生きる、につまずいた人間が本気で「生きる」とは何かについて考えてみた
「生きる」ってなんだろう
「生きる意味」ってなんだろう
人生のうちで、一回はみんな考えたことがあるはず
かくいう私もその一人だ
今回、つまずく夜はという番組を見て、改めて「生きる」ことについて考えてみようと思う
ただただ目の前のことで精一杯で、過ぎるだけの日々を送る毎日から、本気で「生きる」とは何なのか、と向き合ったのは16歳の時だった
生きているのか辛すぎて、自殺をしようとした。
その時に、死ぬ理由とか、生きる意味とか、自分って?普通って?とか色々と考えた
私たちはみんな、自分の意志で生まれたのではなく、気づけば産み落とされていて、もがいて、運命に従いながら、時に争いながら息を吸っている
死にたい、と言うと「そんなこと言わないで」「縁起でもない」「生きたくても生きられない人もいる」耳にタコができるほど聞いた
いつからか、死にたいと思うことは、悪いことなんだ、と思うようになった
そんなことを言いながらも、人はいつか死ぬ
生まれてきた命は、必ず終わりがある
生きるということは、長い旅路の鈍行列車のようだ。いつか必ず終着駅がある。
生きる、ということ自体に大それた意味はないのかもしれない。
ただ、その人生という旅の中で、わたしたちが出会い、学び、感じる感情のすべてが、わたしたちの旅に色をつけ、物語を生み、形を成して行くのだと思う。
''あそこ(目的の場所)に行きたいのに、乗る電車を間違えてしまった''
''途中下車してみたけど、面白い出会いがあった''
人生は旅のようで、予想だにしないことの連続で、一喜一憂することばかり
生まれて''しまった''わたしたちは、いつか終わりを迎える長い長い旅路のなかで、その「旅」の意味を見つけ、再考し、永遠にそれを繰り返していくのだ
わたしは16歳の時に、死んでこの人生を終わらせてやろうと思った
けど、今こうして生きている
死ぬべきだったか
生きるべきだったか
そんなの、どっちが正解かわからない
今も、辛いことはたくさんあるし、何でこんな思いをしながら生きないといけないんだ!と思うようなことは多々あって
簡単に「生きていてよかった」なんて言えない
ただ、今の選択が最善だと思いたい
好きなライブのチケットを取ること
髪を切ること
ご飯を炊くこと
生活の中で無意識のうちに行っている、明日も生きるという約束をするたびに、これが「答え」だと思う
現在21歳、大学で哲学を専門に学んでいる
死にたかったあの頃の思いと煮詰め切った思考を糧に、「生きる」意味を模索し続けている
あんな思い2度としたくないけど、あの経験が今の勉強に繋がっている
生きるって、こういうことの連続なのかも。
まだまだ答えは見つからず、真理に辿り着かず、浅瀬で溺れてはこんなことばかり考えて夜が明けていく。
ただ、つまずいた夜も、つまずいた先で見えるものを、しっかりと掬い取りたいと思うのだ。
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