ガリガリ骨ボーン
2021年春、突然の出来事でした
お散歩よ。ということで秋めく連休最終日の夜、財布もイヤホンも持たずスマホ一台だけ持って外に飛び出した。 散歩はいい。チルなんてポッと出の文化よりよっぽど整う。散歩より整歩に改名すべきじゃないでしょうか。そんなくだらないマニフェストを掲げながら歩く夜道は実に心地よい。 普段は嫌いな虫の音が心地よい。人間はなんと都合のよい生き物でしょうか。ナウシカが知ったら聞いて呆れるに違いない。 最近は家に居ても四六時中、耳にAirPodsを入れてYouTubeやらSpotifyやら何か
家の近所の駐輪場に「押し屋」と呼ばれる男がいる。普段なら道ですれ違っても特に気を留めることもない小柄な中年のおじさんだ。どこからともなく現れて片っ端から順に他人のサドルを前方方向に押し込んでロックをかけていく。この駐輪場は2時間以内であれば駐輪料金は無料となっているので少しでも時間を稼ぐために前輪にロックがかけられずに停めてある自転車はけっこうある。そのため必要な仕事ではあるのだが、彼は管理人としての公的なジャンパーを着ていない。代わりにいつも全身真っ黒のジャージ姿で頭にベロ
感想を言いたくなる映画だ。観る人に何かしらのダメージとうるおいの両方を与えてくれる。ダメージの凶器は刃物ではなく鈍器。その衝撃が観終わって一日経った今でも残ったままで、というかむしろウイルスのようにジワジワと広がって食欲が湧かない。ただ空腹だけど気分はいい。 主人公は美容脱毛サロンで働く21歳のカナ。だらしない美人で意地悪で嫌な女。ストレスフルな現代社会をいつも死んだ魚の目をしながら爆発一歩手前の状態で無気力に生きている。触ると危険だと頭では分かっていながらもこういう女性に
玄関を出て数歩歩くとポツリ、ポツリと雨が降ってくるAM9:00。さっき天気アプリで見た雨雲レーダーは「11時頃に雨が降りはじめます」と言っていたので、2時間も巻いてしまったようだ。 ウェザーニュースの調査によると、全国的な雨男・雨女の数は国内人口の約1/3、人数に換算すると4,000万人が自分はそうだと主張している。 特殊能力系バトル漫画において天候を操る能力はA級に値する。そんなにうじゃうじゃいるものなら今頃世の中は大パニックに陥っているはずだ。 が、実際そうはなって
ホタルイカの目玉が怖くて食べれない人だった。旬なのに。 引きちぎったわけでもないのに、炒めてるだけなのに、いつの間にかボロンと目玉が取れているところが神が創った生物としては脆すぎて恐ろしいというのだ。言われるまであまり気にしたことなかった。 そんなことを今日スーパーに寄った際に思い出し、ワゴンで298円で売られていた彼らをそっとカゴに入れて持ち帰ってきた。 もちらんお金は払っている。 家に帰り、ビニール袋から取り出すと値段のわりになんとも丈夫そうな硬いプラスチックケース
今から約七年前、上司との飲み会でフライドポテトを頼む奴は出世できない?という論争が話題になった。きっかけは当時2ちゃんねるで上司との飲みの席でフライドポテトを注文したら「いつまで学生気分なんだ」と怒られたというスレが立ち、それに対してネット民が反論し、半ばプチ炎上する形でTwitterなどのSNSで拡散されたというものである。 だが、みんなちがってみんないい令和の時代においてはそんな偏見を見かけることも随分と少なくなった。それは喜ばしいことだが、果たして本当に世の中から偏見
忘れることは人間の才能の一つだ。と聞いたことがある。 昔、飲食のアルバイトをしている時に客のシャツに赤ワインをこぼしてバイトを飛んだ10代の頃の記憶がフラッシュバックして顔から火が出そうになったが、最近まですっかり頭の片隅から消えていた。当時はこの世の終わりくらい絶望していたのに。忘れるというのは便利な機能だと思う。 そしてこのnoteの存在もついついiPhoneのiOSアップデートを後回しにしてしまう無精な性格が災いしてアプリにログインできなくなってから存在を忘れかけてい
ばあちゃんの一周忌だった。 自分はばあちゃん子では無かった。従兄弟のほうが愛されていた気がする。これと言って深い話をした記憶はなく、ばあちゃんの下の名前は葬式の時に初めて認識した。このくらいは世間一般的なのか、それとも冷めていたのか結局わからず終いである。 そんな折、母親から今度の土曜日がちょうど一周忌に当たるので墓参りに行くけど一緒にどう?というお誘いのLINEが届いた。 そういえば去年、葬式に顔を出して以来、まだ一度も墓参りには行けていなかった。 「喪服いる?」と
