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生と死

いつも、何かにつけて「生」…なぜ自分は生まれ、生きているのか?
そして「死」…自分はいつ、どのように死にゆくのか?

そんなことを考えている。
病んでいる時は単純に、悲観的に生と死について考え、自分の存在意義について自問自答したり、客観視したりするが、

全然普通の精神状態でも、不意に「生と死」について考えてしまうのである。
そしてわりかし、落ち着いた精神状態でいる時の方が「死」について考える。

死んだら、どこへいくのだろう?
自分の人生の期限は、いつまでなのだろう?
どこで、どんなふうに死ぬのだろうか?
事故?病気?殺人?自殺?衰退?
その死にどれだけの人が関わるのだろうか。
自分の葬式は誰が関わってくれて、誰が来るのだろうか?
自分は人生に名残惜しさもなく、死ぬことができるのだろうか?

そんな感じで、はてなで終わり、誰も答えを持たないものに、身を委ねるのである。

世間一般的に「死」は悲しいもので、「死」を考える人は何かに悩み、追い詰められている人、かわいそうな人だという認識が強くあるように感じるが、
自分の死の期限、いわゆる人生の終わりがはっきりわかっていたら、そのゴールに向けて、逆算して頑張れるような気がするのである、個人的な考えではあるが。

いますぐ死にたい訳ではない
死に不安を感じるし、死があることに憤りを感じるとともに、同じくらい生きているということにも、不安があるし、憤りや焦りがある。

地獄や天国は存在するのだろうか?
死が近づいた時、死神はやってくるのだろうか?
どんな姿・形をしていて、どんなふうに動き、話すのだろうか?
それともそういう生き物も、世界も存在しなくて、死んだら真っ暗な部屋の中
もしくは、真っ白な部屋にいて、次の「生」を言い渡されたりするのだろうか?
魂は、記憶はどこへいくのだろう?

そんなことを考えている。
無駄なことだけど、無駄のない人生など
つまらないし、全部ひっくるめて人生に
無駄などないのかもしれないと思う。


素敵な演奏動画を添えて、今日はおわり。


bye 🕊


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