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隣の芝生は常に青く見えるもの ~ネガティヴな感情と向き合う~

こんにちは。六月に入りました。

残りニ試合で今シーズンもお終いで

物語がまた一つ終わりに向かっています。

目指す場所に向かうためには何をすべきか

そのために自分はどう在るべきなのか

という自問自答ばかりの日々です。

特に五月は迷ってばかりで精神面の浮き沈みが多くありました。

そんな中でも少しずつではありますが

自身のプレーや考えてについて言語化出来る部分が増えてきて

小さな手応えを感じられています。

それでも一選手としてだけでなく

一人の人としてもまだまだ未熟で

ここで満足していてはダメだと

次に向けて焦る気持ちは募るばかりです。





さて、自分の中の想いを言葉にしようとした時

特に表現の部分で上手くまとめられず

結局また一ヶ月程かかってしまいました。

タイトルにもありますが


「隣の芝生は青い」


特にフットボールという競技に関して私には芝生はより青く見えます。

先月地元の同級生が私のインスタグラムのストーリーにコメントをくれました。

最後に会ったのは中学生の時なのでかれこれ十五年くらい前でしょうか。

彼は小学生の頃から地元の強豪クラブチームでプレーしていて

高校時代はJリーグクラブのユースカテゴリーでプレーするほどの選手でした。

大学も強豪校に進学し、私としてはそのままプロになるものだと思っていました。

まさに私にとってエリートのような存在でした。

大学時代のリーグのカテゴリーは違えど

地元での試合があれば彼と会場で会うと思っていたので

彼の姿が見えなかったのが少し不思議でした。

その当時は私は理由を知る由もなく

彼は怪我をしてしまったのではないかと思っていましたが

彼は途中でフットボールを辞めていました。



「プロの練習に混ざってレベルの高さを肌で感じて無理だと思った。」



私としてはこれを聞いた瞬間に彼のことが羨ましくてたまりませんでした。

彼がその当時プロの厳しさを体感して

自らの意思でフットボールから身を退けたことを

とても羨ましく思ったからです。

自分が生まれ育った国でプロの練習に混ざれたこと自体凄いことですし

私では到底辿り着けないであろう場所に手が届きかけたことは

何より凄いと思えた部分でした。

そして彼は


「今でもそうやって選手として活動し続けてることが羨ましい。途中で辞めて死ぬほど後悔した。」


とも言いました。

今でこそとても後悔しているとのことでしたが

未だに理想と現実の狭間で身を退くに退けない私としては

自分の気持ちに正直に諦められたことさえ


とても美しい


と思えたのです。







年齢を重ねれば様々な物事に対して上手く向き合えるようになるだろう

そう思っていましたが実際はそうではありません。

ポーランドに来てから迷ってばかりで

時に自分には無理なのではないのだろうか

無意識な他者との比較等のせいで

この先の目標に辿り着けるだろうかと

ネガティヴな思考に陥ってしまうことも多々あります。


「お前には無理だ」 


と幼少期に言われたことが数多くあります。

これ故に

「自分には不可能なんだ」

と無意識に思い込むこともあり

チャレンジする前から出来ない理由を探したり

チャレンジすることに羞恥心を覚えることもありました。

外野から後ろ指を刺されるのが嫌だったんでしょう。

これを綴っている今でさえその羞恥心が完全に消え去ったというわけではありません。

けれども人生をかけてやりたいと思ったフットボール

経歴も実力もあったものではありません。

ただ辞めるに辞められず

最初で最後の挑戦をするために日本を飛び出しました。

結局のところ青い芝生を見続けるのが嫌でした。

このまま怯えていては死ぬまで後悔する

自分の心の声に気付いているのにアクションを起こさなければ

この先もずっと自分を無理矢理納得させて生きていくことになるだろうと

私の心が訴えていました。

それでもこれで良いのだろうかと

自分自身に問う時があります。

自身の心に蓋をして己を無理矢理納得させながら

安定を選んで生きていくことも可能だったはずです。

けれども私にはそれが出来ませんでした。






幸運なことに自分が本当に求めていることをやって生きております。

それでもやはり隣の芝生は常に青いもので

こういう思考に陥る時や

満たされない気持ちを抱く時は

自分の中の何かが病んでいるのか

はたまたは別の原因があるのか

私の場合無意識に他者との比較をしてしまい

自分のエネルギーを失うことさえあります。

特に今、未来への不安というのは常に拭い去れません。

自分で選んだからには全うするのが責任であり

こういう感情を抱くこともこのように書き綴ることも烏滸がましいとも思います。

特にこの羨ましいと思う感情は上手くコントロールが出来ません。

誰かの成功に対する羨ましいという感情だったり

気持ちにケジメをつけて幕を引ける潔さに対する羨ましさだったり

今の自分が持っていないモノに対しての執着は時に言語化さえ出来ないくらいです。

それでも自分と向き合い続けてやっとの思いでここまでやってこれました。

もっと早くからこの感情と向き合えていたら

フットボールに対する想いのみならず

物事に対する負けたくないという気持ちを抱けていたら

違った現在があったのだろうかと思ってなりません。

それでも今出来ることを全力でやらない限り未来はありません。






今年は30歳になる年です。

色々な意味で節目であると思っています。

モラトリアムのようにも感じられるポーランドでの生活

如何にフットボールに満足して終われるか

どれだけ潔く身を退くことが出来るのか

私の人生の最大の課題なのかもしれません。

自分の中に溜め込んで向き合って

望む結果に繋げることが最も美しいプロセスであることに間違いありません。

生きている限り付き纏うこの感情と今後どこまで向き合えるか

それでいて私自身の目標を達成する

残り半年より一層勇気と情熱を持って。




ではまた。

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