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ウイダーinゼリーの甘さと涙のしょっぱさ

何度だって思うんだけど、

やっぱり私の大事な人たちは、
そう、過去に綴った、
「自分のお葬式に何がなんでも呼びたいメンバー」

さらっと私の良さや存在意義を見出してくれる。
あまりにも簡単に。
ずるいよなあ、好きなんだよ。

その人たちとずっと一緒に居られたなら。

〜だったなら。と願うものが、

なかなか遠かったりすること、
叶ったとしても永遠には続かないこと、
なんなら余りにも呆気ない時もあることを
もうずっと前から分かっている。

だからこそ、夢みて、願って、希望で。
本当にどこまで酷なんだろう、
そして美しいんだろう。

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体調を崩して一人留守番だった日、
やることが山ほどあるのに動けずに居たら助けに来てくれた友達。

体調を崩すと親が妙に優しくなったりする、
と聞いたことがあるが、あれは私には分からない。

責め立てられるから、もはや罪悪感しかない。

初めて、傍で自分のことを心配してくれた。
優しさがちゃんと自分のために注がれてるんだって。


不思議な感覚と、ちょっぴり嬉しさと、
友達がいなくなった後にじわじわと私を襲う切なさに胸がやられた。

世間では当たり前のようでも、
自分にはこの歳になっても知らない感覚や感情がまだまだある。

知らないほうが幸せだとか、
知ってた方が幸せだとか、
そういうのって、やっぱりあるのでしょうか。


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翌日、前日との落差で朝目覚めてすぐ涙が流れた。

買ってきてくれたウイダーinゼリーがやけに美味しかったこと、
ぼんやりと入り込む朝日が愛おしかったこと、
ぜんぶぜんぶ
きっと忘れないんだろう。

自分にも、
一緒に居たい人といつも一緒に居られる日常なんてものがいつの日にか訪れるのか。

数少ない大切な友達一人一人に、
この溢れる想いを生きている間にちゃんと伝えられるだろうか。

どれだけその時間にエネルギーを費やすことができるだろうか。

最近やけに自分の人生が数年のうちに呆気なく終わってしまうような気持ちになる。

だからこそ生きているのなら、
自分を苦しめる存在から守ってあげたいし、時に逃げ出すことも許してほしい。

愛おしいものに時間も気持ちも費やしたいのにね。

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先日、お気に入りの青いワンピースを着て再びその友達に会った。

今日もその人は、私より少し
前を、先を、生きていた。

しあわせ、というか、望む未来を生きて、生き続けてほしいと心底思った。

いつも自分のことでいっぱいだったのに、
誰かの人生を想うことができるようになったのだと気づく。

それから、そんな日に着たお気に入りのワンピース。もっと沢山着てからじゃなきゃ死ねないって思った。

難しいことばかり考えてしまうし、
求めてしまうけれど、

単純に、
ほんの僅かな心の揺れに、そっと寄り添ってくれる存在を求めているのかな、と思ったりした。

全てを理解できなくてもいい。
自分のことのように難しく考えたり悩むこともしなくていい。
もちろん、同情も要らない。

へえって。
そう興味を持って、傍に居てほしいだけなのかもしれない。

自分の心が救われてきた、温かさを感じられたように、
誰かにとってのそんな時と空気感に、
意味あるものとして居られたなら。

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