見出し画像

自分時間の確保も大切だけど、私には自分‟空間”がもっと大事だったのかもしれないと気づいた話

こんにちは、ユキッ先生です。2兆円か9000万円を毎日希望している人です。

こんな感じの指針を立てて生活を変え、1週間ほど経過しました。

● 少なくとも、現在5歳と3歳の子どもたちが、それぞれ小学校に上がる前後の数年間は
● 自宅をベース(基地)にして
● 自身のアンテナにビビッときたプロジェクトに複数足を突っ込みつつ
● 体力・メンタル・収入等のバランスを調整しながら ・・・仕事する

現状のところはいい感じのプロジェクトを探してアプローチする営業月間であり、案件の面談もちょこちょこ入りつつ、自身のワクチン接種なども入れていますが、業務に関連する特定の他者からの時間拘束はほぼない状態です。とりあえず1回目のワクチンの副反応も特段なかったので、外を歩き回るのにも不自由ありません。

収入面でおそらくこれから悩みの解像度がどんどん高くなっていき、数か月後には課題としての優先度が上がってくると思います。そういう意味では、いまがいちばんワクワクできる期間です。実際、立場としては無職なのに、焦りでなく謎の充実感があります。

しかしですね。先月あたりから園をハブにした感染症などで5歳と3歳の体調にちょいちょい不安要素が出てきてまして、子どものために使う時間の比重が多めになってきています。特に重い病気でないにせよ、かかりつけ医を含め、複数クリニックの場所、診療時間や予約システムの有無とその方法などを調べては問い合わせて調整して。午前に行くか午後に行くか? 当日朝から予約できるところか? 水曜、木曜なら、休診日でないか? Webで混み具合がわかるかどうか? それらの情報を掻い潜って、どれだけの時間が自分の労働に充てられるだろうか? というパズルをやっております。
ちょっとでもほっとできるかと思いきや謎に忙しくて、週5出勤必須の日々を思い切って1回手放してみて、それで初めて学ぶこともあるんだなって実感しております。

自宅にワークスペースを作る楽しさはどこから来るのか

退職1週間目の所感としてはそんなところなのですが、いまワクワクしている要因のひとつに、「自宅のなかに自分のワークスペースを作ることの楽しさ」ってあるよな、ときのう考えていました。最低限のところは完成しているんですがね。

昨年、突発的に3か月半ほど在宅勤務をしたときにも同様のワクワクがありました。狭い2LDKの電源や配線をチェックして、ガジェットを検討・購入して、接続して。チェアの座り心地にこだわったりもしました。

今回は、モニターのサイズからBGMの鳴らしかたまで、全部自分好みにカスタマイズできる。勤め先があるとそれらを全部用意してくれるラクさがある反面、カスタマイズには限界がありますもんね。後ほど触れますが、特に私の場合、音環境の重要性が身に沁みています。

さて、どうして自宅にワークスペースを作ることがこんなに面白いのかな、と考えたとき、見出しの通りですが「自宅という場所で自分時間を味わうのは中学・高校ぶりだった」ことを実感したからです。

自宅は「第二の職場」であり、気なんて休まるはずもない

念のため一応何度でも断りを入れておくと、現状、わが家の夫は家事に関しては十分に重要な戦力です。外注や家電の導入を含めて家事は最大限コンパクト化していますが、夫の会社はこのご時世にもかかわらず仕事はまったくリモート対応にはならず、そもそほぼ毎日残業で不在がち、帰宅後も何やかんやと連絡に追われている時間が多めです。家事を早朝に片づけたりするので、睡眠時間も、最低7時間は確保したい私より2時間は確実に短いです(配分は見直し中ではある)。

ただ、育児は家事と違ってタイミングを調整しづらいもんで、特に平日はなかなか子どもたちと合わないんですよね。だもんで、子どもたちのケアや遊び相手はもっぱら私の担当となっております。

少なくともお子が生まれてからは、自宅は完全に「第二の職場」になっていました。第一の職場でお賃金労働をして、帰宅するとすぐに第二の職場での労働が待っているという日々。
自分の時間はといえば、お子らが「どちらも」おもちゃや動画に集中していて、比較的機嫌のいいとき。「奇跡的に」二人とも昼寝(うちは夕寝・夜寝になりがち)しているとき。録画していたドラマやアニメを観たりできる30分ないしは1時間。あるいはアプリでゲームしたりTwitterを見る10~15分。それでも自分のメンタル第一なので、世の親御さんらの平均よりもかなり意識的に死守しているほうのような気がします。

あと、物理的にも「自分専用の空間」ってないんですよね。将来の子ども部屋になる予定の5畳フローリングは夫の作業部屋兼物置になっていたし(ここを徐々に私の職場に改造していっている)、風呂でもトイレでも寝床でもお子らが絶対追いかけて乱入してくるし、私の空間といえるのは、好きなおつまみを作ってる間のキッチンと、晩酌時間のテーブルぐらいだよ。

夫婦でお互いのフリータイムを捻出するようにしていますが、私は家族が同じ空間にいる限り、気持ちが完全にフリーにはなれないんですよね。夫が二人を連れて外出できれば万々歳ですが、長女は外で手を離すと糸の切れた風船みたいに駆け出すタイプの困ったちゃんなので、一人で二人を連れていくのは至難の業(毎日お迎えでやっているけど、近距離の送迎だから可能)。

