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【第5回】シナリオ分析実践ガイドSTEP1:準備

第5回以降は、環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ~気候関連リスク・機会を織り込むシナリオ分析実践ガイドver3.0~」(以下、「シナリオ分析実践ガイド」)のSTEP1~6に沿って、各STEPの内容をご紹介していきます。今回はSTEP1の解説です。

1.STEP1の実施事項


STEP1で実施する事項は次のとおりです。
STEP1-1:経営陣の理解の獲得
STEP1-2:分析実施体制の構築
STEP1-3:分析対象の設定
STEP1-4:分析時間軸の設定

シナリオ分析実践ガイドでは、上記のSTEP1の工程の全体像が、下記の通り図で紹介されています。

【STEP1の全体像】

出所:環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ~気候関連リスク・機会を織り込むシナリオ分析実践ガイドver3.0~」
https://www.env.go.jp/policy/policy/tcfd/TCFDguide_ver3_0_J_2.pdf

以下で個別に解説します。

2.STEP1-1:経営陣の理解の獲得


 シナリオ分析実践ガイドには、「経営層に気候変動をどのようにインプットしていくか」という点がポイントとして示されています。そのための具体的なアクションとして例示されているのは下記の事項です。
①      経営陣にシナリオ分析の意義を理解してもらう
②      マルチステークホルダーの要請状況を取りまとめる
③      気候変動対応が企業価値へ影響を与えうることを、有識者勉強等を通じてインプットしてもらう

 現状では、②の気候変動に関するマルチステークホルダーの自社に対する要請状況については、ある程度理解が進んでいるのではないかと思われます。③の「有識者勉強会等」に関しては、シナリオ実践ガイドに置いて具体的なレベル感についての言及はなされていませんが、投資家とのエンゲージメント(対話)、コンサルティング会社等の外部アドバイザーや専門家等による勉強会・研修の実施等、外部とのコミュニケーションが幅広く含まれると考えられます。これも、何らかの形で既に実施している企業が多いのではないでしょうか。
 STEP1-1において難しいのは①ではないかと思います。なぜならば、説明する側(TCFDプロジェクトの担当者)が、TCFD提言で求められているシナリオ分析の内容を十分に理解していなければ、説明される側(経営層)に理解を得るレベルの説明を行う事は難しいと思われるためです。しかも、これが全ての工程の最初のSTEPとして示されています。
ただし、TCFD提言への対応の必要性は、経営層は既に認識していると思いますので、スタート時点で必要な「理解」のレベルは、今後進めていくに当たり、必要となる社内外のリソース確保やそのための協力体制の必要性の認識共有、という点の方がより重要かもしれません。
 シナリオ分析の工程は便宜上、STEPごとに整理されていますが、途中で見直したり、当初の計画を修正しながら、PDCAサイクルの中で継続的に実施していく事が想定されています。従って、スタート時点で「経営陣の理解を獲得」しなければならないというよりは、経営陣と担当者が共に考えながら、自社にとってのTCFD提言の意義を見出せるようにシナリオ分析の理解を深めていく、と解釈する事が、より実態に合っているかもしれません。
 また、気候変動に関するリスクや機会が企業価値に与える影響については、従業員以上に経営陣が考えている事だと思いますので、担当者の側から気候変動を取り巻く規制やルール、外部の動向などの要素を提供すれば、これらがどのように企業価値に関係するのかに関する示唆も得られるのではないかと思います。つまり、双方向のコミュニケーションの重要性がポイントである、ということではないかと考えます。

3.STEP1-2:分析実施体制の構築


 シナリオ分析をどのような体制で進めていくかについて、シナリオ分析実践ガイドでは、シナリオ分析実施の過程で必要な部署を巻き込む方法(下記図のAパターン)と、社内でチームを作ったうえでシナリオ分析をスタートする(下記図のBパターン)方法の2つが紹介され、それぞれのメリットとデメリットとともに下記の通りまとめられています。

【シナリオ分析の実施体制】

出所:環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ~気候関連リスク・機会を織り込むシナリオ分析実践ガイドver3.0~」
https://www.env.go.jp/policy/policy/tcfd/TCFDguide_ver3_0_J_2.pdf

