジティブにいってみた)なのですが、1社めで私が社員としてギャランティーをお支払いする立場だった人が、いまは同業の別の会社で、当時の私と同じ立場になっていて、ちょっと声をかけてくれたりしたんですよ。

小娘の分際で年上の現場職人さんたちに指示をしないといけないという立場に由来する20代のときの苦労というか苦悩、しておいてよかったなって思った出来事でした。(ええ話やないか!)

きょうはまあそんなとこです。ちょっとフィナンシェ喰ってくる。


カバー写真/いつか蝦夷で見た夕焼けか朝焼け

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