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届かぬ声を叫ぶこと。

忙しい忙しい。

昨年に引き続きコロナ禍で休業が続くなか、ビッグニュースだ。

「星野源と新垣結衣 逃げ恥婚」

青天の霹靂。昨日は山岸さんとラジオの生放送だったのに、そんなこと全然おくびにも出さないじゃないですか。

寺ちゃん、君、実は知ってたでしょ!ニセさんに笑い転げてる場合じゃないんだよ!

前回、こうやって話題を聞いた中で、心を揺さぶられたのはライセンス・藤原さんの結婚だった気がする。自分が付き合いたいわけではないが、誰かと新しいコミュニティを組むことが面白くない。そんな我が儘なファンだった。

今回、なにやら頬が緩むのを抑えきれなかった。すぐさまツイッターでタイムラインを覗けば、みぅの神絵師様方はスペースでわやわやしていらっしゃった。私は足元にも及ばないのでリスナーにもなれず、時を遡るだけ。

おめでとう、おめでとう、と祝福の言葉が並ぶ。あまりの衝撃にしでかしたことがわらわら並んでいく中、「素直に喜べない」という声が上がる。

そうだねぇーそういうこともあるよ、だってファンだもの。

偶像【アイドル】みたいなもんだからね、誰のものでもなく、誰をも縛らない存在でいてほしいよね。

私は彼の「孤独を肯定する」歌が好きだけど、そこに救いを見るほど孤独を恐れてはいなかったから、神様を奪われたような感覚はちょっと遠かった。

ニュースを見たときはそんな感じだ。

なんだか大人ぶって、とにかくおめでとう、嬉しい。そのテンションでケーキを2個とどん兵衛を2個買って帰った。お祝いだ。



でも、夜の間、眺めているSNSには、

いいことも悪いことも、祝福も批判も、有ることも無いことも、私には判断がつかない内容と情報量とスピードでごった煮にされていって、分からなくなった。

「孤独を肯定する」歌を作ってきた彼が結婚したら

➡孤独じゃなくなる➡今までの詩や感性が失われる➡孤独を歌わないで

いやいや。それこそ彼の中にあるじゃない。

『世界はひとつじゃない ああ そのまま ばらばらのまま

世界はひとつになれない このままどこかにいこう

ぼくの中の世界 あなたの世界 あの世界とこの世界

重なりあったところに たったひとつのものがあるんだ

世界はひとつじゃない ああそのまま 重なりあって

ぼくらはひとつになれない そのままどこかにいこう』

『うちで踊ろう ひとり踊ろう

変わらぬ鼓動 弾ませろよ 生きて踊ろう

僕らそれぞれの場所で 重なり合うよ』

『胸の中にあるもの いつか見えなくなるもの

それは側にいること いつも思い出して

君の中にあるもの 距離の中にある鼓動

恋をしたの貴方の 指の混ざり 頬の香り

夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ』

2人でいても孤独は存在して、あくまで僕と君との間には距離がある。たまに同じ時間・同じ空間に重なり合うだけの、他人同士。孤独がなくなることはないし、そもそも人間は心のうちまで見えるわけもないんだから死ぬまでひとりだ。

それでも。周りとの差異を感じていた彼が、自分を中心に据えて世界を手繰り寄せ続けて、この人の隣にいたいと想える人に出逢えたのなら。

なんだか我が事のように嬉しくて、それはおめでとう、と言いたくなる。

つらつら書いたが※これは個人の感想です。

無理やり受け入れる必要もないし、手放しに喜べとも言わない。

ただ、彼は今までだってずっと、ずっと同じメッセージを打ち続けているんだ。それを信じていきたい、信じてほしいと、誰かの心へ届けばいい。



なんて、感情が大きくおおきく揺さぶられている間に、

①クレイジージャーニー復活スペシャル

②5月20日 伊吹藍生誕祭2021

③かまいたち 濱家 コロナウイルス感染

と、さらに情緒は揺さぶられまくりだ。

寝れるわけがない。

この片隅日記も、ご本人には勿論届かないだろうし、そもそもお伝えする気はさらさらないわけだが、届かぬ声だとしても、誰に見てもらえぬとしても、今この瞬間を間違いなく生きているものとして、書いておこうと思う。


お付き合いいただきありがとうございました。