 私見では、これらの折衷案として、スタート時点で環境・CSR部門に事業部のみを加える方法も実務的な体制ではないかと考えています。TCFD提言に基づくシナリオ分析は、誰にとっても初めての試みであり、“具体的にどのような事が求められているのか、何をしなければならないか”を理解することは容易ではないと想定されます。
 例えば、上記の図のAパターンの場合、スタート時点で、環境・CSRができることは、“TCFD提言で求められている事”の整理を行うところまでで、そこから先をどう具体化していくかは、対象となる事業部でなければアイデアがわかないというケースが少なくないと思われます。この場合、AパターンのSTEP2の段階で、環境・CSRからやるべき事を事業部にインプットするところからスタートする必要が生じますが、この部分のコミュニケーションは意外と難しいのではないかと予想しています。TCFD提言のシナリオ分析自体が難解ですので、事業部の担当者が内容を理解して次のアクションを起こせるレベルにイメージできるまでには少し時間がかかる、すなわち助走期間を要する可能性があります。このようなケースでは、環境・CSRとスタート時点から一緒に、やるべき事の理解から入った方が効率的な場合も多いのではないかと考えています。
 その理由としては、この後に続くリスクと機会の識別や、インパクト試算のための社内データ、得られた結果に対する対応策の整理といった一連の作業プロセスにおいて、答えを持っているのは対象事業部であることが多いためです。また、やるべき事の理解も、答えから逆算する方がイメージしやすく、最初から事業部の担当者が入ることによって、逆に環境・CSRの担当者の理解が進むということもありうるのではないでしょうか。
 ただし、この折衷案で問題となるのはリソースです。会社の収益、つまり企業価値の直接の源泉であり、大切な顧客を目の前にしている事業部は、収益関連の短期的なKPIに晒されているため、長期的な戦略等に人材を振り向けることが難しい場合が多いと思われます。ただ、これはTCFD対応に限らず、新しい規制対応等、既存のプロジェクトにはよくある話です。
 ここで重要な役割を果たせるのは、経営陣であり、そのための準備をSTEP1-1で実施していますので、会社全体としてのバランスを考慮して最適な体制を構築する、という役割を発揮する事が求められるのではないかと思います。
 更に、表に出てきてはいなくても人事部も関係者の範囲に含まれます。事業部等の担当者はTCFD対応プロジェクトチームに兼務という形で入ることが多いと思われますので、体制構築時のみならず、その後の労務管理、つまり担当者に加重な負担が生じていないか等に関するモニタリングも含め、その後も引き続き関係していきます。

4.STEP1-3:分析対象の設定


 シナリオ分析実践ガイドでは、ステップ1の第三段階として分析対象を設定するとされています。先行している開示例をご覧いただくとわかりますが、原稿執筆時点(2022年5月)では、シナリオ分析を行っている企業のほとんどが限定された一部を対象にシナリオ分析を行っています。すなわち、最初はトライアル的に小さく始めてみて、徐々に広げていくという方法を指向されているようです。なお、この分析対象の選定は、企業規模等にもよりますが、前述のSTEP1-2の分析実施体制の構築とほぼ同時に行われることも多いのではないかと思われます。
 シナリオ分析範囲の設定に関して、シナリオ分析実践ガイドでは、下記の図のような例示がなされています。

【シナリオ分析範囲の設定】

出所:環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ~気候関連リスク・機会を織り込むシナリオ分析実践ガイドver3.0~」
https://www.env.go.jp/policy/policy/tcfd/TCFDguide_ver3_0_J_2.pdf

 業種特性や企業の事情によって様々な考え方があると思いますが、まずは自社のTCFD対応へのタイムラインとリソース等を勘案して、進めやすい範囲を設定し、まずはスタートしてみることが重要ではないかと考えます。前述したとおり、シナリオ分析は、PDCAサイクルの中で、継続的に改善しながら実施していくプロセスです。早めにスタートし、試行錯誤しながら社内に蓄積された経験値は、その後のプロセスにおいて最も有益な材料になると思います。
 なお、シナリオ分析範囲の設定に関しては、なぜその部門を選んだのかについての根拠を含め、その妥当性について社内で検討し、決定するというガバナンスのプロセスの対象になります。ガバナンスを担う関係者が検討しやすいよう、担当者ベースで整理した上で、文書化しておくことをお勧めします。シナリオ分析の設定範囲の根拠については、開示している企業もありますし、根拠を開示しなくても、投資家との対話を想定して、質問された場合の準備にもなると思います。

5.STEP1-4:分析時間軸の設定


 準備段階の最後に、今後「何年」を見据えるか、という分析の時間軸を選択します。シナリオ分析実践ガイドでは、支援事業において取り上げられた、2030年と2050年の二つの時間軸について、それぞれのメリットとデメリットが記載されています。

【シナリオ分析の2つの時間軸の例】

出所:環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ~気候関連リスク・機会を織り込むシナリオ分析実践ガイドver3.0~」
https://www.env.go.jp/policy/policy/tcfd/TCFDguide_ver3_0_J_2.pdf

 業種や業態によって、気候変動の影響をどの程度受けるか異なりますので、時間軸は自社に適したものを設定して分析することが有効と考えます。例えば、土地建物を保有する不動産業や、大型船舶を運行する海運業などは、保有する固定資産に関して長期の影響を受けると考えられます。一方、自社ビルのような大型の固定資産を保有せず、短期の契約が中心の業種(一部のIT産業など)は、比較的短期の時間軸をとる、という判断もありうると思われます。
 なお、現状では多くの企業が、2030年と2050年を選択しています。2030年は、国連の持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)の達成目標年度です。また、パリ協定で採択された長期目標としての2℃目標を達成するため、日本を含む多くの国が、2050年までにカーボンニュートラルを宣言し、これを受けて個々の企業レベルでも2050年カーボンニュートラルを宣言する動きが加速しています。これらのターゲットに向かって様々な施策・技術開発がグローバルで進んでいく事が想定されますので、他に特段の目安がない場合には、2050年のカーボンニュートラルを宣言している企業ではなくても、この二つの時間軸が選択肢に含めやすいのではいかと考えられます。


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