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「おかえりなさい」のある日々

皆様、こんばんんは。yasuchinです。3、4日ぶりの投稿です。

最近は、フォローしてくださる方、スキをくださる方、私の記事を掲載してくださる方、本当に感謝です。ありがとうございます。今後とも皆様ヨロシクお願いします。

さて、今日のテーマは「おかえりなさい」のある日々です。

皆様は、仕事や学校が終わった後、あるいは遊びに行って外出先から自宅に戻った時、ドアを開けて「ただいま」の声掛けに「おかえりなさい」の言葉はあるでしょうか?? 言われる方でなくても、逆に言う方でも良いかと思いますが、どうでしょう??

一人暮らしの方はなかなかそのような機会がないかと思いますが、例えば田舎のご実家に戻られたときや、今そのような場所がないという方は、子どもの頃、自宅に帰った時など思い出してみてください。

◆「おかえりなさい」の意味

いつも何気に使っている「おかえりなさい」ですが、調べたところによると意味合いは大きく2つあるそうで…

①帰ってきた方に対する挨拶
②今まで居た方にそろそろ帰ってもらうための言葉

今日私がお話するのは①の帰ってきた方に対しての挨拶ですが、もともとは「よくお帰りなさいました」の略語だとのこと。今まで仕事や学校で頑張ってきた。家にいる側はその頑張った家族の一員の帰りを心待ちにしており、労いの意味もこめた1つの表現なのかもしれません。

◆「おかえりなさい」のありがた味

現在、私はケアマネージャーとして施設の事務所勤めです。事務所は施設の正面玄関の横ですから、利用者の方が病院などで出かけるときは「行ってらっしゃい」の言葉をかけ、帰ってこられたら「おかえりなさい」の言葉をかけています。

ある男性利用者さんからの言葉です。

「病院からこうやって帰ってくるでしょ、そうすると施設のスタッフの皆さんはみんな『おかえりなさい』って声をかけてくれる。それが本当に嬉しいのよ。僕は1回の病院の時間が長いでしょ、抗がん剤治療だからすぐに終わらないし、体力も使うから帰ってくるとクタクタに疲れてる。でも、皆さんの『おかえりなさい』の言葉でね疲れも吹っ飛ぶからね、本当にありがたい、幸せですよ。何気ない言葉だけどね、大事…とても大事です。」

「おかえりなさい」の言葉1つで、一人の男性利用者が幸せに感じてくれる。大袈裟かもしれませんが、生きることへの支えになっている。お礼をいつも言われる私ですが、ふと思います。

皆様は「おかりなさい」のありがた味って考えたことありますか…??

「おかえりなさい」に限らず、おそらく挨拶に近い内容の言葉は、あまりその意味にこだわらず反射的に使っている毎日ではないでしょうか。

私も当然と言ってはいけないかもしれませんが、「おかえりなさい」や「お疲れ様です」といった言葉はその意味をその都度深く理解して投げかけているかといえば…残念ながら答えはNOになってしまいます。

◆人の声が聞こえることの幸せ

昨日、私の勤める施設に新しい利用者の方が入居されてきました。これまで自宅で一人暮らしをされてきて、最近になって急に衰えが見えはじめ施設に入られることを決断され来られました。

私はケアマネですから、新しく入居される方にはこれからの生活のプランを立てます。相変わらずの葛藤ありつつのプラン作りは今も変わっていませんが…

あっ!何のことかよくわからない方は、以前の私の記事をご参照ください。(CMみたいでスミマセン(笑))

さて、生活のプランを作るにあたり、ご本人やご家族に今後の生活の意向や希望を聞きます。今回、入居されたご本人の意向はこうでした。

「今まで一人で暮らしてきました。こんなに明るい施設に入れて、周りの人の音が聞こえるだけでも幸せです。ありがとうございます。」

ご自宅の周りは田畑で、ご近所といっても近いわけではないので人の声はもちろん、生活音すら聞こえてこないところに今まで暮らしてきたとのこと。言葉はもちろん音もない中で過ごされてきたそうです。

「おかえりなさい」だけでなく、もっと基本的な挨拶すら言葉にする機会はおそらく少なかったことでしょう。

だからこそ、今、環境が変わったことで言葉のある暮らしが、音のある暮らしがどんなに貴重で幸せなことかを感じたのでしょう。

今日から新しい暮らしが始まるのにお礼を先に述べられていました。

◆当たり前の価値

このnote内でも多くの方がこれまでにも語られてきていると思います。

当たり前はあたりまえだからその本当の価値に気づかない

「おかえりなさい」「ただいま!」、日々当たり前に使う言葉ですが、ある日この言葉を使わない日が来るとしたら……

今、この言葉を投げかける相手がいらっしゃる方は、その相手が明日いなくなってしまうとしたら……

もし、その相手がいなくなってから、「おかえりなさい」や「ただいま」のありがた味に気づくのだとしたら……なんだか切なくなりますね。

少し言葉のありがた味とは脱線するかもしれませんが、当たり前を大切にするという点で1つ別の話をします。

戦時中の話です。

日本は特攻隊を編成し、国のために命をかけ敵艦に体当たりをするという攻撃を行ったというのは、皆さんご承知のことと思います。

特攻隊の乗組員は、突撃の命令が数日前に決まると、それまで何とも思ってこなかった自分の目に映るものが、急に愛おしく思えてきたそうです。それは自分の体の一部に対してもだそうです。

それまで、何とも思ってこなかったのに、手、足だけでなく、今までコンプレックスに思ってきたホクロや体形など、そのすべてがとても大切なものととらえるようになったという話です。

つまり、今まで自分が数十年一緒に生きてきた、ある意味当たり前のような存在の自分の体のあらゆる部分が、とても大事な尊いものに思えてきたのです。

間もなくこの世から無くなってしまう自分のからだの一つ一つに、何を思ったのでしょう…

◆「おかえりなさい」がある今

少し話がそれましたね。

「おかえりなさい」を言ってもらえる今、この時を少し意識してみましょう。逆でも構いません「おかりなさい」が言える今……

もし、言ってもらえる、言える状況にない方は、これまでの人生で言ってもらえていた日々を思い返してみてください。

意識して思うと、自分の他に誰かいる、誰かと関わっているということに改めて気づくことでしょう。

そのことこそが、とても尊い大切なことではないでしょうか…

今の世の中に被せるつもりはないし、脅しをかけるつもりもないのですが、

このコロナ禍の状況は、突然、家族や知人と永遠に別れなければならない可能性をいつも以上にはらんでいるかもしれません。

「おかえりなさい」を言ってもらえる、「おかえりなさい」を言ってあげられる日々を少し大事にしてみませんか?

それでは、また。




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