さっきからずっと、靴ひもがほどけている。 いつ自身を踏んで足がもつれて転んでもおかしくない。足下を気にしすぎるあまり、走り方も変だ。 ただ、辺りを見渡すと、誰もそんなことを気に留める様子はなく、平然とすました顔で走っている。 ここで突然、立ち止まると周りの迷惑になる気がして、もう少しスペースの広い落ち着いたところで結び直そうと考えてからまた随分と時間が経ってしまった。 それにしても、みんなは苦しく無いのだろうか。もうやめてしまいたいと思っているのは自分だけなのだろうか
12月02日(金) 閉店間際のスーパーで半額シールが貼られた6個入りパックのたこ焼きを買ったらPayPayジャンボの3等が当たった。 人気のない店内に響き渡るイエーイ!という子供の声。思わずレジのおばちゃんと目が合う。 ノーリアクションもあれかなと思い、アメリカのコメディドラマみたいにやれやれと肩をすくめてみたら無視された。どうやらこっちはハズした。 12月11日(日) 最近、末端冷え性がひどくて近所の足つぼに行ったら、あまりの足裏の冷たさに驚いた女性の店員さんから
ミニチュアダックスの散歩姿が少し辛そうだ。足をフル稼働で動かしている。単に足が短いから構造的にそうならざるを得ないのか、それともリードを握っている人間の歩くスピードに無理やり合わせているからそうなっているのかわからない。 そろそろ紅白の出場者も発表されることだし、一足先に2021年を振り返ってみると、間違いなく今年は急転直下の一年だった。人生に折れ線グラフがあるとすれば今は間違いなく谷だ。深い深いゴドリックの谷だ。 年明けから体調を崩し、3月に病気が発覚&はじめての手術。
新たな土地への一歩は前座に過ぎない。 本日のメインイベントはコメダ珈琲でシロノワールを食べること。 それもただのシロノワールではない。 最近、SNSで見かけた「シロノワールぜいたくピスタチオ」という季節限定の新味である。 なんて惹かれるネーミングなんだ。 そう思った数分後には家を飛び出していた。 だが、家の近くにはコメダ珈琲がない。 幸いにも時間はある。どうせなら人生で一度も降りたことのない駅にある店舗へ行ってみよう。 そうして、コメダ珈琲をゴールとしたぶらり途中下車の
海の見える街に住んでいて、よく海を見にいく。 別に落ち込んではいない。やることは無いけど家でじっとしていたくない僕にとって田舎の中学生におけるイオンみたいな感覚だ。 今日は海岸に沿って舗装された道を一駅分歩いてみることにする。 不思議なもので、都会で次々と目の前に押し寄せる他人を掻き分けて歩いていたときには気にも留めなかった、そこにいる他人のことが目に付く。 大きく広がる海を前に、誰もが思い思いのひとときを過ごしている。 なんだかその光景がとても輝いて見えた。 相
トマト系のパスタを食べるときに限って白いTシャツを着ていることが多い。そんな時はすぐに脳内で論争が始まる。議題は赤いトマトソースが飛び跳ねる危険性と、まだ着用して半日も経っていないTシャツを着替える面倒臭さ、のどちらを優先すべきかについて。結局、さっきまでパスタをつくる際に使用したエプロンを防護服代わりに身に着けるウルトラC案で着地した。これで一安心、と勢いよくパスタを頬ばったのも束の間、ものの数秒で守備範囲外の左袖にべったりとソースが付いてそれはそれは見事なシミになった。
まだ学生で実家暮らしだった頃、近所の古い平屋の家の外壁から無造作に金木犀が顔を出していて、この時期になると横を通る度に目一杯、深呼吸をしていた。今はもうその家は取り壊されていて、代わりにパステル色の壁をした新しい家が建っている。 大学を卒業して、社会人になって、一人暮らしをして、それなりに過ごしていたらある日突然、悪性リンパ腫が発覚して、また実家に舞い戻ってきた。 約4か月間、ベッドで横になってばかりの生活を送っていたので、社会復帰の前にせめて元の体力ぐらいは取り戻さねば
目が覚めた。体が縮んでいた。 別にコナンのOPではない。掛けていた薄い毛布がいつのまにかベッドの下に落ち、弱々のお腹を守るようにトランスフォーム胎児型で寝ていた男が深夜に目を覚ましただけだ。 こういう時だいたい直感でわかってしまうのだがおそらく今日はこのまま朝まで眠れない日らしい。朝までガードだ。目の前に誰も敵がいないのにスター状態になって一人虚しく画面上で動き回る未来予想図しか見えない。 ブォーン 外から新聞配達のバイクの音が聞こえる。 このままこの突如として訪れ