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就活とじいじと試験と田舎と

今日から日記をつけることにした。

嬉しかったことも、悲しかったことも、すぐに忘れてしまうことが、最近は多いから。

私からうまれる全ての感情を、覚えている限り書き留めておきたいから。


月曜に祖父が亡くなった。上京するまでずっと一緒に暮らしていた祖父だ。
父のいない家庭に育った私にとって祖父は、父であり、母でもあった。

最期には間に合わなかった。
危篤の連絡を受けたのは月曜の朝。
その翌日、火曜に、期末試験を控えていた。
二人一組で受けなければいけない試験。ペアの学生と準備も進めていた。休む選択はなかった。

ステージ4の診断も、入院も、事後しばらくたってから報告してくる祖父だった。
大学に合格したときは誰よりも喜んでくれた祖父だった。

意識のないのをいいことに試験を休んで駆けつけたら、きっと、私の邪魔をしたと後悔しながら逝ってしまう。そんな祖父だった。

月曜の深夜、祖父は息を引き取った。
涙はでなかった。一人だったから、ただ寂しかった。
火曜、試験を終えたその足で帰省した。

水曜に、納棺と通夜があった。
東京へ行ってなかなか帰ってこない、
世話になったのに死に目にも間に合わない、
受付に突っ立って泣きもしない。
控室でPCをひろげて期末レポートに取り組む私を、シワだらけの親戚一同は余所者みたいにした。

居心地は悪かった。けど、祖父は分かってくれている。
そう信じて、冷ややかな視線を跳ね返した。
スクリーンとだけひたすらに向き合い、夜を明かした。 


翌日の木曜は、告別式、葬式だった。
大学の課題も落ち着いて、ようやっと、祖父に正面から向き合えた。
コロナを気にして正月も帰らなかった。
久しぶりにみる祖父の顔は、少しだけ痩けていた。

祖父のもとに花を手向けに行った。
急に申し訳無さがこみ上げて、嗚咽するほど泣いた。
ペアの試験。そんなもの休もうと思えば休めた。
帰れなかった、のではなかった。
死にゆく祖父に対面するのが怖くて、帰らなかった。

葬儀が終わると、それまで氷のように冷たかった老人たちが、手のひらを返したように、優しく声をかけてきた。
「やっぱりお前も悲しかったんじゃないか」
「仲間に入れてやる」とでも言いたげに。


納骨後、吐き気のする、気味悪い年寄りたちの横で、今度はもっと堂々とPCを開いてESに取りかかった。

それが、私が祖父にできる最大限の供養だと信じて疑わなかった。

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