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異国で生かされるということ 〜当たり前の有り難み〜



こんにちは。

日本出発から約28時間程の移動を終えて

昨年住んでいた街に戻って来ていました。

ウクライナの国境まで約50キロ程の小さな街です。

着いた翌日にまさかの体調を崩してしまい

復調するのに時間がかかってしまいました。

他の日本人選手達が上のカテゴリーのチームの練習に参加する中

一人出遅れてしまい焦りを感じています。

「コンディション管理も仕事の一環」

シェフとして働いていた時も常にそう言い聞かせてきました。

今回到着直後にこうなってしまい

改めて詰めの甘さを痛感しました。



さてタイトルにもあるように

特にポーランドに来てから

「自分は生かされている」

という感覚を味わう瞬間が増えました。

「生きる」

だと一人で生きているように聞こえてしまいます。

だから僕は

「生かされている」

という感覚で想いを綴りたいと思います。




僕の少し昔の話をします。

20代の前半から半ばまでオーストラリアのシドニーに住んでいました。

現地には日本人の友人もいましたし

職場にも日本人のスタッフが居たため

日本語でのコミュニケーションは勿論ですが

英語でのコミュニケーションにおいても

ストレスを抱えることは殆どありませんでした。

日本の物も手に入る環境だったので

不自由だと感じたことは記憶にありませんし

精神的に追い込まれる状況に陥った記憶もありません。

オーストラリアにいた時に

「異国で生かされる」

ということを感じなかったわけではありませんし

これから綴る

「有り難み」

を感じなかったというわけではありません。

幸いにも何処へ行っても助けてくれる人達に巡り逢いましたし

僕が何処へ行っても生きていけるようにと

「生きる能力」

を与えてくれた人との出逢いは

僕の大好きなオーストラリアででした。




さて、ポーランドに来る前は

英語でコミュニケーションが取れれば何とかなるであろう

ヨーロピアンなら英語が喋れるであろう

と思っていましたが実はそうではありませんでした。

「コミュニケーション」

という言葉が個人でどう定義されるかにもよりますが

1, 自分の意思を伝える
2, 相手がそれを理解する
3, 相手が意思を伝える
4, 自分がそれを理解する

僕は上記四つが成立して初めてコミュニケーションだと考えています。



話が逸れてしまいましたが

生まれて初めて

「コミュニケーションが取れない状況」

を経験しました。

自分の意思も伝えられない

相手の意思も理解が出来ない

日本でもオーストラリアでも経験しなかったことです。

やはり

「郷に入っては郷に従え」

ポーランドに来たからには、ポーランド語でコミュニケーションとらなければならないというのが大前提。

まさにこれこそが異国だと痛感しました。

ポーランドに戻って来た今でさえも

コミュニケーションにおいての不便さはあります。

ただ、昨年苦しんだのはコミュニケーションにおいてだけではなく

所謂カルチャーショックもありました。

ですがそんな異国のポーランドで

自分に沢山のものを与えてくれる人達と出逢い

言葉の壁さえも越えて自分を受け入れてくれる人達と出逢い

以前よりも

「自分は生かされているんだ」

という想いが増しました。

当たり前が当たり前ではない

「異国」

という環境に身を置くことで

より一層の

「有り難み」

を感じられるようになりました。




戻って来てからの一週間は

特に元バイト先のオーナーとその家族をはじめ

スタッフにも助けられました。

部屋を用意してくれて

食事を与えてくれて

それでも他に必要な物があったら言ってねと

これでもかと言うくらい良くしてくれました。

英語でコミュニケーションが取れる姪っ子も協力してくれて

何一つ不自由無く身体を休めることが出来ました。

「自分は生かされている」

と改めて感じた一週間でもありました。

僕のポーランド生活は

「当たり前の有り難み」

を教えてくれています。

世の中捨てた物じゃないと

思わせてくれる有り難い生活です。




自分の生活を豊かにしてくれる素晴らしい人達のおかげで

幸先の良いスタートが切れています。

ここからまたギアを上げていけるように。

ブレずに目標に向かえるように。

そして最後は全ての人に還元出来るように。



今日はまた移動です。

ではまた。



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