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公認心理師は メジャーになる夢を見るのか

公認心理師という国家資格  

Twitterをみてると公認心理師の登録証が届いたというツイートを見かける。
試験に合格して最速で登録申請をしたタイミングだとそろそろ到着するのかなと勝手に想像する。

公認心理師については以下のサイトがわかりやすいと思うので参考していただきたい。

【2022年最新版】公認心理師とは?受験資格・仕事内容・現任者講習・臨床心理士との違いなどについて調査しました!


要は日本初の心理職に対する国家資格が最近できた。
それまで心理職のメインどころの臨床心理士という民間資格があった。
その他にも色々と心理系の資格はあるが、国家資格はなかったので公認心理師は心理職念願の国家資格だった。
何が念願だったかというと国家資格ということで待遇の改善や心理療法の環境向上などを想像していたと思われる。

出来る前も出来てからも批判される資格

そんな念願が生まれるという状況になると色々と沸き上がってきた。
これは妊娠発覚して本人達よりも親や周りの人間がやんややんや言う感じにも似ている気もする。
勿論、誕生は喜ばれたけど不安や危険への対処が声高に叫ばれた。ここら辺も赤ちゃんが出来たときの周りの反応と似ている。

全否定ではないけど、ある部分が問題があると言い反対意見を出した組織も多数あった。
出来てからも受験資格に文句を言われて、ある意味では可哀想な目にあっている感は否めない。

それほど期待されていたんだろうなと感じる。おそらく、その期待は今も続いている。

勿論、多くの人は薄々わかっていたと思う。資格ひとつで海外と同じようなステータスを獲得できるわけでもないし収入が良くなるわけではない。
そんなのわかっていたけど、どうしても念願の子には心理職の願いを叶えて欲しかったのだ。
ますます妊娠から出産、子育ての流れに似てきた。
さて、どうして心理職はここまで国家資格によって状況を変えたいと思ったのか。

信頼されない怪しい人達という歴史

色々と理由があると推測されるが、ベテランの先生達の苦労話を聞いていると特にここが多いのでは?と思っている。
つまり、昔は心理相談というのは何から何まで怪しかったのだ。
それこそ海外まで行って勉強した先生方は箔を付けて帰ってきたので、大学や行政側からは一定の評価を得ていたがそうでもない人も多くいた。そこで急に心理療法や心理相談と言われてもなかなか評価を得られなかった。
本当に苦労し様々な批判を受けていたとも聞く。
現在、心理職が何とか信用されるようになったのはこういうベテランの先生方のおかげであり、深い感謝を伝えたい。
話を戻すと心理職は世間的認知と信用を心から欲している歴史があり、それに対して一丸と頑張ってきた。
ただ、そうじゃない話もある。

話は変わるが、占い師と宗派関わらず宗教家には敬意を持っている。
歴史的に人の心にどんな形であれ安心を与えたのはこの類いの人達だ。心理職と比べ物にならない歴史がある上に絶大な効果を発揮した瞬間はある。

ただ、ある意味ではそんな輝かしい人に紛れて偽物が現れる。主に人を救うという口上のもとに自身の利益を優先した人達であり、ある意味ではナリスマシと呼ばれるような人だ。
勿論、どの職業も自身の利益を考える必要はあるが、それを搾取する形が問題であり、それを意図して行うことがナリスマシたる所以と考えている。
そして、本物になれなかった占い師や宗教家はこちら側に触れることがあり、本物より目立つことがあった。しかも外側は占い師、宗教家のまま。
そのような流れがあり、現代ではこのような職業もしくは人の不安を取り扱う人達に若干の偏見や構えが出来ている。
心理職も人の不安を取り扱う。そして、例に漏れず本物になれなかった人達は自身の利益を優先し搾取をすることになる。そう、疑われるような活動をしていた人達も現にいるのだ。
なので、人の不安を取り扱う心理職は最初に疑いの眼差しを持たれることは社会として当たり前と言えば当たり前である。
そして、現在でも社会的信頼を裏切ってでも個人の利益を優先する例はある。

資格があるか、ないか

このような流れから専門的な知識や倫理を担保した組織を作り、世間的信用を得るための資格が生まれた。
勿論、それだけで信用されるかと言われたら異なり、先人達の苦労の末で徐々に心理職が認められてきたのである。

土台が整ってきた上に現代はメンタルの問題を話題にされやすくなったので心理相談の敷居は若干下がった。
また、臨床心理士や公認心理師は名称独占だが、心理療法はだれでもやってよく、心理カウンセラーを名乗ることは問題ない。
加えて、昔から資格を持たずに相談業務を行っていた人も条件が合えば公認心理師の受験資格が手に入ったことも起因して、心理カウンセラーは雨後の筍のごとくポコポコ現れた。

資格に関わらず心理カウンセラーが増えたのでユーザー視点でみると単純に選択肢が広まった。
それでは何でカウンセラーを選ぶかというと自身の悩みに対しての療法が専門かどうか、料金、通いやすさ、人柄、ネームバリューなど様々な観点がある。
さらに相談者は心理カウンセラーに対していつでも契約を打ち切ることが出来るので、自分の好みに出会うまで選べばいい。
つまり、資格があろうがなかろうがユーザー視点としては気に入った人のところへ行って欲しい。

