幼稚園から小学校(過去2)
前回の内容から、いきなり小学校に話が進むかというとそうでもない。
幼稚園の教室には、クラスのみんなが描いた様々なお父さんの顔が飾られたが、一つだけ私の母の似顔絵が飾られた。
最初はみんなおかしな顔をしていた。私には永遠に終わらない時間のように感じて、その日は最悪だった。
しかし、裏を返せば、私が父に興味を持ち始めたきっかけをくれたのは幼稚園である。
家では、父について聞くようになった。
ところで、私には何人かの従兄弟たちがいる。その従兄弟たちの中で私は一番年齢が低く弟の様に扱ってもらえた。その従兄弟たちは、私の家によく遊びに来ており、その中で私は父について聞く様にもなっていた。
一番年上と二番目に年上の従兄弟は私の父に会ったことがあると言う事実まで辿り着いた。
二人は、私の父を佐藤くん(仮称)と呼んでいた。そこで初めて、自分がなる予定だった苗字を知った。
そんな風に父の事を徐々に知れた私に、ある日、祖母は『むらのお父さんの所にはむらのお姉さんとお兄さんがいるんだよ。お姉さんはむらに会いたいみたいだよ』っと教えてくれた。
私には衝撃だったが、それと同時に姉が私に会いたいという事実に驚きを隠さなかった。しかし、私は嬉しかった。姉が私に会いたがっている。そして、私は一人っ子として育ったが、実は兄弟と呼べる人たちがいた事にとても嬉しかった。
私は、仕事から帰った母に兄弟の事を聞いた。
いつお姉さんとお兄さんを産んだのか?なんで自分は一人っ子として育てられたのか?
母は酷く悲しそうな顔をして『産んだのは別のお母さんだから、むらのお父さんは別のお母さんのところで住んでるの』とだけ教えてくれた。
幼い私は、それ以上は何も聞かなかった。
私はシコリを残したまま、幼稚園を終えて小学校に上がった。
小学校では全てが新しかったが、私は幼稚園の頃同様、家が好きであまり学校には行きたくなかった。
小学校1年生の時に、クラスではすでにグループと言うものが誕生していた。地域の大きな保育園出身の子どもたちでグループを作り、他の保育園や幼稚園の子どもたちに圧力をかけ、グループに入れるということだ。
私のクラスには地域の大きなB保育園とそれに匹敵する大きさのC保育園からの出身の子たちのグループに分かれた。私の幼稚園は小さな幼稚園であったため、友人を探すよりも新しく作る方が簡単であったが、当時の私は新しく友だちやグループに所属しようとせず、同じ小学校の他のクラスにいる同じ幼稚園出身のAと休み時間に遊ぶことを選択した。
休み時間にAと遊んでいると、クラスのB保育園グループ(以下Bグループとする)が私を見つけ『A君は俺たちの友だちのグループにいるから、むらは俺たちの友だちな』意味がわからなかったが、どうやらAは他クラスにもいるBグループに所属をしていたらしく、私はいきなりBグループに所属することになってしまった。
そんなある日、C保育園グループ(以下Cグループ)出身のDと何かがきっかけで話をし始めた。そうしたら共通の趣味や家が近い事などがわかり遊ぶ約束をした。
それから何度か私はDと遊び、波長というものが合った気がした。波長が合った一番の原因は、お互いに母子家庭という事だろう。
Dにはまだ小さい妹がおり、Dの母親は仕事をした後にDの妹を保育園に迎えにいき、学童保育のDを迎えにいくというハードな生活をしていた。その事をDは私に教えてくれた。Dは私を羨ましいと言っていた。理由は、私が一人っ子のため親を独占できるということだった。
私はDに嫌われたくなかったのか、私に母親は違うがお姉さんとお兄さんがいる事をDに話した。
Dは私に『むら君は不倫の子なの?』と聞いてきた。当時の私には不倫の意味が分からず、答えられなかったように記憶している。
それから、小学校の2年に上がるまで私はクラスではBグループに所属していたがDとしか親しくは遊ばなかった。
2年生ではクラス替えを行わず、同じクラスのメンバーのまま持ち上がった。
そして5月になった頃、運動会の準備に入った。
ここでとうとう、私が不登校になる事件が発生する。
クラスのBグループとCグループがリレーのメンバーについて揉めたのだ。
BグループはBグループのメンバーを入れたくて、CグループはCグループのメンバーを入れたかったため発生した事件だ。
そして、当時の私は走ることが少しだけ早かったらしく、両グループのリレーメンバーに名前が入ってしまった。
私は名目上はBグループに所属していたが、クラスで遊ぶのはCグループのDだけ。
BグループのリーダーはCグループのメンバーに私の名前が入ることを良しとせず、またCグループのリーダーも私の名前がBグループのメンバーに入る事を良しとしなかった。
Dは『むら君は僕と遊ぶことが多いからCグループだ』と言ってしまったのだ。
そこでBグループとCグループのクラス内の紛争が発生した。
結果を先に言うと、私がきっかけでこのクラスは一枚岩になることになる。
リレーのメンバー決めで数日間、両グループは言い合いをした後に、私にどちらのグループに所属をしているか聞くという結論を見出し。休み時間に両グループは私を囲み問いただした。
私はどちらに所属しているかを答えられなかった。
そうしたらばDが一言『不倫の子じゃ答えられないよ』と一言で私を否定したのだ。
その時、すでに不倫の意味を理解していた私は必死に否定をしたかった為、Dに言葉で襲いかかったが、前言撤回をさせられず、私が泣くことになった。
両グループはどっちつかずの私を共通の敵と認知し、その日からグループ同士は徐々に仲良くなっていった。
そして、徐々に私の嫌がる事をクラスがする様になった。
私は居場所を求めてDに話をかけても、彼から返事は返ってこなくなった。
ここで、私は人は簡単に人を裏切れる事を知ってしまった。
この年の運動会を待たずに私は不登校になった。
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