シロノワールを食べに
新たな土地への一歩は前座に過ぎない。
本日のメインイベントはコメダ珈琲でシロノワールを食べること。
それもただのシロノワールではない。
最近、SNSで見かけた「シロノワールぜいたくピスタチオ」という季節限定の新味である。
なんて惹かれるネーミングなんだ。
そう思った数分後には家を飛び出していた。
だが、家の近くにはコメダ珈琲がない。
幸いにも時間はある。どうせなら人生で一度も降りたことのない駅にある店舗へ行ってみよう。
そうして、コメダ珈琲をゴールとしたぶらり途中下車の旅が幕を開けた。
本当のことを言うと、シロノワールのことはよく知らない。
過去に一度だけ、コメダ珈琲には行ったことがあって、その時にコーヒーと一緒に甘いものを食べた微かな記憶はあるが、それが何だったのか覚えていない。
・・・シロノワール。なんとも洒落た響きだ。
もはや三十歳手前の男が一人で食べてもいい代物かどうかさえ定かではない。
窓の外を知らない風景が流れてくる。高まる期待と膨らむ不安。
普通列車で30分かけて、コメダ珈琲が近くにある駅に着いた。
時計の針は3時を回っている。
甘いものを食べるにはちょうどいい時間。
だがここで一つの疑問が浮かぶ。
駅に着いてすぐ店に直行してよいのか。
せっかく電車賃を払って知らない土地に来たのに。
速度をあげるばかりが人生ではない、と某ガンジーも言っている。
結局、今から甘いものを食べることへの罪悪感を少しでも減らすという名目で、店の方向とは反対側にある閑静な住宅街をステキな家々を眺めながら歩いてみることにした。
端から見れば不審者のソレに近かったかもしれない。
歩き始めて気づけば1時間が経っていた。
そろそろいいだろう。
グーグルマップですでに星を付けてあるコメダ珈琲へのルートを調べる。
よし、舞台は整った。
緊張した面持ちのまま入り口の扉を開ける。
木とレンガで構成された山小屋のような店内はどこかアットホームな雰囲気が漂っている。
店内は主婦層のお客さんを中心にかなりの賑わいを見せていた。
これは店員さんが席まで誘導してくれるのか、それとも自分で席を探すタイプなのか分からず立ち尽くしていると、若いウェイターの女性が気づいてくれた。
「お客様、何名様でいらっしゃいますか?」
「1名です」
「こちらへどうぞ」
これもご時世なのか、他人と対面しないカウンター席のほうが満席になっていて、2人掛けのテーブル席に通された。
あそこは1名じゃなくて1人って言うべきだったなと反省しつつ、メニューを開く。
あった。Cセット。季節のミニシロノワールのドリンクセット。
先ほどの店員さんがレジ対応を終えたタイミングを見計らい呼び鈴を押す。
「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」
「すみません、この季節のミニシ・・・」
「こちらはもう売り切れになっております」
まだ季節のミニシまでしか言ってないのに。
この反射速度から予想するにどうやら犠牲者は僕だけではなさそうだ。
「あっ。え、えーっと、うーん、そしたらこっちの普通のシロノワールのほうで。コメダブレンドでお願いします」
「Bセットですね。かしこまりました。少々お待ちください」
甘かった。無知だった。
ピスタチオだぞ。季節限定だぞ。なめんじゃねーよ。
そう言われている気がした。
まず通常のシロノワールを知ることから始めよう。
そう気持ちを新たにしていると、注文してから3分も経たないうちにBセットが運ばれてきた。
なんと可愛らしいフォルムだろう。
四等分にされたデニッシュの上に絶妙なバランスでソフトクリームが乗っている。
念願のシロノワールとの対面に感動したのも束の間、はじめての人なら誰もが経験するであろう壁に直面する。
・・・これ、食べ方よくわからんな。
デニッシュを一口で頬張るにしてはカットが大きすぎるし、細かく切るにもナイフが無い。逆にこのスプーンはどう使うんだ。ああ、早く食べなければソフトクリームが溶けちまう。
ためしにフォークで切ろうとするも、そもそも用途が違うのでなかなか切れない。
それでもなんとか一口サイズに切ったデニッシュにクリームをたっぷりと載せて口に運ぶ。
これは癒しだ。
ソフトクリームの冷たさと甘さがほんのり温かいデニッシュと合わさり、
少し遅れてやってくる寒暖差がこれまたなんとも心地よい。
口の中から甘さが消えてしまわないうちにブレンドコーヒーを一口すする。
あ~ごっつええ感じやん。
さっきまでの食べ辛さとの格闘はどこへやら。
使ったことない関西弁が飛び出してしまう始末。
そんなこんなで着々と溶け始めているソフトクリームが地面に着かないよう試行錯誤を繰り返しながら、コーヒーと交互に黙々と食べ進める至福のひと時を過ごしていると、隣のテーブルから母と娘、親子二人組の会話のやり取りが耳に入ってくる。
小学校の帰りなのか体操服を着ているその子はみーちゃんと呼ばれていた。
「みーちゃん、今日は学校どうだった?」
「うーん、別に」
「あっ、この前遊んでたクラスの女の子の友達の名前なんだっけ?」
「うーん、わかんない」
反抗期がくるにしてはまだ幼すぎる。
みーちゃんは他の同年代と比べて、口数が少ないタイプの子のようだ。
二人のテーブルにもミニシロノワールのBセットが運ばれてきた。母親にはブレンドコーヒー、みーちゃんの前にはオレンジジュースが置かれた。
どうやら一つのシロノワールを二人で分け合うらしい。
「4つのうち3つみーちゃんにあげるから。あと1つはお母さんにもちょうだいね」
「・・・」
心なしかちょっと不機嫌になっている。
全部ひとりで食べたかったようだ。
どうやらみーちゃんは甘いものが好きみたい。
「ほら、フォークが2つ付いてる。店員さんも二人で分け合いっこしてねってことだと思うよ」
母親は店員を味方につけ、諭すような口調で続ける。
「ねぇ、みーちゃん。お母さんも甘いもの好きなの。いいでしょ?」
「・・・ムズカシイ」
眉間にしわを寄せ、カタコトになるみーちゃん。
それからしばらくの間、無言の時間が続いたが、
その空気にさすがのみーちゃんも観念したようで、自分の目の前に引き寄せていた皿を少しだけ母親のほうへ近づけた。
「ありがとう」
そう言って母親は手を伸ばし、みーちゃんの前にあるデニッシュを小さいフォークで切ろうとするが、知ってのとおりコイツはなかなか切れない。
しばらく格闘するも、ついにはデニッシュが勢い余って皿の外へ飛び出した。
慌てて素手で手に取り、皿へと戻す母親。
「へへへ、お母さん、シロップで手がベタベタになっちゃったよ」
「あはは」
みーちゃんがはじめて笑った。
幸せそうな二人の空間のおかげで、コーヒーと一緒に読もうと持ってきた東野圭吾の白夜行はテーブルに置いたまま結局、最後まで開くことはなかった。
期待していたピスタチオは食べることができなかったけど、
モノクロだったシロノワールの思い出を今日で塗り替えることができた。
「みーちゃん、明日はスイミングだね」
「うん!」
どうやらみーちゃんはスイミングも好きなようだ。
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