そのなかで注意して欲しいのが、ある程度の割合であなたの利益より自身の利益を優先しあなたから搾取する心理カウンセラーがいることだ。

搾取されるのは主体性

心理カウンセラーのナリスマシは金銭よりも大切なあなたの主体性を奪う。
彼らにとってこれを奪うことは大きな目的であり、欲しくてほしくてたまらないものだ。
主体性を奪われたあなたは何を考えるにも心理カウンセラーの言葉を頼りにして、言われた通りに動く。いつしかあなたの為の心理カウンセラーが心理カウンセラーのためのあなたになる。
そうすると、あなたは与えられるものを必死に彼らに渡そうとする。

少し極端だが、この流れが主体性を奪うナリスマシである。

基本的には心理療法は大なり小なり相談者の自立を考える。
その自立の在り方も様々で議論されるところなのかもしれませんが、心理カウンセラーはいずれ別れる存在。
だからこそ、主体性を奪うのはある意味では逆をいく話。ただ、ここに難しい問題がある。

結局、主体性が奪われたなんてわからない。
なので、心理カウンセラーのもとで話をしていて本人も周りも主体性が奪われたとはわからない。むしろ、お互いに幸せな関係を作っていると感じている。
ここに被害加害の成立が難しさがある時々、度を越して金銭や性的搾取があり報道される。逆に言うと、そこまでしないと顕在化しないのかもしれない。
心理相談とはとてもプライベートな秘密を共有する関係だ。だからこそ、守秘義務は重要な問題になり得るし取り扱いには細心の注意が必要と言われている。また、主体性の回復は心理療法として大切なものでありそれを奪うのはまさにナリスマシだと考える。

潔白を誰でもわかりやすく表現し続ける

色々な心理カウンセラーがいるなかで国家資格である公認心理師は信用できそうに見えやすく、搾取される心配はかなり低いように感じる。
また、資格取得者は自身の信頼性を本来ならば自らの倫理観や技術などで担保するのだが、どうしてもユーザーと同じ視点で資格にも自身の信頼性を求める。だからこその念願の国家資格だとも言える。
現在ではSNSなどを介して心理カウンセラーは宣伝しやすくなり、信頼できるカウンセラーの見分け方なるものも出回っている。これらは基本的に善意で宣伝されており、相談者が不利益を被らないために書かれていることが多い。なので、ある程度は信じてもいいかもしれない。

心理カウンセラーという枠組みに入る人は数多く存在する。そして、人が集まれば序列が生まれるのはどの業界でも必然のことだ。
その中で公認心理師は第一線で活躍するような職能集団になるために動き出している。様々な願いが込められた資格だけに今後も業界内では期待が大きく、第一線で活躍できるくらいの器を与えられた資格でもあると考える。

それでも、相談者はだれを選んでもいいのだ。心理カウンセラーでなければ業界内の資格の有無や内容の差なんて正直わからない。おそらく、これから啓発はされていくと思うがそれほど上手に線引きすることはないと思われる。なぜなら、違いが明確ではないから。
搾取などの倫理違反があり、それが立件されることによって、やっとその心理カウンセラーは”違う”と言われるようになるからだ。

だから、私を含め心理カウンセラーは職業の中だけも潔白の身をさらし続けることが必要になると考える。それはネットで実名を晒せということではなく、カウンセラーとして在るときは自身の誠実さを誰にでもわかるように表現することと考えている。
また、職業的誠実さは感情的な問題ではなくスキルだと思っている。それは取り繕うという話ではなく、決まった型として表現できるものであるし、それをカウンセラー同士の共通動作にすることによって、相談者の視点からもわかりやすく心理カウンセラーへの信頼を獲得していくことに繋がると考える。

公認心理師は遅かった早産かも

出来るのは遅かったが、生まれるには早かったというイメージがある。心理療法の世界は様々な学説や派閥がある。別にいつも争っているわけではないが仲良くしているわけでもないという不思議な世界だったりする。
もし、公認心理師がもう少し早く作られることになり時間をかけてじっくりと多くの人の手で育てられたら現在の批判は少なかったのかもしれない。
しかし、念願だが早産で準備が整わず生れ出た赤子は、まずは死なないように大事に育てていくしかないのかもしれない。そして、てんやわんやしながらベビーグッズを用意したり予防接種の予約をしたりして日々を過ごしていくのだろう。
ゆりかごの中で起きているのか寝ているのかわからない意識の境で心理職の第一線、メジャーになる夢を見ているのかもしれない。
それとも願いとは裏腹に数多くの心理カウンセラー資格の一つとして生きていくのかもしれない。

その中で相談者として心理カウンセラーに会う方に対して思うのは資格の名前で判断するのは少し待ってもらいたい。こちらはまだ赤子なのだ。

願うならば、そのカウンセラーが自身の利益のためにあなたを使わないかどうか、あなた自身が消費されていないかを判断して、信頼できる人に会ってほしい。



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