なので、私に「自分時間」はあっても「自分空間」はない、というのがここ数年続いていた感覚です。有休取得してひとりで日帰り温泉に行く、みたいな場合はその移動中、そして目的地がまぎれもなく「自分空間」なのですが、それは完全に非日常でした。

ひとり暮らしのときに「私らしさ」のようなものは自宅内にはなかった

じゃあ子どもが居る前はどうだったんだろうと考えると、やはり自分空間を自宅外に作っていたタイプだったわけです。
雑多な人のなかで、ただ匿名の個人として居られる街であるとか。仕事以外のことで盛り上がれる仲間と集う飲み屋さんであるとか。特に旅先が最高で、初見の景色を前に、本やスマホの情報を手掛かりに、だけどそこのなかには掲載されていない面白いモノやコトに、五感を研ぎ澄ませて出会おうとしている瞬間の積み重ねはまぎれもなく「自分の時間」であり「自分の空間」。そういう実感を得たくて、いろんな土地を訪れたくなっていたんだなと。有休で弾丸ひとり温泉に行ってたように、いまもずっと一貫しているポリシーのようなものですが。

30歳のときには自分(の将来)のためだけにマンションを購入しましたし、それに付随してインテリアにもそれなりに興味を持ったし、自宅で過ごす時間を豊かにしようといろいろなアイテムを揃えてみたりもしたけども、やっぱり仕事して(飲んで)帰って寝る場所。この空間の実質的オーナーは24時間居る2匹の猫で、私は猫に飼われてときどきカリカリを買ってくるソト人間だったような気がします。

(あ、それでもお風呂タイムはだけは別だったなあ)

ちなみに社会人大学院に通っていた時、レポートや論文を書いたりあれこれ調べごとしたりする時間が必要で、もちろん自宅にもそれをできるPC環境はあったのですが、気分の切り替えがどうもうまくいかず、基本的には学校の情報処理室や漫画喫茶の個室を利用していました。やはり当時も「自宅は寝るための場所」というような意識であったかと思い起こします。

中学・高校時代に学習机で漫画や小説を書いていたときのあの感覚

会社員で在宅勤務をしていたのは結果的に2020年の初夏~初秋の約3か月半だったのですが、自宅で仕事をしていてビビッドに思い出したのが中学生・高校生の頃の感覚でした。

田舎の実家の2階にある8畳の和室(田舎なので無駄に広いよ)、設計上TVのアンテナが引けない部屋だったので、ラジオなり好きなCDなりを鳴らして、漫画や小説を書くことに没頭していました。余談ですが中学校では美術部、高校では文芸部に所属していました。あれがまさに「自分だけの時間」であり、「自分だけの空間」だったなといまとなっては思います。

職場業務の一環だったけど、在宅勤務でラジオから音楽を流してモニターに向かってただタイプしているとき、その時の没頭感が不意によみがえった気がして、それがとても懐かしく、なおかつ忘れていたけど私にとってはとても重要な、原体験であったと反芻して、そいつをもっと追求してみたくなったんですよね。

好きな音や声がOKかどうかが、仕事環境として意外と重要だった

あと、もしかしたら「自分空間」を作るわりと大きな要素のひとつは、BGMなのかもしれないです。

1社目の頃は、毎日外部の人の出入りが絶えることなく、電話も社内の会話もにぎやかで、社内では24時間ラジオが流れていました。まあラジオ局ですから当然っちゃ当然なんですが。

2社目は基本はノーBGM、口頭コミュニケーションだけだとトラブルの元なので、メールやチャットで進行することのほうが優先されている業種。外線電話なんてほとんど鳴りません。転職してきて最初の数ヶ月はあまりの静かさに驚いて、昼下がりは必ず眠くなりました…。あと、貧乏ゆすりする人も少なくないし、それを気にしはじめるとひたすらに気になりました。
業務中に音楽やラジオを聴く行為を禁止するという明示的ルールはないものの、所属する組織によって方針が変わったことも実際にあって、イヤホンで耳を塞いでたら周りの人が話しかけづらいと考える派と、クリエイティブワークのために音は必須と考える人が混在していましたね。当時の私はおそらく自覚してる以上に好きな音や声と過ごしたかったのに、最後まで耳は塞がなかった(塞げなかった)んです。しかしこの違和感がけっこう大きかったんだな。

で、在宅勤務で家を基地した期間に、そのあたりで地味に10年ストレスを抱えていたことに改めて気づかされました。もちろん、仕事以外の側面でも、活気ある会話が減ったこの1年半の世の趨勢というのも、大きく影響しているのでしょうね。

そういうわけで、きょうも革靴とスーツと自転車パーツだらけの部屋から、いまはラジオNIKKEI第2を聴きながら、人のためになるのかどうかよくわからないけど、自己振り返りテキストをお届けしました。

息子だけ早退させて初診の眼科行かなあかんので、本日はそんなとこです。


写真 / 2014年頃にひとりで行ったしまなみ海道サイクリング、因島から生口橋を望む。こういうのがまさに私にとっての「自分空間」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?