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不本意な結果をどこまで受け入れられるか ~本性は去り際に出る~

こんにちは。

早いもので7月を迎え2023年の半分が終了しました。

そんな7月ももう第1週が終わろうとしていて

来シーズンの開幕までもう1ヶ月を切りました。

6月半ばのシーズン終了後すぐに

バイト先の人達がクラブに連絡を取ってくれたりと

何かと力を貸してくれたおかげで

7月の頭から目標としているカテゴリーのクラブのテストに参加することが出来ました。

テストの内容は2日間全体練習を行い

3日目に紅白戦を行うというもので

その後チームに残ってシーズン前の練習試合に参加するか否かを決めるというものでした。



結果は不合格でした。



カテゴリーが上がると選手のレベルも上がります。

紅白戦後に監督と話をして言われたのは、



「見ての通りうちには良いディフェンダーが揃っている。

残念だけれど君には興味がないからテストはこれで終了だ。

けれど君は悪い選手じゃないしやれる部分もあるから

1つ下のカテゴリーで昇格を狙うクラブへトライしてみるのはどうだろうか?」


とのことでした。




私自身通用する部分もあったが故に

受け入れなければならないと分かっていながらも

やはり不本意な結果でしかありません。

けれども足りない物もやはり沢山ありました。

未熟なプレーも沢山ありました。

一夜明けて思い返してみると

実力以上にボールと勝負に対する執着心が足りてなかったのかなと

そんな気がしてなりません。






「本物はどんな環境でも結果を出して生き残る」 





というのが特にスポーツにおける私の正義で

特にスポーツの世界においては結果が全てです。

実力があれば上層部の決定を覆すことも可能です。

実力さえあれば既に獲得が決まっている選手よりも注目されることだって可能です。

どんなに良いプレーをしても合格にならなければ意味がありません。

ただただ私の実力不足でしかありませんでした。

ですが、監督がきちんと自分を見てくれているというのはとても嬉しい部分でしたし

短期間でしたが上手い選手達とプレーすることで

自分の中に多くの物を蓄えることが出来ました。








幸か不幸か

私の30年の人生で未だに


「絶対的な才能」


というものに出会ったことがありません。

記憶にないだけで出会っていたのかもしれません。

ここで言う絶対的な才能とは




幼少期から他を圧倒する技術をもってして

現在に至ってはトッププロとして第一線で活躍する人間




と定義します。

よく聞くのは

「アイツは幼少期から化け物だった」

「絶対にコイツには勝てないと思ったからプロを諦めた」

等々です。

ポーランドに来て約1年と半年

自分が望むカテゴリーのクラブには今回を含めて4クラブ

練習に参加をさせてもらいました。

けれども結果は全て不合格でした。

私が不合格になったカテゴリーも含め

それよりも上のカテゴリーでプレーする選手達は

所謂この

「絶対的な才能」

自分が超えることの出来ない才能なのではないのだろうかと

思う瞬間が増えました。



「勝るとも劣らず」



というのがただの勘違いなのかと思うようにさえなりました。







理想と現実のギャップというのは常に存在しますし

私が身を置くスポーツの世界においては

そのギャップとは非常に大きなモノです。

大きければ大きい程受け入れることが困難になり

やがて嫉妬という負の感情を抱いてしまうことさえあります。

今後私は受け入れることが出来るのだろうかと

どこまで納得することが出来るのだろうかと

ふとそんなことを考えました。

特に



「自分ではない誰かの活躍を嫉妬心無く応援出来るだろうか」


と。

勿論答えは今は分かりません。

今はただ直向きにに泥臭くやるしかありません。



「もっとやっておけばよかった」



とだけはならないよう積み重ねます。

残り1ヶ月。

ではまた。

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