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【エッセイ】パニック障害になった日

15歳、初夏。
バレー部の練習を終えて晩御飯を食べたか食べなかったか。汗で湿ったジャージを着たまま、リビングのソファで眠ってしまった。

この頃の私はいつも眠かった。

眠いというより身体が鉛の様にダルい日が多かった、が正解かもしれない。朝練、夕練、土日の部活の他に塾が週3回。
半年程前に怪我をして外科で血液検査をしたら、健康な人の6割程しか鉄分が無いと言われ医者にびっくりされた。
通学路にあった病院に相談をして、登校前に1週間鉄剤の注射を打ってもらい夕練に参加した。
部長をしていたこともあって責任感からか練習は休まなかった。授業中も寝ていたけれど、テスト前は夜中2時位まで起きて勉強していたので成績はまぁ良かった。なので大抵の先生は見逃してくれていた。

いつも見ていたドラマのオープニング曲が流れ「ああ、寝てしまっていたんだな…」と目を覚ましたと同時に身体が分解するような強い動悸と、経験したことのない窒息死しそうな強烈な不安感に襲われた。

「このままじゃ死んでしまう…‼︎」


寝ていた身体が大きな鞭で叩かれた様に飛び上がり「どうしよう!どうしよう!」と叫びながらリビングを右往左往する。
居ても立っても居られない、を体現するかの様に部屋を動き回った。
死に対する恐怖で座っている事ができない。
気がふれたのかと勘違いした母は「どうしたの⁉︎」と言いながら泣きだし、
晩酌していた父は「頭おかしくなったのか!病院連れてけ!」と目を真っ赤にして怒鳴った。
明らかに2人とも動揺していた。



怒鳴られたので電気の消えた暗い静かな部屋に避難し、私はうずくまった。
「どうしよう、どうしよう…」
呟いていると、15分位で落ち着きを取り戻した。
母が心配そうに私を覗き込む。
私も説明しようにも突然起こった事に頭がついていかず、

「ドキドキして苦しくなってこのまま死ぬんじゃ無いかという感覚になる」

と泣きながら伝えるのが精一杯だった。
家族じゃ理解できないと感じた私は、貧血で通っていた病院の看護師さんに相談したいと母に言った。
町内に住む看護師さんの電話番号を母は知っていて、かけたらすぐ出てくれた。
「大丈夫、疲れてるのよ。貧血の人は普通の人の倍疲れるから。
ゆっくりお風呂に浸かって、楽しい漫画でも読んで早く寝なさい。」

…そうなんだ。疲れてたのかな。そんなもんか。
医療に関わる人の言葉なら信用できた。
この頃の私は大抵のことは気にしない方だった。ので、動揺を隠せないまま少し震えながら緊張してお風呂に入り、その夜はすぐ横になった。


だけどそれからほぼ毎日、日常生活に不安の発作はいつも付きまとうこととなる。
家にいる時だけじゃ無く、授業中、お風呂に入っている時、部活の練習中、塾にいる時。容赦なくソレはやってくる。受験も控えていたし、またなるんじゃ無いかという精神疲労もあり限界がきていた。
何よりもコントロールできない自分を誰かに見られるのが1番怖い。

「病院に行きたい」

母に相談しても、何科に行けば良いかわからない。
最初は循環器クリニックで心電図を撮った。異常は無かった。
今度は脳神経外科で脳波を撮った。こちらも異常は無かった。
すると検査をしてくれた医師がこう言った。
「…もしかしたらパニック障害、という欧米で最近多い病気かも知れないですね。」
「…パニック障害?」初めて聞く病名だった。

当時はそんな病名を公表している芸能人もいなければ、医学書も情報も何も無かった。
なのでその病名の意味を深く考えず、発作の原因がハッキリしたとも感じなかった。解決策が見当たらなかったのだ。

何で私だけこうなるんだろう?でも処方された薬を飲めば治るのかな、と淡い期待を抱きながら生活をする。
ゴールの無い迷路に迷い込んだみたいで薬を飲むことしか解決策が見当たらなかった。

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